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【事件名】「女優貞奴」と「春の波濤」事件(3)
【年月日】平成10年9月10日
 最高裁(一小) 平成9年(オ)第1509号
 (一審・名古屋地裁昭和60年(ワ)第4087号/二審・名古屋高裁平成6年(ネ)第556号)

判決
上告人 X
被上告人 日本放送協会
右代表者会長 Y4
被上告人 株式会社日本放送出版協会
右代表者代表取締役 Y2
被上告人 Y3
右3名訴訟代理人弁護士 前田哲男

 右当事者間の名古屋高等裁判所平成6年(ネ)第556号損害賠償等請求事件について、同裁判所が平成9年5月15日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。


主文
 本件上告を棄却する。
 上告費用は上告人の負担とする。

理由
 上告人の上告理由について所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決の法令違背をいうものにすぎず、採用することができない。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

最高裁判所第1小法廷
 裁判長裁判官 藤井正雄
 裁判官 小野幹雄
 裁判官 遠藤光男
 裁判官 井嶋一友
 裁判官 大出峻郎

上告人の上告理由
【まえがき】(本件上告事件の法律上の争点)
一 被上告人特殊法人日本放送協会(以下NHKという)は、昭和60年NHK大河ドラマとして『春の波濤』を《原作・S『マダム貞奴』『冥府回廊』より脚本・Y3》と表示して、1985年の1年間50回にわたって毎週日曜日に放送し毎週土曜日に再放送した。同じ表示で、被上告人株式会社日本放送出版協会は『NHK大河ドラマ・ストーリー春の波濤』を、被上告人Y3は『春の波濤』(脚本集全5巻)を、それぞれ出版した。被上告人らは、『春の波濤』について、右S作品の二次的著作物としての著作財産権及び著作者人格権を取得した。
 『マダム貞奴』は昭和50年1月発行、NHK大河ドラマ『春の波濤』の原作として、59年11月新装第1刷発行、『冥府回廊』は雑誌『オール読物』昭和59年5月号乃至11月号に発表、さらに加筆して59年11月に単行本、60年2月に文庫版が発行された。
二 上告人Xは、『女優貞奴』を昭和57年8月、新潮書下ろし文芸作品として新潮杜より出版し、これについて著作財産権及び著作者人格権を取得した。
三 著作権法第2条「定義」に、「著作物は、思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」「二次的著作物は、著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案することにより、創作した著作物をいう」とあり、この定義に背く原作表示は違法であり、不正表示である。
四 本件ドラマ等は、上告人作品『女優貞奴』を無断で翻案することにより制作された二次的著作物であり、本件ドラマ・ストーリーは『女優貞奴』の文章をそのまま引き写した箇所があり、外面形式(具体的文章表現、個々の細部表現)を盗用した複製権侵害にあたる部分を含む。
 さらに、被上告人らは、『女優貞奴』のエッセンスを自説の如く剽窃した文章を『NHK大河ドラマ・ストーリー春の波濤』(乙第49号証)その他にに発表し、S作品が本件ドラマ等の原作であるやに見せかけた。
 被上告人らは、二次的著作物の規定に照らして原作の要件を欠くS二作品を原作として不正に表示して、本件ドラマ等を制作、放送、出版し、上告人の著作権・著作者人格権を侵害した。
【第1点】原審判決は「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある(民事訴訟法第394条後段)。
一 原審判決は、著作権法第2条「著作物」と「二次的著作物」の定義に背く「翻案権侵害の判断の基準(侵害の成否の要件)」(1審判決76頁)を設けて著作権法に違反した。
1 1審判決(76頁)は、《著作物についてその翻案権の侵害があるとするためには、問題となっている作品が、右著作物と外面的表現形式すなわち文章、文体、用字、用語等を異にするものの、その内面的表現形式すなわち作品の筋の運び、ストーリーの展開、背景、環境の設定、人物の出し入れ、その人物の個性の持たせ方など、文章を構成する上での内的な要素(基本となる筋・仕組み・主たる構成)を同じくするものであり、かつ、右作品が、右著作物に依拠して制作されたものであることが必要である。》と判示し、原審判決(20頁)は、《再説すれば、筋、仕組み、主たる構成の内面形式を全体的に比較し、その上で共通性が維持され、かつ、一方が他方に依拠していることが認められるときに初めて侵害となるものである(ただし、作品の主題のみを抽出して、その類似の有無を比較することは意味がなく、このことは先に説示のとおりである)》と、1審判決に付加して、重ねて翻案権の法理を曲げ、左記の通り、著作権法に違反し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
@ 翻案権とは、二次的著作物を作る権利であり、著作権法は、「著作物を翻案することにより、創作した著作物」を二次的著作物と規定している。即ち、著作権法は、「著作物を翻案することにより創作した」という行為によって、二次的著作物を規定しているのであるから、原審判決は、被上告人らが、どの著作物を翻案することにより『春の波濤』を制作したか、被上告人らの行為を認定すべきである。
 しかるに原審判決は、被上告人らの制作過程の行為を検証せず、その判示を欠く。
『春の波濤』が原作を表示した二次的著作物であり、二次的著作物も著作物であるからには、二次的著作物としての「思想又は感情の創作的表現」がなければならないのは、当然である。
A ちなみに、「翻案権は、基本となる原作の筋・仕組み・主たる構成などの内面形式を母体として派生的著作物を作成する行為を規制するもの」であり、翻案とは、「内面形式は保ちながら外面形式を大幅に変更する」(加戸守行著『全訂著作権法逐条講義』34〜35頁)ものである。
 「二次的著作物創作行為は、原著作物において表現された著作物の内面形式(とわたしたちは呼んでおりますが、たとえばストーリー性とか、基本的モチーフとか、構成とかいう著作物のエッセンスを指す内面的表現形式)を維持しつつ、著作物の外面形式(つまり、具体的文章表現、具体的旋律、個々の細部表現などの外面的表現形式)を変更して参ります。これらは翻訳・編曲・翻案等に伴う必然的な改変であります」(鈴木敏夫著『実学・著作権−情報関係者のための常識・上』72頁加戸守行解説)
B 二次的著作物は、著作物を翻案することにより創作するものであり、原著作物の内面形式の全部または一部を、取り込み維持している著作物であるから、二次的著作物の内面形式が原著作物の内面形式と悉く同一ではあり得ないのは自明である。
 ドラマには、ドラマ特有の表現様式があり、様式の変換、翻案に伴う改変による原著作物との相違があるから、二次的著作物としての著作権が認められるのである。
2 しかるに、原審判決は、《同じくするもの》を要件として、表現様式の変換に伴う二次的著作物としての改変を理由に翻案権侵害を否定し、著作権法に違反しており、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
@ 二次的著作物が原著作物を「翻案することにより、創作した著作物」であるからには、『春の波濤』が、原著作物『女優貞奴』と異なるところがあり、異なるところがあることは翻案権侵害を否定する根拠にならないのは自明である。「翻案することにより、創作した著作物」は、原著作物の内面形式を取り込み維持していて、かつ、二次的著作物としての独自性・創作性がなければならない。
 従って、原著作物と二次的著作物の相違点ではなく、原著作物を改変しつつ原著作物の内面形式を取り込み維持しているかどうかが、翻案権侵害の判断の勘所である。
A 二次的著作物『春の波濤』が、著作物『女優貞奴』の「主題、題材、背景・環境の設定、人物の出し入れ、登場人物の個性の持たせ方、その相互関係の描き方、筋、仕組、運び、構成など内面形式」を取り込み維持していること、それが翻案権侵害の証拠である。
B 二次的著作物『春の波濤』が、原作表示した著作物『マダム貞奴』『冥府回廊』の「主題、題材、背景・環境の設定、人物の出し入れ、登場人物の個性の持たせ方、その相互関係の描き方、筋、仕組、運び、構成だと内面形式」を取り込まず、維持するどころか全く反していること、それが原作表示を偽り、不正に表示した証拠である。
C 二次的著作物が著作物の内面形式を取り込み維持しているということは、その著作物を基にして翻案することにより創作した結果であって、偶然起きることではないから、その上重ねて《かつ、一方が他方に依拠していることが認められるときに初めて侵害となるものである》と特記する必要はない。
二 原審判決は、上告人作品『女優貞奴』と被上告人作品本件ドラマ等の物件目録を作り変えて、内面形式を適正に摘示せず、物件自体を変質させた《1審判決別紙4、5、6》をもって両作品を比較している。「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」がある。
三 原審判決は、本件の請求原因を書き変え、変造し、著作権侵害の徴憑乃至証拠である訴状添付個別類似箇所目録1乃至28を改竄した《1審判決別紙1》を作成し、《同別紙2》から『春の波濤』の登場人物関係図を除外して登場人物の人物構成と関係図の一致を判示せず、依拠の証拠である《同別紙3》を故意に全部複製権侵害もしくは《文章中の一句、一段落》(原審判決17頁〕のみの一致とすりかえ、1審判決の反証である甲第51乃至62号証とVTR(『春の波濤』第49、50回)の判示を悉く欠き、その上、被上告人作品自体と明白に相違する故に偽証であって著作権侵害隠蔽工作の証拠である乙第12号証を根拠にさえして、上告人作品と被上告人作品の《同一性は否定せざるをえない》(原審判決23頁)と判示して著作権侵害を否定し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
四 原審判決は、本件の請求原因を書き変え、変造し、上告人と被上告人、双方の主張を公正適正に摘示せず隠し、被上告人の偽証を隠し、又は偽証を判断の根拠に掲げさえして著作権侵害を否定し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
五 原審判決(11頁)は、《被告らが本件ドラマの原作であるとするSの「マダム貞奴」及び「冥府回廊」がどのようなものであるかは、依拠性の判断においては重要な判断要素となるが、》という1審判決に、《本件ドラマと原告作品との内面形式の同一性の判断とは直接には関係するものではない》と付加し、また15頁では《間接的な事実であって》と判示している。
 原審判決は、S二作品を原作表示した二次的著作物として発表した被上告人作品『春の波濤』の属性そのものであるS二作品を、《間接的な事実》として審理から除外するものであり、著作権法の二次的著作物の規定に違反し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
六 原審判決は、《本件ドラマの制作過程で、当初控訴人作品がどのような扱いをされたのかを含め、本件各証拠上不分明な点がないではない》(15頁)と判示している。
 本件は、被上告人が、制作過程で当初から上告人作品をどのように扱ったかを明確にするのが、重要なポイントである。にも拘わらず、原審は、被上告人の制作過程と原作表示について、NHK理事会、経営委員会、中央番組審議会に諮って原作決定の承認を得た担当専務理事であったY1放送総局長(当時)と、本件原作表示の当事者であるS両名を証人として、上告人が申請した証拠調べを、理由を付さず却下した。分明にすることを妨げておいて、《不分明な点がないではない》との判示は、審理を尽くさず、公正、適正に審理すべき任務に反し、職権乱用、裁量権乱用であり、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
七 原審判決は、「エピソード人物事典」について、《原告作品の当該箇所は、原告がCから聴取した内容を記載したものである(乙119、証人A)》と判示し、《乙119とA証言》が偽証であることを知りながら、積極的に侵害否定の口実に利用する卑劣な判示を重ねた1審判決(136頁)の偽判を、重々承知しながら黙認し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
【第2点】原審判決は「判決ニ理由ヲ付」さないものである(民事訴訟法第395条第1項第6号前段)。
一 原審判決は、《当審における新たな証拠調べの結果を斟酌してもいずれも理由がない》(8頁)と記載しながら、《新たな証拠調べ》の判示が皆無であり、《新たな証拠調べの結果》が、何故、《理由なし》と判断されたか、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。(第七「原審判決の結論」に詳述します)
二 原審判決は、《「甲第13、第14、第16、第43号証も右認定判断を左右するには足りない」を加える》(11頁)と付加して、何故、《認定判断を左右するには足りない》か、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
三 原審判決(15〜16頁)は、《被控訴人協会が最初の制作発表でS作品である『マダム貞奴』を原作としてあげなかったことなど、本件ドラマの制作過程で、当初控訴人作品がどのような扱いをされたのかを含め、本件各証拠上不分明な点がないではない。》と判示し、《本件ドラマの制作過程の説明に矛盾のあることは、控訴人作品を基に本件ドラマが制作されたことを裏付けるものであるとの主張も、独自の見解であり、論理に飛躍がある》(16頁)と判示して、何ゆえ《独自の見解》で《論理に飛躍がある》か、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
四 原審判決(18頁)は、《ドラマ・ストーリーのうち、第4章「日本脱出」第5章「海外巡業」の大部分は、被控訴人作品の題材と筋が控訴人作品と共通していると認められるのであるが、これらの部分についても他の部分と独立して著作物性を認めることができるかは疑問である》と判示し、何故《疑問である》か、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
【第3点】原審判決は「判決理由ニ齟齬」が存在する(民事訴訟法第395条第1項第6号後段)。
一 原審判決(8頁)は、《伝記を含めた文芸作品の主題はその基本的な筋、構成によって表現されているものであって、基本となる筋、主たる構成と離れて存在しているものではない以上、このような文芸作品の翻案の判断においては、あくまでも基本的な筋、構成と一体として考慮すべきものであり、そのような筋、構成と離れて抽出される抽象的な主題そのものの同一性をもってこれを判断すべきではないというべきである》といっている。
 原審判決は、《文芸作品の主題は筋、構成と離れて存在しない》と言いいながら、原審が認定した上告人作品『女優貞奴』の主題を、《抽象的な主題》として判決理由とするのであり、「判決理由ニ齟齬」が存在する。
二 原審判決は、《一部侵害については当審における新たな主張として検討することとするが、》と起筆し、《個々の類似部分について、著作権侵害の認められないことは原判決が詳細に判断しているところである。》(17〜18頁)と、閉じている。
 《新たな主張として検討する》と言いながら、1審判決の反証である《新たな証拠調べ》の判示が皆無であり、《原判決が詳細に判断している》と、1審判決のみを理由とするのは、「判決理由ニ齟齬」が存在する。
三 被上告人作品『春の波濤』の結末について、1審判決は「主題の要約」(95頁)として、《第50回のラストのシーンがあるからといって、本件ドラマの内面形式がこのシーンに表わされているとは言えない》と判示して、なぜ言えないか「判決ニ理由ヲ付」さず、一方、原審判決(9〜10頁の5)は、《この部分は控訴人作品の主題と重なり合う一部にすぎないというべきである」と改める》と判示して、なぜ改めるか「判決ニ理由ヲ付」さず、1審、原審判決とも、「判決ニ理由ヲ付」さない上に、別々の名目で翻案権侵害を否定しており、「判決理由ニ齟齬」がある。
四 原審判決(11頁の7)は、《本件ドラマと控訴人作品とが内面形式の同一性を欠くから、本件ではこれ以上依拠性の判断を進める必要はない》と判示し、20頁では、《内面形式を全体的に比較し、その上で共通性が維持され、かつ、一方が他方に依拠していることが認められるときに初めて侵害となるものである》と判示して、依拠の認定を要件として挙げているのは、「判決理由ニ齟齬」が存在する。
 その上、1審判決(135頁)は、《ドラマ・ストーリーのうち、第4章「日本脱出」第5章「海外巡業」の全部、第6章「女優第1号」の後半部分並びに第7章「劇界改造」の部分は原告作品に依拠して作成されたものとみるべきである》と判示し、依拠の認定をしているから、原審判決は、この点でも「判決理由ニ齟齬」が存在する。
 甲第58号証2〜15頁に例示した「依拠の証拠」には、依拠してそのまま引き写した証拠、依拠してセリフに置き換えた証拠、依拠して翻案改作した証拠、依拠しながら転用して年齢を間違えた証拠、依拠しながら小手先の手直しをして《明治に亡くなった音二郎が大正を苛烈に生きた》と間違う結果になった証拠、つまり依拠しながら隠蔽工作をした証拠、等々が山のようにある。これを上告人件品『女優貞奴』と《同一》でないとして、著作権侵害を否定する原審判決は、「判決理由ニ齟齬」があり、且つ、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
【第4点】1審判決は「法律ニ従ヒテ判決裁判所ヲ構成」しないものである(民事訴訟法第395条第1項第1号)。
一 1審判決は、3人合議制の裁判にもかかわらず、《裁判官後藤博及び裁判官入江猛は、転補につき、署名捺印することができない》として、岡久幸治裁判長のみの署名捺印により、単独の判決文を作成、交付し、3人の合議体を構成しない。
 その経緯は、左記の通りである。
1 1審は、平成4年9月14日、Y3の証人尋問を打ち切り、以後、和解勧告を重ね、平成5年8月25日、「被告は断ったが裁判所はなお努力する」とのことであったが不調に終わり、翌6年1月19日をもって結審、3月28日に判決を言い渡すと告げられた。
2 判決言い渡しは、大幅に延期され6月24日に変更、さらに7月29日に再延期された。
3 再延期された期日は、NHK経営委員会において、Y1NHK会長再任が決定される7月26日の3日後に、設定されたものであった。
4 かくて平成6年7月29日、岡久幸治裁判長のみの署名により交付された判決文は、事実欄「請求原因5(一)」(1審判決8頁)の記載と判決理由欄(88頁)に、重大な齟齬があり、岡久幸治裁判長裁判官が、3人の合議制によらず単独で判決文を改竄し、書き換えたことを糊塗し損ねた塗り残しの跡がある。
5 3人合議制で運営された10年にもわたる裁判の判決が、単独の裁判官のみの署名で交付されることは、必ずしも異例ではないとのことであるが、そうであれば、慣例を悪用し《転補》を口実に単独で判決文を改悪したとしか考えられない大幅な欠落が存在する。
 3人の裁判官の眼があれば、3人が3人揃って、この大きな欠落を見落とすことは、あり得ない。判決は、当事者に交付されるが、また前例となり、公共のものでもある。
6 1審判決は、事実欄の「請求原因」に《5 本件ドラマの原告作品との類似性》と題して、(一)と(二)を挙げながら、理由欄では、いきなり《請求原因5(二)について検討する》として、《請求原因5(一)》に対する判示を、ごっそり削除したものである。
7 「請求原因5(一)」は、平成7年7月10日付控訴人第9回準備書面2〜3丁に詳述した通り、《別紙1》と《別紙2》に続けて、「内容の体系」の一致(甲第43号証)と、主な登場人物の相互関係の設定の一致(甲第13、16号証等)の標題のみを付記して、その証拠である書証を摘示せず、恰も《別紙1、2》が「請求原因5(一)」の証拠であるかの如く見せかけて、被上告人が、いっさい反論も反証も提出し得なかった甲第13、14、16、43号証等を隠したものである。
8 しかも、《別紙1》は、訴状添付個別類似箇所目録1乃至28から、ドラマ・ストーリーを取り除き、被上告人らが、既に詫状(甲第8号証)で《一部転用》を認めた該当個所を除いて《欠番》とするなどして、作り変えたものである。
9 3人の合議体を構成する二人の裁判官が、大きく改悪された1審判決に、署名できないのは当然であり、単独の判決文を交付した岡久幸治裁判長は、「法律ニ従ヒテ判決裁判所ヲ構成」しないものである。
二 原審判決は、その主文で《本件控訴をいずれも棄却》した。従って原審は、「法律ニ従ヒテ判決裁判所ヲ構成」したい1審判決を認容したものである。
1 原審判決(24頁)は、《被控訴人余社と被控訴人Y3が、ドラマ・ストーリーで控訴人作品の文章を転用した表現が数か所あることについてお詫びするとの趣旨の文書が作成され》と詫状(甲第8号証)の一部を摘示しながら、その該当箇所を取り除いた《1審判決別紙1》を復元した甲第58、59号証の判示を欠き、《これらの事実も控訴人の主張を裏付けるには足りない》と判示し、「判決ニ理由ヲ付」さない。
2 また、原審判決(11頁)は、「請求原因5(一)」で書証番号を摘示せず、その判示をごっそり削除した1審判決に、《「甲第13、第14、第16、第43号証も右認定判断を左右するには足りない」を加える》と書証番号のみ付加して、その判示を欠き、何故、《認定判断を左右するには足りない》か、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
3 右1、2とも、原審判決は、1審判決の欺瞞性を承知していたから、1審判決が摘示すらも落とした詫状と「覚書」(甲第61号証の第19の2)、「甲第13、第14、第16、第43号証」の書証番号のみを付加して、1審判決の偽判ないしは犯意を取り繕い、包み隠し、3人の合議制を破って「法律ニ従ヒテ判決裁判所ヲ構成」しない岡久幸治裁判長裁判官単独の1審判決を継承したものである。
【第5点】原審判決は「憲法ノ違背」がある(民事訴訟法第394条前段)。
 原審判決は、著作権法に違背し、職権乱用、裁量権乱用により、裁判の名において被上告人の不正行為を是認したのであり、法の下に公正かつ適正な裁判を受ける国民の権利を害し、憲法に保障された上告人の基本的人権(憲法第11条)を侵し、「憲法ノ違背」がある(民事訴訟法第394条前段)。
 以下、右【第1点】から【第5点】につき、原審判決文の順に沿って詳述する。
第1 原審判決の《第二「当事者の主張」(4〜5頁)について
原審判決は、「当事者の主張」を、
《一 1審判決の事実欄「第二 当事者の主張」に摘示されたところを引用する》
《二 控訴人の主張
 ドラマ・ストーリーが控訴人件品の複製物でないことはあきらかであり、控訴人は原判決別紙3については、一部複製権の侵害を主張している》と記載している。
 原審判決は、当事者双方の主張事実を書き変え、争点と双方の主張を隠した1審判決を引用し、二の《別紙3》についても、左記のとおり、上告人の主張を故意に取り違えて、判示の前提とするものであり、「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」がある。
一 上告人の主張は、左記の通りである。
1 被上告人らは、S著『マダム貞奴』『冥府回廊』を原作表示して『春の波濤』と題する本件ドラマ等を、NHK大河ドラマとして制作、放送、発売した。
2 被上告人作品本件ドラマ等は、S二作品の二次的著作物であるべきところ、S二作品は被上告人作品と本質的に相違する。
3 被上告人作品は、上告人作品『女優貞奴』と本質的に類似し、無断で上告人作品を翻案することにより制作した二次的著作物である。
4 しかも、被上告人らは、『女優貞奴』のエッセンスを自説の如く剽窃した文章を、『NHK大河ドラマ・ストーリー春の波濤』(乙第49号証)その他に発表し、S二作品と被上告人作品との本質的相違を粉飾する隠蔽工作を分担して行っていた。
5 被上告人の行為は、不正な原作表示により、上告人の著作権・著作者人格権を侵害したものであり、計画的、組織的、継続的にNHKの名を悪用し私物化して極めて悪質であり、謝罪と損害賠償により侵害行為を償い、不正な原作表示を取り消すべきである。
二 原審判決は、1審判決が上告人の主張を書き変え、争点の根幹を除去した事実、被上告人が反論反証を放棄した事実、並びに被上告人の主張の破綻と偽証をいっさい摘示していない。即ち、
1 本件の特異性、被上告人が何故かくも本質的に相違するS作品を原作表示したか、その原因(犯行の動機)
2 被上告人が訴訟前に表明した著作権侵害行為
3 被上告人が主張した翻案権侵害を否認する《理論構成》の崩壊
@ 《『女優貞奴』はいっさい使っていない》という被上告人主張の崩壊
A 《『女優貞奴』にはドラマ化権がない》という被上告人主張の崩壊
B 《多くの資料がある》という被上告人主張の破綻
C 《『女優貞奴』は事実を記載した書物である》という被上告人主張の崩壊
D 《『女優貞奴』はフィクションでない》という被上告人主張の反証
E 被上告人作品が上告人作品の内面形式を具備している証拠に、被上告人が反証を出せず反論を放棄している事実
F 《ドラマとドラマ・ストーリーは別》という被上告人主張の反証
4 上告人作品『女優貞奴」の著作物性(特性、独自性)と翻案権の法理
5 被上告人作品本件ドラマ並びにドラマ・ストーリー『春の波濤』の著作物性
6 『春の波濤』の原作表示について被上告人主張の違法性、並びに本件不正表示の張本人たるNHKのY1とS両名の証拠調べの重要性
7 著作者人格権の侵害
8 謝罪広告の必要性
 原審判決は、これらの争点をめぐる当事者双方の主張事実(甲第62号証に詳述)を摘示せず、右1〜6の判示を怠ったまま、7、8を否定し、「判決理由ニ齟齬」が存在する。
三 原審判決は、《「(7)要するに、本件ドラマ等は、控訴人作品の内面的表現形式を維持して、その主題、題材、筋、運び、構成にわたって剽窃したものであって、控訴人作品がその原作であることを感知させる類似がある」》(4頁)という3行を、1審判決に加えると摘示し、上告人の主張を翻案権侵害のみに絞った上に、被上告人作品の属性を無視して、著作権法の二次的著作物の定めに反し、「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」がある。
 原審判決は、本件の請求原因から、
 「1 本件ドラマ等は、上告人作品が具備する外面的、内面的表現形式の一部ないし全部を無断で取り込んで公表しており、剽窃に該当する。」
 「2 本件ドラマ等は、被上告人が原作表示したS二作品と本質的に相違し、その二次的著作物ではない証拠が揃っている。本件ドラマ等をS二作品の二次的著作物として制作、放送、発売した被上告人の行為は、NHKの看板番組枠を通じて広く視聴者に、不正表示の虚偽を撒き散らして、上告人の著作権と著作者人格権を侵害したのであり、原作表示を取り消して公式に謝罪すべきである。」という上告人主張の根幹である右2点を取り除き、審理の対象から外した。
 二次的著作物の属性であり本質であるS二作品と被上告人作品との関係を、1審判決(108頁)は《検討する必要はない》と判示し、原審判決(11、15頁)は《間接的な事実》と誤判して審理しないのは、被上告人作品の属性を認定しないことであり、二次的著作物の属性を定めた著作権法に違反するとの上告人の主張を隠し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
四 原審判決が、《二 控訴人の主張》として、《ドラマ・ストーリーが控訴人作品の複製物でないことは明らかであり、控訴人は原判決別紙3については、一部複製権の侵害を主張している》と記載したのは、上告人の主張を歪曲して、主張を裏付ける書証を判示せず、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
1 原審判決は、1審判決が、上告人の提出した「依拠」の証拠を、故意に《全部複製》の証拠にすり替えた《別紙3》のみ付加し、3年に及ぶ控訴審の肝心の争点と書証を摘示せず判示していない。即ち、
@ 1審判決の不備、不実、不正を主張した控訴人(上告人)第2回乃至第17回準備書面の主張に対する判示がなく、判決理由もない。
A 被上告人が上告人の主張に対して反論反証を放棄した経緯をまとめた控訴人第18回乃至第20回準備書面に判示を欠き、判決理由も付さない。
B ドラマ・ストーリーに関しても、上告人は、ドラマと切り離せない一体のものであり、ドラマと同じく上告人作品の二次的著作物であって、翻案権侵害であり、外面形式(具体的文章表現、個々の細部表現)を引き写した箇所について、その部分を複製権侵害であると、主張した。
2 原審判決は、《一部侵害については当番における新たな主張として検討することとする》(17頁)と記載し、右1の@ABを全て抜き去り、《当審における新たな主張》が《一部侵害》のみであるかの如く装い、右1の@ABを除去した理由を付さない。
3 しかも《別紙3》について、上告人は、かかる主張をしていない。
 1審判決は、被上告人が、既に詫状(甲第8号証)で《一部転用》を認めた該当個所を訴状添付個別類似箇所目録1乃至28から除き、一部複製権侵害を判示しなかった。その上、告人の提出した「依拠」の証拠を《1審判決別紙3》として全部複製の証拠にすり替えて、外面形式の引き写し箇所を埋没させ、一部複製権侵害を判示しなかったのである。それゆえ、上告人は、別紙3はドラマ・ストーリーが被上告人の原作表示したS二作品とも資料とも参考文献とも相違し上告人作品に類似する、即ち「依拠」の証拠であり翻案権侵害の徴憑であって、全部複製の証拠ではないと主張し、故意に取り違えた1審判決に対する反証として、甲第55、58〜60号証を提出した。
4 原審判決は、この反証について判示すべきである。しかるに1審判決が全部複製の証拠としてすり変えた別紙3を、今度は一部複製のみの主張と故意に取り違えて摘示し、上告人の主張を変造したのである。原審判決が審理の対象とする1審判決別紙は、別紙1から6まで、左記のとおり、書証を作り変え、取り違え、甲第43号証(55号証の元本)等剽窃の証拠を判示せず隠し、上告人作品と被上告人作品の内容を変更し、変質させたものであり、判決の前提を欠く。
@ 原審判決が1字脱字を補って摘示した《同別紙1》(1審判決別紙1)は、訴状添付個別類似箇所目録1乃至28から、ドラマ・ストーリーを取り除き、被上告人が右詫状で一部転用を認めた該当個所を除き、あるいは《欠番》とするなどして、本件ドラマとドラマ・ストーリーが一体のものであることを示さない対比表に作り変えられたものである。
 よって上告人は、これを甲第58、59号証に復元し、『春の波濤』という同一題名の本件ドラマとドラマ・ストーリーが、ともに『女優貞奴』を翻案することにより制作された二次的著作物であり、ドラマ・ストーリーは『女優貞奴』の外面形式(具体的文章表現、個々の細部表現)の引き写し、即ち、一部複製権侵害を含むことを立証した。
 原審判決が、甲第58、59号証に対する判断を示さず判決したのは、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
A 別紙2「『女優貞奴』の構図(貞奴を中心とする人物関係鳥瞰図)」は、登場人物から見た『春の波濤』の構図が、括弧内の人名を含めて図の五重円に至るまで、『女優貞奴』と同じであることを示す書証である。被上告人は、これを『NHK大河ドラマ・ストーリー春の波濤』に《配役紹介・登場人物の関係図》としてレイアウトしている。このように同じ構図をもつ作品が、『女優貞奴』と『春の波濤』以外にない事実を、上告人は指摘した。
 原審判決は、これを上告人作品の登場人物として、歴史上実在した人物とのみ判示し、《括弧内の人名を除く》として、被上告人作品の登場人物関係図との一致を判示せず、被上告人作品の登場人物関係図がいかなるものか判示しなかった1審判決(68頁)の不備を放置し、被上告人作品が登場人物関係図の構成、物語の起承転結の構成、ともに上告人作品に一致する事実を判示せず、「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」がある。
B 別紙3「『女優貞奴』・『ドラマ・ストーリー春の波濤』類似個所対比表」は、もともと、1審において、『女優貞奴』の無断使用を全面否認し参考にもしなかったと主張していた被上告人に対して、では、「何に基づいてドラマ・ストーリーを書いたか」明らかにすることを求め、『女優貞奴』を基にしたのでなければ現れない全面にわたる類似を書き上げ、量が多いので目印として、資料、参考文献、S作品とも異なる記述、用語の選択、配列、表記など、引き写し箇所の要(かなめ)にマークを付したものである。
 これを悪用して、1審判決は、全体の複製権侵害にすり替えて著作物性を否認し、個々の具体的文章表現、個々の細部表現の一致ないし類似、即ち一部複製権侵害を判示せず、原審判決は、《これらは殆ど文章中の一句、一段落であり、独立して著作物性を有する範囲のものとは認められず、著作権侵害の認められないことは原判決が詳細に判断しているところである》(17〜18頁)と、目印のところだけを切り離して、判示した。しかも、1審判決は、一部複製権侵害を判示していないのだから、その1審判決を理由とする原審判決は、「判決理由ニ齟齬」がある。
 上告人は、
(一)ドラマ・ストーリーの「内容の体系の類似」を、甲第60号証(第17の2に)に、
(二)ドラマ・ストーリーの個別類似箇所を、甲第58、59号証に、それぞれ立証し、翻案権侵害と一部複製権侵害を主張した。かつ、
(三)甲第60号証第17の1を根拠に、「巻頭言」S著「貞奴に惹かれて」及びY3著「物書き冥利につきるかも」は、上告人の著作物のエッセンスを恰も自説の如く公表したものであり、剽窃であると主張した。S著「貞奴に惹かれて」は、自作とは正反対であり自作に描いた内容を自ら否定するに等しい巻頭言であり、被上告人の原作表示の不正を、その作者本人が自作を『春の波濤』に似せてみせるべく、偽装したものと主張し、甲第60号証により詳しく立証した。
(四)原審判決が、上告人の右主張と立証に対する判断を示さず、依然として《別紙3》のみを対象として、甲第58〜60号証について判示しないのは、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。かつ、この《別紙3》の原審判示は、裁判官の品位を欠く。
C 別紙4「『女優貞奴』の叙述事項」は、《事項》のみを取り出して内面的表現形式を抜き去り、《原告作品において叙述されている事項の要旨は、別紙4「『女優貞奴』の叙述事項」のとおりである》(1審判決68頁)と述べ、《事項の要旨》を『女優貞奴』の内容として内面形式を破壊した上で、翻案権侵害を否定したものである(平成6年10月28日付控訴人第1回準備書面、平成7年2月8日付控訴人第4回準備書面に詳述)。
D 別紙5「『春の波濤』の各回の概要及び構成」は、乙第12号証から各回の標題と、《梗概》の部分を、第1審原告第8回準備書面から構成の部分を、合成して作成されており、被上告人件品『春の波濤』の内面形式、殊に全50回を貫く主題と基本的な筋を判示せず、『春の波濤』の二次的著作物としての著作物性を確定せずに、翻案権侵害を否定したものである(控訴人第1回準備書面、及び平成7年5月11日付控訴人第6回準備書面に詳述)。
E 別紙6「ドラマ・ストーリーの内容」は、《こと、こと、こと》を羅列して内面形式を抜き去り、これを根拠に《控訴人作品とドラマ・ストーリーとを比較すると、その叙述内容は別紙4及び別紙6のとおり相違している》(1審判決112頁)と判示し、外面形式を変更し内面形式も摘示していない《別紙4と5》により複製権侵害と翻案権侵害を否定したのである(控訴人第1回準備書面、及び平成7年5月11日付控訴人第7回準備書面に詳述)。
 原審判決は、上告人の主張を書き変え、証拠を変造し、取り違え、隠して、著作権侵害を否定した《1審判決別紙1乃至6》のみに依り、1審判決の反証である甲号証について判示せず、判示しないためにあらかじめ上告人の主張を曲げて摘示したのであり、違法な手段を講じて「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」を犯した。
第2 原審判決の《第3の一「当裁判所の判断」》(5〜14頁)について
一 原審判決は、《当裁判所も、控訴人の請求は、当審における新たな証拠調べの結果を斟酌してもいずれも理由がないから、これをいずれも棄却すべきものと判断する》として、《その理由は、
@ 原判決の理由欄「一」ないし「六」の説示を、次のとおり加除・訂正のうえ引用するほか、
A 二に付加する判断のとおりである》
と、判示している。
 これは、1審判決の理由欄の不備不正を継承して、1審判決の反証を審理せず、《付加する判断》にも《新たな証拠調べ》の判示を欠き、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
1 原審判決は、被上告人作品本件ドラマ等が何に基づいて作られた二次的著作物か、その著作物性の判示を欠き、誰が主役が、基本的な筋とはどんな筋か、本件ドラマ等の独自性は何か、最も本質的な点を明示しないまま、漫然として具体的な根拠のない言辞を連ね、証拠を無視して著作権侵害なしと判決した。
2 原審判決は、《「甲第13、第14、第16、第43号証も右認定判断を左右するには足りない」を加える》(11頁)と付加して、付加しただけでその内容すら摘示せず、単に、《認定判断を左右するには足りない》と判示し、なぜ《足りない》か「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
二 原審判決は、《当審における新たな証拠調べの結果を勘酌しても》と記載しながら、《新たな証拠調べ》の判示が皆無であり、左記の甲第51号証から甲第62号証の書証番号すら、どこにも摘示せず、これが著作権侵害でないとの判示もなく、《当審における新たな証拠調べ》をしたかのように装ったに過ぎず、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
1 《当審における新たな証拠》とは、甲第51号証から甲第62号証、及び『春の波濤』のVTR(第49、50回放送分)である。これを原審判決は、どこにも摘示せず、判示していない。(第7「結論」の1乃至25をご参照ください)
2 上告人は、被上告人が提出した書証が実際に放送されたドラマと異なり、偽証であることを既に1審で証明し、さらに控訴審において右書証とVTRにより立証した。原審判決は、それも摘示せず、被上告人の偽証と偽装工作を隠して判示していない。
3 被上告人が、右書証に認否すら回避し、反証を出せず反論を放棄し、偽証を重ねたことも摘示せず、判示していない。
4 上告人は、被上告人の原作表示を決定した直接の当事者としてY1NHK会長(当時は専務理事放送総局長)と、S両名の証人調べを申請した。原審判決が、理由を明示せず申請を却下し、《新たな証拠調べ》をしなかったのは、裁量権の乱用である。
5 原審判決は、1審判決による証拠の改竄と、被上告人の偽証がなかったかのように、また、3年にわたる控訴審がなかったかの如く、これらの事実にいっさい沈黙し、判示せず、《斟酌》したかに見せかけて証拠調べを怠り、「判決ニ理由ヲ付」さず、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」を犯した。
三 原審判決は、『女優貞奴』は《伝記的物語》であると改めた上で、1審判決の《貞奴の自我と主体性を問うという視点から》を、《貞奴を女優への偏見に満ちた明治大正の日本で女優の道を開いた開拓者と定義づけ、同人の自我と主体性を問うという視点からあらためて同人を証価すべく、》(控訴審判決5〜6頁)と改めると、判示している(傍線は上告人)。
1 原審判決は、《伝記》を《伝記的物語》と改め、なぜ改めるか「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
2 原審判決は、『女優貞奴』を《伝記的物語》と認定しながら、同時に物語の主題を《定義》と認定しており、「判決理由ニ齟齬」がある。
@ 伝記は、人間を書き、その人物像を造形するものであり、上告人は、貞奴の生涯を通して貞奴とその周辺の人間を書き、新しい貞奴像を描き出した。「女優を激しく爪弾きした明治大正の困難な状況を、貞奴は身をもって切り拓いた」というのは、いまだかって、このように貞奴を表現した作品はないから、上告人の「思想又は感情を創作的に表現したもの」であり、《定義》ではない。
A 定義でないものを《定義》と言えば、著作権の対象にならない。原審判決は、定義でないものを《定義》として、根拠なく用語を操り、著作権の対象外であるかの如く言い回し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
四 原審判決は、1審判決に字句を加え、《58年8月、NHKからの脚本依頼を「被告Y3は、自らのモチーフに新たな登場人物を加えることを条件に」承諾し》、59年5月、米、英、仏を旅行し、その後、《「明治の近代思想史から芸能史にわたる背景を踏まえて展開された男女の葛藤劇を企画して」シナリオ執筆の作業に入り》を加えると判示し、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
1 原審判決は、被上告人Y3が、何を原著作物として、自分の考えを加えると言うのか、それは被上告人作品のどの部分に該当し、著作権法第2条に定められた「原著作物を翻案することにより創作した」二次的著作物の範疇を犯していないか、肝心の判示を欠き、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
@  被上告人NHKは、59年2月29日に《『春の波濤』はS氏がこの作品のために新たに書き下す「冥府回廊」を基に、脚本のY3のオリジナルを加えて》(乙第35号証)と発表し、《58年8月、Y3から、原作にないオリジナリティを加えることを了承してほしい旨申し入れがなされた。本件制作スタッフは、原作者Sの同意を得て、被告Y3の申し入れを了承した》(被告第5回準備書面)と主張している。
A 即ち、被上告人NHKは、未執筆の『冥府回廊』にY3のオリジナルを加えると発表したのであって、『マダム貞奴』に加えるのではない。
B  しかも、『冥府回廊』は、S本人が「昨秋、貞奴をテレビドラマ化したいとの要望がNHKから持ちこまれた」と、59年11月刊行の『冥府回廊』後記(甲第6号証の2の307頁)に書いて公表しているから、昨秋つまり58年秋に初めてこの新作執筆の話が持ち上がったのであって、58年8月には、影も形も無い。
 NHKから、貞奴テレビドラマ化の要望を58年秋に持ちこまれたSが、58年8月、《原作にないオリジナリティを加えることを了承してほしい旨申し入れられても、目を白黒するだけ、何の話か分かる道理がない。
 被上告人Y3は、《Y3のオリジナル》という被上告人NHKの主張を、《私のモチーフと新たな登場人物の追加》(乙第55号証Y3陳述書10頁)と言い換えたが、被上告人の本件ドラマ企画段階の主張は、制作発表の書証乙第35〜37号証により、すべて覆っている。
C原審判決は、被上告人の主張が、物証と矛盾し、虚偽であることを知りながら、隠して判示したのであり、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
2 1審判決は、被上告人Y3が、NHKのスタッフとともに59年3月に被上告人作品『春の波濤』全50回の流れを具体的に検討し、各回の構成案を4月に作成したと判示している。しかるに、原審判決は、とうに企画段階を終えた欧米旅行後の59年5月に《企画して》と付加し、「判決理由ニ齟齬」がある。
@ 被上告人作品『春の波濤』の企画は、59年2月29日に発表されており、NHKが決めたのであって、Y3が企画したのではない。
A 原審判決は、《男女の葛藤劇を企画して》と判示し、同時に《当時の時代背景の中で、愛憎を絡ませながら懸命に生きて行く様を描いており》(20〜21頁)と判示し、《男女の葛藤劇》と判示したり《愛憎絡み》と判示したり、「判決理由ニ齟齬」がある。
3 原審判決は、次いで《「なお、被控訴人Y3は、ドラマ・ストーリーの掲載された雑誌に『物書き冥利につきるかも』との表題のもとに『貞奴を軸としての音二郎、桃介、伊藤博文という三角関係は存在したとしても、ひと味ちがったものになるだろう。だが、桃介の妻である福沢家の次女房子と桃介、貞奴の間には、とくに音二郎の死後、ドロドロとした男女の葛藤ドラマが展開されても不思議はないと考えられる。原作冥府回廊もそのあたりがいちばんの見せ場であるはずだし、そのおいしいところは十分にドラマのうえで展開しようという心づもりである。原作者の了解のもとに、このドラマにも新たな登場人物を何人か加えさせていただいた』『ともあれ、このような躍動的な時代の流れと人物をあたえられて仕事ができるのは、物書き冥利につきるというものだと、感謝しているわけである。』と書いている」をそれぞれ加える。》と判示し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
(一)「物書き冥利につきるかも」(乙第49号証49〜51頁)は、1審判決(109頁)が、《ドラマ・ストーリーが掲載された本件書籍は、本件ドラマの放送開始に合わせて発行された番組視聴者のためのガイドブックであり、他に、S、被告Y3らのエッセイ、本件ドラマの配役の紹介、対談、グラビア特集等が掲載されている》と判示した《本件書籍》所収の一部である。
 原審判決が、単に《エッセイ》とした1審判決の誤りを正すことなく、その一部を1審判決に付加したのは、「判決理由ニ齟齬」がある。
@ 1審判決が、《エッセイ》と偽って判示したのは、本件書籍の巻頭言に掲げられたS著「貞奴に惹かれて」と、「物書き冥利につきるかも」の二つの文章である。
 この2著は、「NHK大河ドラマ『春の波濤』の番組鑑賞の手引き」(乙第49号証の編集後記)として刊行された本件書籍に、原作者と脚色者の弁として掲載された一対の物件である。
A 上告人は、この2著が、被上告人の制作過程を示す客観的証拠であり、上告人作品『女優貞奴』のエッセンスを恰も自説の如く公表したものであって、剽窃であると主張し、S著「貞奴に惹かれて」が自作とは正反対であり、自作と『春の波濤』の本質的相違を隠し、不正な原作表示を取り繕った偽装工作であることを、甲第60号証により立証した。
B 原審判決は、一対の二つの物件から、S著「貞奴に惹かれて」を除外して剽窃の証拠を隠し、判示せず、Y3の「物書き冥利につきるかも」の一部のみを判示し、しかも何を証明するための判示か、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
(二)「物書き冥利につきるかも」は、被上告人Y3が、脚本担当者として脚本の構想を述べ、構成のポイントを披瀝しつつ、主として登場人物とその相互関係などを、甲第60号証の通り上告人作品『女優貞奴』に基づいて書いたものである。
 原審判決は、
《音二郎という男は、貞奴が伊藤博文の権妻であったこと、桃介との間にかつて恋愛感情が存在したことも承知しながら、妻がかかわったこの二人の男と堂々と対面している。そればかりか、演劇改良のために彼らから援助を仰ぐことに何らこだわりを感じていないようにみえる。だから、『貞奴を軸としての音二郎、桃介、伊藤博文という三角関係は存在したとしても、ひと味ちがったものになるだろう。』》
という文章から傍線のくだりのみを判示したものである。
@ この文章は、上告入作品『女優貞奴』の「博文に関して多少の屈折が音二郎にあったとしても、音二郎は大っぴらに夫妻で博文の許に出入りして、とりまきの一人であることを見せつけていた。」をはじめ、貞奴をめぐる音二郎、桃介、伊藤博文の相互関係の設定を、《三角関係》と言いかえて自説の如く剽窃したものである(甲第60号証の6頁)。
A 原審判決は、上告人の立証に対して判示を欠き、さりとて、「物書き冥利につきるかも」が剽窃ではなく、S二作品を翻案することにより創作したY3の《オリジナル》もしくは《モチーフ》であると認定したという判示理由も付きず、「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」がある。
(三)原審判決は、次に
 《『だが、桃介の妻である福沢家の次女房子と桃介、貞奴の間には、とくに音二郎の死後、ドロドロとした男女の葛藤ドラマが展開されても不思議はないと考えられる。原作冥府回廊もそのあたりがいちばんの見せ場であるはずだし、そのおいしいところは十分にドラマのうえで展開しようという心づもりである。原作者の了解のもとに、このドラマにも新たな登場人物を何人か加えさせていただいた。』と書いている。」を加える。》と判示し(傍線は上告人)、この文章の事実関係を認定せず、判示理由も付さず、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
@ Sの巻頭言「貞奴に惹かれて」は『冥府回廊』の主人公房子に一言も触れず、一方、Y3は《原作『冥府回廊』》として、『マダム貞奴』に一言も触れていない。この事実は、被上告人が『マダム貞奴』を原作にしなかった制作発表(乙第35、36号証)に見合う事実であり、Sの巻頭言とY3の「物書き冥利につきるかも」は、どちらも、新作『冥府回廊』が執筆途上で『マダム貞奴』が原作表示に追加されなかった時点、即ち59年7月23日以前に、書かれたものであることを示している。
A Y3が、《見せ場であるはず》《心づもり》というのは、『冥府回廊』を読んでいないことを表す。『冥府回廊』が出来ていなかったから、《そのおいしいところ》はドラマに取り入れる《心づもり》と述べているのであり、『冥府回廊』を翻案することにより脚本を作成したのではない証しである。
B さらにY3は、「物書き冥利につきるかも」に《福沢家の家庭の事情や、電力王としての福沢桃介の業績のひとつひとつは、それはあまり明治・大正の近代史とはかかわりのないことだとして捨象されなければならない》と書いている。《福沢家の家庭の事情や、電力王としての福沢桃介の業績のひとつひとつ》は、『冥府回廊』に書かれた房子の背景であり、『冥府回廊』の内面形式に不可欠である。これを《捨象》するとは、取りも直さず『冥府回廊』を捨てるということであり、現に被上告人作品に『冥府回廊』の内面形式は全く入っていない。
C 被上告人作品『春の波濤』は、上告人作品『女優貞奴』の「房の心中に鬼は宿る」を、「房子の心に棲みついた鬼の存在」として翻案している(甲第60号証の3頁)。
 S作品『冥府回廊』は、『女優貞奴』の「房の心中に鬼は宿る」を、《胸中の深淵から抉り出されたおどろおどろしい鬼形を、かたく閉じた瞼裏に房子は鮮明に幻覚した》と剽窃している(甲第6号証の2の288頁)。
 『春の波濤』と『冥府回廊』が、ともに上告人作品『女優貞奴』を剽窃しているのは、ともに『女優貞奴』を基にして、被上告人は『春の波濤』を、Sは『冥府回廊』を、それぞれに書いて、原著作物と二次的著作物の関係を持たせるべく談合した証拠である。
D その談合の、さらなる証拠が、《『春の波濤』はS氏がこの作品のために新たに書き下ろす「冥府回廊」を基に、脚本のY3のオリジナルを加えて》と公表した制作発表乙第35号証である。
E 《打ち合わせ》という名の談合の上で、実際に執筆された『冥府回廊』の主人公房子は、《貞が桃介に贈った懐中鏡を秘蔵して以来、鏡が貞の眼の玉に変じて見返してくる奇妙な考えにとりつかれるほど、終生嫉妬に苦しみ、諭吉の娘としての意地と誇りに縛られて、けっして桃介を許そうとせず、憎悪と執着の泥沼の底で彼女自身も傷つき通し、憎しみ、怒り、嫉妬を冥府にまで持ち越す》として、京都の桃介と房子の墓で筋を閉じる独自の房子像が形成されている。
F しかし、被上告人Y3の構成・脚本担当による被上告人作品『春の波濤』における房子は、「憎しみも怒りも、すべて諦観の中に消し去ってしまっているかのような房子の風情である」として出番を終える。『春の波濤』は、京都の桃介と房子の墓とは無縁の貞照寺の墓で筋を閉じる。
 被上告人作品『春の波濤』は、房子の筋と人物像すら、嫉妬に身を焼いたあげく「胸中の鬼」をあの世まで持って逝った『冥府回廊』とは本質的に相違し、『女優貞奴』と本質的に類似している。
G つまり、Y3が《『冥府回廊』のいちばんの見せ場であるはず》という《ドロドロとした男女の葛藤ドラマ》は、被上告人作品『春の波濤』に取り入れられず、《そのおいしいところは十分にドラマのうえで展開しようという心づもり》は、《心づもり》に終わって実際には『春の波濤』において展開されていない。
H なお、原審判決は、《「激流の人」の次に「電力王」を加え》と判示(6頁)しているが、『春の波濤』では、被上告人Y3が《電力王としての福沢桃介の業績のひとつひとつは捨象する》と断っており、現に《捨象》されている。また『激流の人』における房子は「心中に鬼は宿」さず、「夫を信じてあげる」妻であり、被上告人『春の波濤』における房子とは決定的に相違する。
(四)次いで原審判決は、
 《原作者の了解のもとに、このドラマにも新たな登場人物を何人か加えさせていただいた。そのひとりは奥平剛史である。(中略)幸徳秋水の大逆事件に巻きこまれて刑死した奥宮健之を模して、私の中では造型されている。他のひとりは黒岩涙香である。》
という文章から傍線のくだりのみを判示し、左記の事実を判示していない。即ち、
@ 奥宮健之と黒岩涙香は、二人とも上告人作品『女優貞奴』に登場する人物であり、うち、万朝報の涙香黒岩周六はS二作品『マダム貞奴』(94頁)『冥府回廊』(甲第6号証の1の273頁)にも登場しているから、《新たな登場人物》ではない。
A 奥宮健之は、自由民権から出発して落語や講談師になって官憲の追跡を凌いだり、はるばるパリ万博にも行った。上告人作品『女優貞奴』では、自由民権の落とし子のような音二郎と共通する経歴の持ち主として、音二郎の性格、生き方を描くために絡ませた脇役であり、欧米巡業を境に政治への野心がふっ切れ演劇に生きる覚悟ができた音二郎を明、政治の世界に止まって大逆事件に巻き込まれていく奥宮健之を暗として、音二郎の演劇人生を語る仕組みは、『女優貞奴』の剽窃(甲第57号証の3〜5頁)である。
B 原審判決は、右@のY3の虚偽を容認し、右Aの指摘に判示を欠き、齟齬があると同時に、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
(五)原審判決は、《『ともあれ、このような躍動的な時代の流れと人物をあたえられて仕事ができるのは、物書き冥利につきるというものだと、感謝しているわけである。』と書いている」をそれぞれ加える。》とのみ判示し(傍線は上告人)、左記の通り、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
@ NHKは時代と人物だけをY3に与えたのではない。オリジナル脚本を注文するのでない限り、発注者は脚本家に原作を与える。被上告人NHKは、上告人作品『女優貞奴』を、Y3、S双方に届けたと証言しており、Y3に『女優貞奴』を与えて翻案を依頼し、それを《Y3のオリジナル》とすることをY3に保証し、これをY3が引き受けたのである。Y3が引き受けたから、制作発表の乙第35号証に《Y3のオリジナルを加え》と書き入れたのである。
A 《時代と人物》をあたえられただけなら、それはオリジナル脚本(著作物)であって、二次的著作物ではない。オリジナル脚本(著作物)は、脚色(二次的著作物)とは扱いが異なり、表示も違えば執筆料も高くなる。
B 本件ドラマは、S件品を原作表示した二次的著作物として公表され、オリジナル脚本として発表されたのではないのに、Y3は、恰もオリジナル脚本を受注したかのように《時代と人物》をあたえられたと言っている。
C Y3は、上告人作品『女優貞奴』を《時代と人物》と言い換え、言い紛らして、『女優貞奴』に基づく構成、主な登場人物の個性と相互関係の設定を、前記(二)@「音二郎の心の屈折」、前記(三)C「房の心中の鬼」、(四)A「奥宮健之を登場させて音二郎の演劇人生を語る仕組み」等々、公然と剽窃し自己のオリジナルとして披歴しており、《Y3のオリジナル》とすることを保証して『女優貞奴』の脚色を依頼した被上告人NHKに感謝しているのである。
(六)以上、被上告人Y3の「物書き冥利につきるかも」と、Sの巻頭言「貞奴に惹かれて」は、被上告人作品の制作過程の途上で書かれ、『女優貞奴』を翻案しながら、S作品を原作表示するための工作を内包し、被上告人NHKが主張する制作過程の矛盾を解明する物証である。
@ 被上告人NHKが制作発表(乙第35号証)に、殊更《Y3のオリジナルを加え》と書き入れたのは、『女優貞奴』の剽窃を《Y3のオリジナル》として糊塗しようと計画した証拠であり、又その実行犯の役をY3が感謝して引き受けた証拠である。NHKが企画して持ちかけY3が乗ったのであって、その逆ではない。
A Y3が『冥府回廊』を捨てると書いたのは、彼が勝手に専横を働いたのではなく、NHKとS、Y3、3者談合の上であり、その証拠は甲第60号証の1〜3頁である。
B 原審判決は、Y3が、『マダム貞奴』と『冥府回廊』を翻案することにより脚本を作成したのではなく、被上告人作品『春の波濤』が『マダム貞奴』『冥府回廊』の二次的著作物ではないことを、外ならぬY3自身が、「物書き冥利につきるかも」の文章において、明かしていることを判示せず、真実を求めず事実を隠し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
五 原審判決は、『女優貞奴』は《伝記的物語》であると改めた上で、文芸作品の主題と題材と筋、構成、に次いで、《伝記を含めた文芸作品の主題はその基本的な筋、構成によって表現されているものであって、基本となる筋、主たる構成と離れて存在しているものではない以上、このような文芸作品の翻案の判断においては、あくまでも基本的な筋、構成と一体として考慮すべきものであり、そのような筋、構成と離れて抽出される抽象的な主題そのものの同一性をもってこれを判断すべきではないというべきである》(控訴審判決8頁)との判示を1審判決に付加し、「判決理由ニ齟齬」が存在する。
1 原審判決は、《基本となる筋・仕組・構成を同じくするもの》を《翻案権侵害の判断の基準》とする1審判決から、密かに仕組みを除外して、齟齬がある上に、なぜ除外したか、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
2 原審判決は、《主題と題材と筋は》と起筆し、《筋、構成において主題が表現される》と受け、《題材》と《構成》が入れ替わり、齟齬がある。
3 原審判決は、《文芸作品の主題は筋、構成と離れて存在しない》といっているのであるから、《筋、構成と離れて抽出される抽象的な主題》というものは、存在しない。存在しないものを云々するナンセンスな判示であり、前段と後段に齟齬がある。
六 原審判決(9頁の4)は、1審判決の字句の一部を改め若しくは加除し、その理由を付さず、上告人作品と被上告人作品の著作物性ないし独自性がどのようなものか認定せず、もっとも基本的な判示を欠き、「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」がある。
七 原審判決は、1審判決が「主題の要約」(95頁)として、《第50回のラストのシーンで示されている、貞の女優としての人生で節目となった各種のエピソードは、いずれも歴史上の事実である。また、このラストのシーンがあるからといって、本件ドラマの内面形式がこのシーンに表わされているとは言えない》と判示した傍線部分を、《「ただ掉尾の『貞奴が開いた女優の道は、近代日本の文化の発展とともに、現代に脈々と受け継がれている』とのナレーションは、控訴人作品の主題にも符合するものと評価できるのであるが、被控訴人のナレーション部分のみが本件ドラマの全体を通して表現された内面形式の中核をなすものとみることは相当でなく、この部分は控訴人作品の主題と重なり合う一部にすぎないというべきである」と改める》(原審判決9〜10頁)と判示し、なぜ《相当でなく》《一部にすぎない》か、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
1 1審判決は《内面形式が表われているとは言えない》と判示して、なぜ《言えない》か「判決ニ理由ヲ付」さず、原審判決は《主題と重なり合う一部にすぎない》と判示して、なぜ《一部にすぎない》か「判決ニ理由ヲ付」さない。
 1審判決、原審判決とも、理由を付さないのは同じだが、別々の名目で翻案権侵害を否認しており、「判決理由ニ齟齬」があり、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
2 原審判決は、17頁で、《著作物の限定された一部についてのみ侵害が及ぶ場合があり》と判示している。しかるに、《控訴人作品の主題にも符合するもの》と認定しながら、《一部にすぎない》とのみ判示し、「判決理由ニ齟齬」がある。
3 一部でも上告人作品の独白性と符合すると認定したのであれば、剽窃であり、この点でも「判決理由ニ齟齬」がある。
4 しかも、原審判決は、被上告人作品自体に相違し、《一部にすぎない》という「判決ニ理由ヲ付」さない。
@ これは、被上告人作品『春の波濤』全50回の結末であり、貞奴の「道成寺」から女優引退まで11カットのモンタージュと同時に画面に流された本件ドラマの締めくくりの言葉であって、《ナレーション》ではない。
 11カットのモンタージュは、全50回に描き出した貞奴の女優人生の節々を取り出して組立てたものであり、11カットはすべて貞奴で構成されている。これが、基本的な筋を表すと同時に、1年にわたる大河ドラマの大河の流れ着いたところである。
 全50回の大河ドラマ『春の波濤』は何を言い、何を語ろうとした作品か、最も大切なこと、即ち主題を明示し語りつくして、終わっているのである。ドラマとは、テーマを骨格とする一つの統一体であり、主題を語りつくしてはじめて終わるシナリオ技法の基本を守って終わっているのである。
A 主題と題材と筋は三位一体不可分であるが故に、11カットのモンタージュは1〜4が物語の筋と構成の承の部、5〜7が転の部、8〜11が結の部から選んで構成されている。これは、『女優貞奴』の筋と構成の起承転結に一致している。その証拠が、甲第53号証の第6「主たる構成」と第8「11カットのモンタージュ」、及び第9「『春の波濤』最終回結末・大河ドラマの大河の流れ着いたところ」である。
 即ち、このモンタージュと締めくくりの言葉は、主題が、題材、筋、主たる構成と一体となって送出されたものであり、《主題の一部》ではなく、《内面形式の中核をなす》主題である。
5 1審判決はモンタージュを《ラストのシーン》と言い変えて締めくくりの言葉を摘示せず隠して《内面形式が表わされていない》と判示し、原審判決はモンタージュと一体の締めくくりの言葉を《ナレーション》と言い変えてモンタージュと切り離し、基本的な節との一体性を隠して、《上告人作品の主題と重なり合う一部にすぎない》と判示した。
 作品自体と齟齬する偽りの判示をして、翻案権侵害を否定する前提とし、「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」がある。
6 被上告人Y3は、このモンタージュの内容を、《半玉の貞―布団の中に長襦袢ひとつで身を堅くしている。横浜港の桟橋で見送る房子―以上の過去のシーンをモンタージュしつつ―》(甲第3号証の5の265頁)と変更し、締めくくりの言葉を除去し、大ラストも除いて『春の波濤』のシナリオを公刊した。放送と違えて出版したのは、第50回放送分VTR収録後のことである。
 これは、上告人と被上告人双方代理人の弁護士による折衝が不調に終わった直後のことであり、被上告人Y3が、かかる小手先の改変を加えたのは、この結末が翻案権侵害の決定打となることを認識していた証拠である。
7 更に、被上告人NHKは、乙第12号証において、最終回最終シーンを「シーン50、締め括りのナレーションに合わせて、貞のいろんな姿がフラッシユバックして…》と記載して、「締め括りのナレーション」の内容を具示せず、モンタージュをフラッシユバックとして用語を違え、《貞のどんな姿》を組み合わせたのかも明示せず隠して、『春の波濤』の放送内容を偽った。即ち、偽証した。
@ モンタージュ(組立)は、「画面のつなぎ合わせによって感情・意志・思想などの流れを表現したもの」であり、フラッシユバックではない。
A 乙第13号証「大河ドラマ『春の波濤』シーン表」はシーン55が最終シーンであり、シーン50を最終シーンとする乙第12号証と食い違うことからも、乙第12号証が偽証であり、著作権侵害の隠蔽工作であることを証明している。
B 被上告人らが、かかる改竄と偽証をしたのは、このモンタージュと締めくくりの言葉が、『春の波濤』全編の結末であり、主題と題材と筋、主たる構成を表し、上告人の著作権・著作者人格権の侵害を露にするからある。
C 上告人は、乙第12号証が偽証であることを、既に1審で証明した。加えて、原審に甲第53号証と、第49回、最終回のVTRを提出した。被上告人らが著作権侵害の隠蔽工作を施し、偽証したことは、確認できる条件にあった。しかるに、1審判決も原審判決も、かかる被上告人の改竄と偽証をいっさい摘示せず、判示から外して、被上告人の偽証を隠したのである。
8 このモンタージュと締めくくりの言葉に表現された主題と題材と筋、主たる構成は、被上告人が原作表示した『マダム貞奴』『冥府回廊』とは似もつかず、本質的に相違し、又、被上告人が乙第120号証に貼りつけて提示したどの参考文献とも本質的に相違する。
 原資料から見つけられるのは個々の題材(全部ではない)に限られ、主題と題材と筋、主たる構成など、全体の仕組みは上告人の独自性であり、被上告人がこれを侵したのである。
9 原審判決は、以上を判示せず、「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」を犯した。
八 原審判決(10頁の6)は、1審判決の字句を一部改め、《「甲第13、第14、第16、第43号証も右認定判断を左右するには足りない」を加える》(11頁)と付加して、何故、《認定判断を左右するには足りない》か、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
1 「甲第13、第14、第16、第43号証」は、上告人作品『女優貞奴』の筋、仕組、主たる構成を、被上告人作品『春の波濤』が取り込み、維持している証拠である。
@ 甲第13号証は、「主題と題材と筋の一致、全体の構造の類似」
A 甲第14号証は、「乙第14号証添付類似箇所目録1〜11に記載の《先行文献》との照合に基づく原告著作の独自性並びに本件ドラマ、ドラマ・ストーリーの類似性・同一性」
B 甲第16号証は、右@の補足として「第1回放送分の類似の実態」
C 甲第43号証は、「<内容の体系(全体と部分の有機的関連)の類似〉に関する争点のまとめ」である。
D また、筋について、昭和62年3月9日付原告第4回準備書面と、平成5年3月4日付原告準備書面14〜16丁に、『女優貞奴』『春の波濤』『マダム貞奴』『冥府回廊』4作を対比して提出した。これは、被上告人作品と被上告人が原作表示したS二作品との本質的相違を示す不正表示の証明である。
 被上告人は、右Dについて、『女優貞奴』には筋がないから翻案権もないと主張(昭和62年5月25日付被告第5回準備書面7〜8丁)しただけで、右@ABCについては、いっさい反論も反証も提出していない。
2 「甲第13、第14、第16、第43号証」は、1審判決摘示の請求原因5(一)の根拠となる書証である。1審判決は、この書証を欠落させ内面形式を判示しなかった。
 これについて、平成7年9月21日付控訴人第13回準備書面に詳述したが、要約すると次の通りである。
3 1審判決(7頁)は、請求原因5(一)として、《本件ドラマには、別紙1「『女優貞奴』・『春の波濤』類似箇所対比表」記載のとおり、@原告作品の表現と類似する箇所が多数存在する上、A貞奴が「女性として主体的に生きて女優業を切り開いた」という内容の主題、B別紙2「『女優貞奴』の構図」に記載されたような人物の関係、C貞奴を主人公とする物語全体の筋とその展開、D貞と桃介の相互関係の設定と展開、E桃介周辺の登場人物(福沢諭吉、その次女・房)の相互関係の設定と展開、F貞と音二郎の相互関係の設定と展開、G貞を伴侶とするまでの音二郎及びその周辺の登場人物の相互関係の設定と展開が類似している》と摘示し、《請求原因5(二)》として、請求原因5(一)から《別紙1》のみを取り出して、摘示した。
4 1審判決は、判決理由欄88頁で、請求原因5(一)をすっとばし、請求原因5(二)のみ判示して、請求原因5(一)を摘示したにも拘わらず判示せず、まるごと欠落させ、請求原因5(一)を無きものにした。しかも、1審判決は、請求原因5(二)も、訴状添付個別類似箇所目録1乃至28からドラマ・ストーリーを抜き去り又は欠番とした《別紙1》を審理の対象として、証拠自体を改竄した。つまり1審判決は、内面形式の書証を除去隠蔽し、個別類似箇所目録を改竄したのである。
5 この1審判決に対して、上告人は、甲第43号証に甲第13の「構造の類似一覧表」と「登場人物の関係一覧表」を添えて甲第55号証とし、甲第51〜62号証と『春の波濤』第49、50回放送VTRを、原審に提出した。
6 しかるに、原審判決は、1審判決が抜き去った「甲第13、第14、第16、第43号証」の書証番号のみを摘示して、その判示を欠き、《当審に於ける新たな証拠調べ》(原審判決5頁)と記載しながら、《当審における新たな証拠》の書証番号の記載すらない。《新たな証拠調べの結果を斟酌してもいずれも理由がない》というばかりで、その判示がいっさいない。《理由がない》という「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
 結局、1審判決が摘示だけして判示を脱落させた請求原因5(一)の@乃至Gに対する審理は為されぬまま放置されたのである。「判決ニ理由ヲ付」さず、不正な手段を弄し、裁判官の任務に背き、裁判の名を汚した判決である。
九 原審判決(11頁の7)は、1審判決の《なお、ドラマ・ストーリー、被告協会が発表した広報資料(乙35ないし37)並びに被告らが本件ドラマの原作であるとするSの『マダム貞奴』及び『冥府回廊』がどのようなものであるかは、依拠性の判断においては重要な判断要素となるが、本件ドラマと原告作品との内面形式の同一性の判断に当たっては、これを検討する必要はないと言うべきである》という判示の傍線部分を、《「とは直接には関係するものではないから、ここで」と改め、》右文末に《そして、本件ドラマと控訴人作品とが内面形式の同一性を欠くことは前示のとおりであるから、本件ではこれ以上依拠性の判断を進める必要はない」を加える》と判示して、被上告人の制作過程を示す客観的証拠である乙35等を審理から外し、著作権法の二次的著作物の規定に違反する。
1 被上告人は、S二作品を原作表示した二次的著作物として本件ドラマ『春の波濤』を制作、放送、発売したのであり、S二作品は被上告人作品の属性であり本質である。
 原審判決が、S二作品との関係を除外して判示しないのは、二次的著作物の規定を無視して被上告人作品の属性を認定しないのであるから、根本的に「判決理由ニ齟齬」があり、著作権法に違反し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」を犯した。
2 被上告人が本件ドラマの企画制作途上で広く世間に公表したものは、ドラマ・ストーリー、乙第35〜37号証に限らず、すべて被上告人の企画制作過程を示す客観的証拠である。被上告人の一部関係者の間でのみ進められた行為についての主張は、これら客観的証拠に照らして公正かつ適正に認定さるべきであり、客観的証拠を検証し照合することを拒む原審判決は、その職務に違反し、「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」がある。
3 原審判決は、
@ 被上告人NHKが『マダム貞奴』と『冥府回廊』を基に企画制作しなかった証拠
A NHKが『女優貞奴』を基に企画制作した証拠
B 『女優貞奴』と『春の波濤』との本質的類似
C 『マダム貞奴』『冥府回廊』と『春の波濤』との本質的相違を審理し判示すべきであったのに、@Cを判示せず、Aの証拠を悉く隠し、Bを示す証拠を隠し又は改竄し、争点を操作し、著作権法に反して、不正判決を敢行し、裁判官の職務を放棄し責任を果たさず、憲法に保証された何人も公正な裁判を受ける権利を阻害し、「憲法ノ違背」がある。
一〇 原審判決(12頁の8)は、1審判決の字句を一部改め、《「しかも、控訴人作品の当該箇所には、貞が音二郎に引幕を贈った事実がはっきり表現されているわけではない。また、13の上段と13a・13bの表現自体を比較しても、類似しているとはいえない」と改める》と判示し、《1審判決別紙3》を故意に誤用して甲第55号証を判示せず、「判決理由ニ齟齬」が存在する。
1 これは、被上告人作品『春の波濤』ドラマ・ストーリーのプロローグ並びにドラマ第1回冒頭の『板垣君遭難実記』の観劇場面である。
2 主人公貞奴と準主人公音二郎を、初めて読者または視聴者に紹介する重要な場面である。甲第55号証の1頁のエの通り、類似している。即ち、
『女優貞奴』
 エ 貞に限らず、名妓たちが競って音二郎に入れあげ、引幕を贈ったりした。
 貞は音二郎に夢中になった。
『春の波濤』
 「おっかさん、見て、あの引幕、あたしが贈ったのよ」
 「そんなに入れあげるほどの男かねえ、まったく!」
 というものである。上告人作品の文章がセリフに脚色されていることは、一目瞭然であり、原審判決が、《類似しているとはいえない》と判示したのは、偽判である。
3 芸者の貞が、養母に、「おっ母さん、見て……あの引幕、あたしが贈ったんだから!」と誇示し、養母が「そんなに入れあげる程の男かねえ、全く!」と応えるセリフで、貞が音二郎に入れあげているのであって、その逆ではないという二人の関係と、貞の積極的な性格を表わしている。
4 つまり「引幕」「入れあげる」「夢中になる」によって、@二人の関係とA貞の積極的な性格を表現している。
5 1〜4により、この重要な場面の内面形式が形成されている。この内面形式を備えているのは、上告人件品『女優貞奴』のみであり、被上告人が上告人作品を翻案することにより創作した証拠である。その端的な現れである「入れあげ」と「引幕」に、傍線などの目印をつけて依拠の証拠として提出したものが、《1審判決別紙3》である。
 上告人が、13の上段『女優貞奴』の「入れあげ」と「引幕を贈ったりした」に対して、『春の波濤』の13a・13bの「いれ上げ」と「あの引き幕、あたしが贈ったのよ」という部分に印を付けたのは、そのような意味である。
6 上告人は、1審判決が、訴状添付個別類似箇所目録1乃至28からドラマ・ストーリーを除去した上に、依拠の証拠である《1審判決別紙3》を故意に全部複製と取り違え、さらに甲第43号証を判示しないで著作権侵害を否定したから、その反証として、甲第55号証を原審に再提出した。
7 しかるに、原審判決は、甲第55号証の「内容の体系」の一致を判示せず、《1審判決別紙3》の目印を盾に《字句》のみ一致すると故意に取り違え方を変更して見せただけで、見当外れの偽判をしたのであり、「判決理由ニ齟齬」が存在し、且つ、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
一一 審判決(13頁の9)は、1審判決のドラマ・ストーリーのうち、《『第六章「女優第1号」の後半部分並びに第七章「劇界改造」の部分は、その叙述内容の大部分が原告作品と共通である』を削り》と判示して、なぜ削るか、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
一二 原審判決14頁に、《「六 本件書籍の出版による複製権侵害の成否について」》と題する判示は、「判決理由ニ齟齬」が存在する。
1 原審判決は、《控訴人は、ドラマ・ストーリー及び人物事典を含む本件書籍が控訴人作品の二次的著作物であるとし、これを前提に本件書籍を出版したことが複製権侵害に当たる旨主張するが》と判示し、上告人の主張を捏造した。
2 原審判決は、《本件書籍の出版による複製権侵害の成否について》と題して、《ドラマ・ストーリー及び人物事典は控訴人作品の翻案には当たらず、したがって、これらは控訴人作品の二次的著作物であるとは言えないから、》と判示し、複製と題しながら翻案でないと判示して標題と食い違い、且つ、《本件書籍の出版が被控訴人の放送権を侵害するものとは言えない》との結論とも食い違い、「判決理由ニ齟齬」がある。
3 上告人の主張は、左記の通りである。
@ 本件書籍所収の「NHK大河ドラマ『春の波濤』(構成Y3)」は上告人作品『女優貞奴』を翻案することにより制作された二次的著作物であって翻案権侵害であり、『女優貞奴』の文章をそのまま引き写した箇所があるから、外面形式(具体的文章表現、個々の細部表現)を盗用した複製権侵害にあたる部分を含む。その証拠は、甲第60号証の2である。
A ドラマ・ストーリーの「プロローグ」乃至「エピローグ」は、被上告人Y3という同一人が、被上告人NHKの立案した同一企画、同一題名のもとに、NHKから渡された上告人作品『女優貞奴』を基に、NHKの指示に従って、『春の波濤』の脚本作成と同一時期に、並行して構成したのであり、ドラマ『春の波濤』の梗概である。
 ドラマ・ストーリーの筋と展開の一致は、ドラマ『春の波濤』が『女優貞奴』の二次的著作物であることの徴憑である。「ドラマとドラマ・ストーリーは別」という被上告人の主張は、根拠がないばかりか、侵害を否認する口実に過ぎず、すでに崩壊している。
B 本件書籍所収のSの巻頭言「貞奴に惹かれて」、並びに被上告人Y3の「物書き冥利につきるかも」は、『女優貞奴』のエッセンスを自説の如く剽窃し、被上告人作品本件ドラマ等の原作不正表示に対する隠蔽工作の証拠である。
C 本件書籍所収の「配役紹介・登場人物の関係図」は、登場人物の構成と関係図が上告人件品の登場人物関係図と一致し、同じ人物構成と関係図を具備する作品が他にない。上告人作品独自の内面形式であり、被上告人作品が上告人作品独自の内面形式を取り込んだ二次的著作物である重要な証左の一つである
D 本件書籍所収の「エピソード人物事典」は、「貞奴と、その周辺の人々をエピソードで紹介」と標題に明記し、被上告人件品『春の波濤』が貞奴を中心とするドラマであることを表示しており、表紙の顔写真を見れば一目瞭然である。『春の波濤』の主人公は4人だと主張する被上告人と《貞奴を重要な主役の一人として》と判示した原審判決の反証である。『春の波濤』の中心人物であり主人公として明示して公表された、その貞奴を紹介するエピソードが、『女優貞奴』からの転載であり著作権侵害である。
4 右@〜Dにより、被上告人らは、二次的著作物の規定に照らして原作の要件を欠くS二作品を原作として不正に表示し、本件ドラマ等を制作、放送、出版し、上告人の著作権・著作者人格権を侵害した。
5 上告人は右の通り主張したのであって、全部複製権侵害を理由に放送権侵害を主張した事実はない。原審判決は、上告人主張に齟齬し、判決に理由がない。
第3 原審判決の《二「付加する当裁判所の判断」の1》「制作過程」(14頁)について
一 原審判決は、《控訴人は、本件ドラマの制作過程についての被控訴人らの説明に矛盾があり、S作品である『マダム貞奴』『冥府回廊』は本件ドラマ等の原作ではないと主張する。》と摘示し、まず、上告人の主張事実を違え、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
1 上告人は、被上告人の主張した制作過程が証拠に整合せず、虚偽であることを実証した。原審判決は、《矛盾があり》とのみ記載し、なぜ矛盾が生じたか判示せず、被上告人の偽証を隠して、上告人の主張を根拠なきが如くに作り違えた。
2 昭和56年を起点とする被上告人の企画段階の主張は、既に、被上告人が昭和59年2月29日に各報道機関に配布した制作発表の内容の証拠である乙第35号証により、すべて崩れ去っている。被上告人は、《新たに書き下ろす『冥府回廊』を基に》と公表し、乙第35、36号証とも『マダム貞奴』を原作とせず、『冥府回廊』は未執筆である。
 被上告人は、この日から脚本作成の具体的作業を開始し、全50回の流れを決め、59年4月12日各回の構成案を作成したと主張し、59年7月23日に追加表示(乙第37号証)するまで原作ではなかった『マダム貞奴』と、未執筆の『冥府回廊』を基に被上告人作品全50回の構成をすることは出来ない。被上告人の制作過程におけるこの事実と、現に被上告人作品にS二作品の《三人の愛憎》をテーマとする基本的な筋が全く取り込まれていない事実、即ち、制作過程と作品の検証、両面からの立証が、上告人の主張の根拠である。
3 原審判決は、被上告人の制作過程の主張の崩壊を摘示せず、公正かつ適正な判示を欠く。
二 原審判決は、右一に次いで《確かに、被控訴人協会が昭和59年2月に行った最初の制作発表で、S件品である『マダム貞奴』を原作としてあげなかったことなど、本件ドラマの制作過程で、当初控訴人作品がどのような扱いをされたのかを含め、本件各証拠上不分明な点がないではない。》と判示している。
 原審判決は、平成7年2月8日付控訴人第5回準備書面に詳述した被上告人の制作過程の主張の破綻を隠して判示しない1審判決の不備不実不正を承知しながら判示せず、ただ《不分明》として、自らの審理不尽を認めながら、制作過程における被上告人の行為の証人調べを怠り、制作過程のどこが何故不分明で、何が分明か摘示せず、被上告人の証拠隠しに加担した。
1 上告人は、平成7年12月5日証拠申請書を提出し、Y1NHK会長(当時の放送総局長)とSの証人調べを求め、左記の通り、「要証事項」を明示した。
@ 『女優貞奴』が出版された三ヶ月後の57年11月、59年分と60年分(本件ドラマ)を検討するために設置されたNHKドラマ部の上層部からなる検討会で、『女優貞奴』が回覧された事実の確認(ちなみに、これは、NHKの定例記者会見の際の取材で聞き知った記者が複数いる。被上告人は《検討委員会に部外者が入ることはない》と的外れな答えをしたのみで、肝心の回覧された事実に対する質問に答えなかった事項)。
A Y1放送総局長が担当専務理事として、昭和58年1月、NHK理事会、経営委員会、中央番組審議会に承認を求めたのは、《マダム貞奴という女優第1号と呼ばれる人を中心とした大河ドラマ》だったか、または《貞奴、音二郎、桃介、房子4人を主人公とする愛憎ドラマ》だったか。(ちなみに、被上告人は4人の愛憎がテーマだと主張しながら葛藤劇と言い換えたりして、S二作品の《3人の愛憎》をテーマとする基本的な筋が『春の波濤』に入っていない)
B NHKとSとY3が、本件ドラマの制作発表前に第1回打合わせ、その後Sの新作執筆終了まで計4回打合わせたとA証人調書(平成2年11月7日15丁裏)にあるが、3者の打合わせで、『女優貞奴』をどのように扱うことになっていたか。
C 上告人が本件ドラマの放送中止を中村論弁護士を通して求めた半月後の昭和60年4月8日、NHKのDドラマ部長が新潮社に交渉に来て、橋田寿賀子のオリジナル脚本と表示して昭和56年に放送したNHK大河ドラマ『おんな太閤記』の登場人物に、Sが創作した仮名を無断使用した問題は、《『マダム貞奴』をドラマ化する約束で解決した》と説明し、上告人の新刊『巌本真理・生きる意味』のドラマ化を申し入れ、《文化の灯を守るために、この交換条件を受けてほしい。Y1放送総局長も承知している》と要請した(甲第33号証)。Y1放送総局長が、NHKとSの密約を指示したのは56年末が、それとも被上告人が《昨年5月の段階で『女優貞奴』を利用しないことをきめている》(昭和60年9月28日『毎日新聞』甲第24号証の2)と公表した59年5月か。
D 被上告人の『春の波濤』制作発表に『マダム貞奴』を原作とせず、原作表示されたのは新たに書き下ろす『冥府回廊』だったが、Sは、『冥府回廊』が『マダム貞奴』の続編であって、新旧2作ワンセットで《3人の愛憎》物語となるという新作の構想を、いつNHKに明かしたか。被上告人が『マダム貞奴』を原作表示に追加した理由の確認。
E Sが、『NHK大河ドラマ・ストーリー春の波濤』の巻頭言に、「貞奴に惹かれて」と題して、新作『冥府回廊』の主人公房子に一言も触れず、自作と正反対で『女優貞奴』にそっくりの貞奴像を書き、一方、NHK視聴者広報室発行の『春の波濤・総合資料』(甲第30号証)には、「『マダム貞奴』と『冥府回廊』に3人の愛憎を描いたからドラマ『春の波濤』もこのテーマを基に展開して行くであろうと」と、相反する《原作者の弁》を発表している事実に関して、巻頭言の執筆時期と経緯の確認。
F Sが、《X氏の貞奴に関する評伝の恩恵にあずかりました》(『冥府回廊』後記)という意味と、『冥府回廊』執筆に至る経緯について、NHKの主張との食い違いが多々ある点について事実関係の確認。
 以上は、被上告人が、『女優貞奴』を基に本件ドラマ等を企画し制作しつつ、S作品を原作表示するために、いかなる工作をし、取り繕ったか、制作過程における被上告人の行為を白日の下にする証拠調べである。原審は、「要証事項」が証拠申請書に書いてあるのを知りながら、理由を付さず証拠調べを却下した上で、《不分明》とした。原審がこの証人申請を却下したのは、裁量権の乱用であり、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
三 原審判決は、右二に続けて《これに関連して、控訴人は、本件ドラマは被控訴人らが原作であるという『マダム貞奴』『冥府回廊』の二次的著作物ではないとし、原判決がこの点の判断を避けていると非難する。しかし、本件ドラマ等とS件品との関係は、本件ドラマ等による控訴人作品に対する著作権侵害を訴訟物とする本訴請求においては、間接的な事実であって、本件ドラマ等が『マダム貞奴』や『冥府回廊』の二次的著作物に当たらないからといって、そのことが直ちに本訴請求の成否につながるわけではない》と判示している。
 原審判決は、本件の請求原因から前記の2点(第一の三の1、2)を落とし、上告人の主張を歪めた摘示を前提にしている。本件ドラマ等とS二作品との関係は、《間接的な事実》ではなく、被上告人作品の属性である。属性を《間接的な事実》と判示した原審判決は、著作権法に違反し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。また、なぜ《本訴請求の成否につながるわけでない》か、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
1 上告人は、@本件ドラマ等の企画制作過程(甲第61、62号証〕、並びにA作品自体を即物的に具体的に対比した書証(甲第51、53〜60号証)、即ち、制作過程と各作品の対比、両面から、『春の波濤』がS二作品の二次的著作物としての要件を欠き、上告人作品の二次的著作物の要件を具備することを実証した。
2 上告人は、原審判決が《不分明》とした制作過程のみを根拠とするのではないから、原審判決が《本件ドラマの制作過程で、不分明な点がないではない。これに関連して》と、一面のみから判示したのは、制作過程を不分明として被上告人の偽証を隠した上に、作品の具体的対比をなおざりにし、『春の波濤』とS二作品との本質的相違を示す証拠類(甲第51号証の第2、甲第53号証の第8、甲第55、59、60号証)と、『春の波濤』と上告人作品との本質的類似を示す証拠類(甲第51、53〜60号証、とりわけ甲第55号証)を摘示せず、判示の前提を欠く。
@ 被上告人作品とS作品との本質的相違、即ち、原作の不正表示が審理の対象であることは、1審において作成された【「要約調書」18〜19丁の(反論)1(二)】に記録されている。【房子の愛憎を主題とする「『冥府回廊』の筋の展開と結末」の要約は原告平成2年3月6日付準備書面第1項3に記載のとおり】、【『マダム貞奴』の細かな筋の展開は、原告昭和62年3月9日付準備書面(4回)添付の筋一覧表記載のとおり】と記載されている。にも拘わらず、1審判決は、本件の請求原因から不正原作表示を除外して、《判断する必要がない》とし、原審判決は、《間接的事実》として審理を怠った。
A 被上告人作品はS作品を原作表示した二次的著作物として発表した以上、原作なしの『春の波濤』は存在せず、訴訟対象物は原作表示のある『春の波濤』である。それが著作権法の定めであり、二次的著作物の属性であり本質である。『春の波濤』は二次的著作物であって、オリジナル作品『春の波濤』というものは存在しない。本件ドラマ等とS作品との関係を、《判断する必要がない》と言い、《間接的事実》と言って審理しない原審判決は、『春の波濤』の属性を剥ぎ、幻の『春の波濤』を審理の対象としたのであって、根本から間違っている。即ち、根本から著作権法に違背している。
四 原審判決が、右三に続けて《したがって、この点につき、原審が判断を示さなかったことは格別不当なこととは認められないし、》という認定は、二次的著作物の属性を無視した違法な認定である。
1 原審判決は、請求原因から被上告人の不正表示を除外し、不正表示に対する被上告人の弁論も除外して判示しない不法を犯したが、被上告人は、原作表示を争点と認識して、左記の通り抗弁している。
 《S作品に対して、被告Y3のオリジナリティが加えられた結果、S作品と本件ドラマとの間に、仮令著作権法上の原著作物・二次的著作物という関係が認め難いと評価されるとしても、本件においては杉本作品こそが本件ドラマ制作の出発点であるという事実に基き、ドラマ創造の源泉を明らかにする趣旨において、S作品を原作と表示しているのであり、また、このような表示例は、特に文芸の領域における著名度および信頼性を獲得した作家の場合などに、世上広く行なわれているところであって、本件においてもこの慣行に従ったもの(S女史も承諾ずみ)であり、何ら問題視されるところはない》(昭和63年10月12日被告準備書面8の1〜3丁)
 《仮に著作権法上の原著作物・二次的著作物の関係を認め難い作品を原作として表示したとしても、放送法に違反したり、公序良俗に違反したりするものでないことはいうまでもない》(平成8年4月23日被控訴人準備書面46頁)
@ この被上告人主張は、まず第1に、《S作品こそが本件ドラマ制作の出発点であるという事実》がない。被上告人らが脚本作成の具体的準備を始めたと主張する昭和59年2月29日の制作発表に、S二作品のうち旧作『マダム貞奴』を原作とせず、原作として発表した新作『冥府回廊』は《新たに書き下ろす》と乙第35号証に公表したのであって未執筆であり、原作になっていない旧作と未だ存在しない新作が、《本件ドラマ創造の源泉》になる道理がないのは明らかである。いわんや、未執筆の新作に基づいて翻案するなどということは、物理的に不可能であり、あらゆる証拠に反する。被上告人主張は、著作権侵害に奔った犯行の動機を《源泉》と言い換えたに過ぎない。
A 第2に、二次的著作物は「著作物を翻案することにより創作した著作物」であり、《S作品に脚本家Y3のオリジナリティが加えられた》ものを、S作品の二次的著作物というのである。『春の波濤』がS二作品に《Y3のオリジナリティ》を加えた二次的著作物なら、S二作品の本質が消えて無くなる訳がなく、《著作権法上の原著作物・二次的著作物という関係が認め難い》ことになる道理がない。
 本当に原作として使ったものなら、《著作権法上の原著作物・二次的著作物という関係》は必ず存在し実証できるから、《評価》次第で原作になったりならなかったりするのではない。原作と二次的著作物の関係は著作権法に定められており、原作か否かは事実の問題であり、曖昧な《評価》ではなく、端的に証拠の有無により立証される。被上告人は、その証拠を、「本件ドラマの企画制作過程」からも、「作品自体の対比」からも、提示できず、かく主張したのである。
B 第3に、被上告人の主張する《慣行》とは、それが被上告人の日頃の《慣行》なら、悪しき慣行であるのは言うまでもない。著作権法第2条に違反し、一般社会常識に反し、文学界、映画界、テレビ界の通念、習慣に反し、学説に合わず、放送法に違反し、公序良俗に反する。
C 被上告人は、《慣行》という著作権法とは別の理由を主張して、著作権法に基づいて原作表示したのではないことを、自ら明らかにした。著作権法の二次的著作物の規定に合わない原作表示の理由を、《慣行に従ったもの》と主張して、不正表示を正当化しようとしたのは、口では著作権法を尊重すると言いながら、実際には著作権法を踏み躙ったのである。特殊法人公共放送NHKとして、存続にかかわる「重大問題」である。
2 原審判決は、被上告人が原作表示を争点として抗弁した事実を隠して判示せず、著作権法に違反してまで、被上告人の原作表示を除外し、被上告人の行為と主張の破綻が露呈されることを防いたのである。右@〜Cについての判示を欠く原審判決は、被上告人の原作表示を審理しないでおくために、二次的著作物の属性であり本質である本件ドラマ等とS作品との関係を除外して著作権法に背いたのであり、「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」を犯した。
五 原審判決が、右四に続いて《本件ドラマの制作過程の説明に矛盾のあることは、控訴人作品『女優貞奴』を基に本件ドラマが制作されたことを裏付けるものであるとの主張も、独自の見解であり、論理に飛躍があると言わざるを得ない》(15〜16頁)と判示したのは、上告人の主張と立証に対する判示を怠り、不正な摘示を前提とする判示である。《論理に飛躍がある》のは、原審判決が、上告人の主張のみならず、被上告人の主張の破綻も隠して判示せず、著作権法に背いて飛躍したのである。
1 被上告人NHKが、二次的著作物の定義に反し、原作の要件を欠くS二作品を原作表示したのは、『おんな太閤記』にSの創作した人名を無断使用した見返りに、『マダム貞奴』をドラマ化する密約をしたためてあり、他に理由がない。
 被上告人は、この密約ゆえに、本件を引き起こしたのであり、この密約こそ、被上告人が原作の不正表示により上告人の著作権・著作者人格権侵害を犯した動機であり原因である、と上告人は指摘し実証したのであって、動機のみを犯行の裏付けとしたのではない。
2 原審判決が、《本件ドラマの制作過程の説明に矛盾のあることは、控訴人作品『女優貞奴』を基に本件ドラマが制作されたことを裏付けるものであるとの主張》と短絡したのは、上告人の主張を適正に摘示せず不法である。
3 1審判決は、被上告人NHKのA証人と被上告人Y3の偽証を摘示せず、被上告人の制作過程の主張を覆す乙第35号証の内容を判示せず、証拠の書き変えまでして、被上告人は上告人作品を《本件ドラマ制作の材料として利用した》(1審判決71頁)と判示し、何故《材料》と判断したか理由を付さず、さらに、本件ドラマの基本的筋については、『女優貞奴』が《資料の一つとして利用されたことからすると、本件ドラマは『女優貞奴』を重要な参考資料として制作されたものと認められる》(1審判決107頁)と判示した。
4 原審判決は、他人の著作物を《材料として利用した》と判示しながら、それがどこか、どのように利用したか、判示せず、制作過程で《材料として利用した》との判示が、被上告人作品の基本的筋の認定では何故《重要な参考資料》という判示に変化するのか、判示に齟齬があり、なぜ《材料》に使ったものが、単に《重要な参考資料》でしかないのか、理由を付さない判示を重ねた1審判決を踏襲して、上告人の主張を歪め、被上告人の主張の虚偽と偽証を隠し続けるために、被上告人の制作過程を分明にせず、単に《説明に矛盾がある》として、どんな矛盾が、なぜ《矛盾がある》のか、「判決ニ理由ヲ付」さない。
5 上告人作品を《材料として利用》し、上告人作品中の作話を無断使用したものは剽窃である。いわんや、基本的な筋を取り込んでいれば翻案権の侵害である。
 原審は、被上告人が上告人作品を《本件ドラマ制作の材料として利用し、重要な参考資料として制作し、ヒント》にしたという1審判決の齟齬を継承して、《勿論、本件ドラマ等が控訴人作品を参考にし、あるいはそこからヒントをえている部分がいくつもある》と記載し(原審判決21頁)、その部分がどことも摘示せず、《参考、ヒント》と認定する根拠がないことを認識しながら、誤判を維持するため故意に制作過程を《不分明》とした。
6 原審判決は、制作過程の証拠調べと事実認定を怠り、犯行の動機・原因を《間接的な事実》として審理しなかった上に、上告人・被上告人双方の主張事実を適正に摘示せず、違法な摘示を前提に、《独自の見解であり、論理に飛躍があると言わざるを得ない》と判示し、何故《独自の見解で、論理に飛躍がある》のか、「判決ニ理由ヲ付」さない。
7 原審判決が、上告人の主張を書き変え、争点と、争点をめぐる審理経過を適正に摘示しないのは、被上告人の原作表示の不正を判示しないためである。S二作品と被上告人作品の関係を判示しないのは、二次的著作物の属性即ち、被上告人作品の本質を判示しないのであり、著作権法に違反し「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
第4 原審判決の《付加する当裁判所の判断の2》「ドラマ・ストーリー」(16〜18頁)について
一 原審判決は、《控訴人は、ドラマ・ストーリー全部の複製権侵害のみを主張しているのではなく、一部の複製権侵害を主張してきたのに、原審はそれに対する判断を欠いていると非難する》と摘示し、故意に主張事実を違え、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
1 前記第1で述べた通り、上告人が《ドラマ・ストーリー全部の複製権侵害》を主張した事実はない。
2 上告人が主張したのは、被上告人の原作表示の不正、並びに翻案権侵害と一部の複製権侵害である。
3 一部の複製権侵害とは、上告人作品『女優貞奴』の文章をそっくり引き写した箇所即ち「外面形式の盗用」であり、被上告人らは、昭和60年1月31日付「お詫び」(甲第8号証)の通り『女優貞奴』の文章から「数ヶ所転用」したと詫び、これを認めている。
4 しかるに1審判決は、訴状添付個別類似箇所目録1乃至28から、被上告人が認めた当該箇所を除去し、欠番などとして変更した《別紙1》を作成して、一部複製権侵害の証拠を隠した上で、依拠の証拠である《別紙3》を故意に《全部の複製権侵害》の証拠としてすりかえ、一部複製権侵害の判示を欠き、さらに内面形式の剽窃即ち翻案権侵害の証拠である甲第13、14、16、43号証を隠蔽し、内面形式を判示せずして翻案権侵害を否定した。
5 また、《ドラマ・ストーリーは本件ドラマの梗概の体裁をとっているが、「ドラマ・ストーリーと放送が異なることがあります。ご了承ください。」と注記されている。》(1審判決109頁)とのみ判示し、ドラマ・ストーリーがドラマの梗概であることを明確に判示せず、《ドラマとドラマ・ストーリーは別》《因果関係がない》と主張して、ドラマ・ストーリーの詫状をドラマと無縁に見せかける被上告人の主張と偽証を隠し、ドラマとドラマ・ストーリーを切り離して判示した。
 既に、被上告人Y3が、《NHKからも早期解決の勧めがあり、私は日本放送出版協会とNHK側で作成した詫状にサインしました。》(乙第55号証36頁)と、詫状が日本放送出版協会とNHKで作られたものであることを陳述したにも拘わらず、それも隠して判示せず、「判決理由ニ齟齬」がある。
6 原審判決は、かかる1審判決に対する上告人の反論と反証を摘示せず、上告人が主張していないことを主張したと摘示し、「判決理由ニ齟齬」がある。且つ、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
二 原審判決は、右一に続いて《しかし、原審における控訴人の主張を精査しても、一部侵害の主張を確定的にした形跡は認められない。例えば、控訴人の昭和63年2月29日付け準備書面では「その盗り方は、盗作執筆者本人でなければ悉く摘出するのは困難なほど、多岐多様にして、『女優貞奴』を丸ごと全面にわたって盗っている。これが本件の特徴であり、部分的な著作権侵害にとどまらず、」と記載している。》と摘示して、「判決理由ニ齟齬」がある。左記の通り、自らの虚偽を隠して、裁判官の資格と品位を疑わしめるものである。
1 《部分的な著作権侵害にとどまらず》とは、ドラマ・ストーリーが『女優貞奴』の二次的著作物、即ち翻案物だからである。しかも『女優貞奴』の内面形式のみならず、外面形式(具体的文章表現、個々の細部表現)を丸ごと引き写した箇所があるから、一部複製権侵害を含む。これが上告人の主張である。
2 ドラマ・ストーリーはプロローグからエピローグまで、全面にわたって上告人作品『女優貞奴』を翻案したものであり、甲第60号証の2「内容の体系の一致」の通り、その取り込み方は、文章の引き写し、又は転用、2度使い、更には、一つの作話をドラマでは貞奴の妹芸者となるイトに、本件書籍『NHK大河ドラマ・ストーリー春の波濤』所収の「人物事典」では、貞奴に使い分けるなど多岐多様である。
3 右の上告人主張と立証に対して、被上告人は、何ひとつ反証をあげられず反論を放棄した。原審判決は《原審における控訴人の主張を精査しても、》と判示し、控訴審に提出した書証を精査したとは判示せず、3年にわたる控訴審の弁論と証拠は精査しなかったというに等しいものである。かかる言辞を弄して、右甲第58、59、60号証がないかのように何ひとつ判断を示さない原審判決は、「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」がある。
4 上告人は、1審判決の反証として、著作権侵害の徴憑である「訴状添付個別類似箇所目録」を甲第58、59号証に復元し、《多岐多様》な侵害を左記の通り分類して提出した。《一部侵害の主張を確定的にした形跡は認められない》との判示は、左記の証拠に照らして虚偽である。
(一)依拠の証拠
(二)一部翻案権侵害の証拠
(1)「主題と基本的な筋」に関する個別類似箇所
(2)「貞奴をめぐる主要な人問関係」に関する個別類似箇所
(3)「個別的な剽窃の類型」
(三) 一部複製権侵害の証拠
(一) 依拠の証拠
@ 「女優の資質と素養」の表記(訴状添付個別類似箇所目録1と13)
A 「女優になるきっかけ」の表現(同目録2と14)
B 「音二郎の出自」の表現(同目録12)
C 「烏森芸者一行の演目」の表記(同目録15)
D 「川上音二郎の銅像」の描写(同目録16)
E 「帝国座の作りとその客足」の表現(同目録17)
F 「芸者名」の表記(同目録18)
G 「経文」のカナ表記(同目録19)
H 「憲法草案の夏、貞が水泳を習うエピソード」の表現・その一(同目録22)
I 「音二郎の落選理由」の表現(同目録23)
J 「川上座を手放す場面」の表現(同目録24)
K 「72歳のサラ・ベルナール」(同目録27)
L 「誓紙と誓詞」(同目録28)
M 「大正を苛烈に生きた音二郎」という表現(1審判決95頁のH主題の要約について)
(二)一部翻案権侵害の証拠
(1)「主題と基本的な筋」に関する個別類似箇所
@ 「貞奴が欧米で舞台にとり組む姿勢」の表現(訴状添付個別類似箇所目録3と25)
A 「女優として立つ決意」の表現(同目録4)
B 「女優としての評価」に関する表現(同目録5)
 イ「オセロ」、口「お伽芝居」、ハ「ハムレット」
C 「女優養成所」に関する表現(同目録6)
D 「音二郎没後の活躍」に関する表現(同目録7)
 イ「トスカの評価」、口「サロメの競演」、ハ「銅像の建立」並びに「川上音二郎の銅像」の描写(同目録16)
E 「女優引退」の原因と筋(同目録8)
(2)「貞奴をめぐる主要な人間関係」に関する個別類似箇所
@ 「貞奴が自分から浜田家へ来た挿話」の表現(訴状添付個別類似箇所目録9)
A 貞が『板垣君遭難実記』を見て、電光石火の如く音二郎と「いっしょになってしまう挿話」の表現(同目録10)
 イ「引幕」、口「日陰者」、ハ「書生が好き」
B 「貞と桃介の出会いから、相思相愛の関係を経て、破恋に終わるまで」の表現(同目録11)
 イ「邂逅」、口「ほのかな初恋」、ハ「別離」
(3)「個別的な剽窃の類型」
@ 「一ツトセ節から官ちゃんと官吏侮辱罪、逮捕のエピソード」(同目録21)〕
A 「憲法草案作成の夏、貞が水泳を習うエピソード」の表現(同目録22)
B 「音二郎の落選に関する表現」(同目録23)
C 「真言の慈救呪文と『人肉質入裁判』の貞のセリフ」の表現(同目録26、19)
D 「とらない」と書かれた色紙を題材とする貞と伊藤博文の相互関係の筋の端緒の作り(同目録28)
(三)一部複製権侵害の証拠(「NHK大河ドラマ・ストーリー春の波濤」が『女優貞奴』の一部複製権侵害である箇所の例示)
@ 「エピソード人物事典」の引き写し(訴状添付個別類似箇所目録20)
A 「女優になるきっかけ」の表現(同目録2と14、1審判決《別紙3》の28イロ)
B 「アメリカ巡業」の表現(1審判決《別紙3》29ハ・「詫状」を持参した日本放送出版協会第2図書編集部長Eが具示した引き写し箇所)
C 「貞奴が欧米で舞台にとり組む姿勢」の表現(同目録3、1審判決《別紙3》の29ホ)
D 「女優として立つ決意」の表現(目録4、1審判決《別紙3》の39b)
E 「川上音二郎の銅像」(写真)の描写(目録16、1審判決《別紙3》の54)
5 甲第58、59号証第16「『春の波濤』が『女優貞奴』の二次的著作物である徴憑」として例示して立証した通り、「依拠」「一部翻案」「一部複製」の証拠が、無数に存在する。原審判決は、上告人が指摘した1審判決の不備不実不正を隠して、甲第58、59号証に対する判示を欠き、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
三 原審判決は、右二に続いて《そこで、一部侵害については当審における新たな主張として検討することとするが、》と起筆した判示を、《個々の類似部分について、著作権侵害の認められないことは原判決が詳細に判断しているところである。》(18頁)と結んで、文頭と文尾が食い違い、「判決理由ニ齟齬」が存在する。
1 1審判決は、依拠の証拠である《別紙3》を、故意に全部複製と取り違えて、請求原因にありもせぬ全部複製権侵害を否定したに過ぎず、一部複製権侵害の判示を欠く。
 1審判決は一部侵害を判示していないのだから、その1審判決を理由とする原審判決の一部侵害の否定は、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
2 原審判決は、《当審における新たな主張として検討する》と言いながら、《当審》に提出された1審判決の反証に対する判示が皆無である。これは、レトリックの誤りであり、虚偽である。裁判官が、持って回った虚偽の判示を記すのは違法であり、裁判官の資格と品位を欠く。
四 原審判決は、右三の起筆に続いて《たしかに著作物の限定された一部についてのみ侵害が及ぶ場合があり、この場合、当然のことながら、侵害されたという部分が特定されること及びその部分が著作物性を有することが要件となるところ、控訴人は、原判決別紙3で、一部複製権侵害の範囲を特定しているとみることができる。しかし、これらは殆ど文章中の一句、一段落であり、独立して著作物性を有する範囲のものとは認められず、個々の類似部分について、著作権侵害の認められないことは原判決が詳細に判断しているところである》と判示し、「判決理由ニ齟齬」がある。

『女優貞奴』
@ 町には既に貞のポスターが張り出してあり、貞が主演女優であるかのように宣伝されていた。(1審判決別紙3の28イ)
A 広告料、電気代なども未払いだったため、衣装道具類を差し押さえられ、劇場から締め出された。(29イ)
B いずれも着いてから劇場を探し、公演が済み次第、夜行に乗るのだった。(29ハ)
C 道中、満足な宿もとれず、衣裳、鬘、道具類を手分けして背負った・・皆草鞋ばきで細紐や縄で縛った重荷をかついだ。従って、汽車に乗っている時だけが休息の時間だった。(29ハ)
D 極限に追いこまれて必死につとめた舞台だった。そこに感動がうまれ、迫力のある舞台となったのだろう。(29ホ)
E 集まった観衆は魅了され、ライリック座の劇場主ホットンに一座の再演をもとめて押しかけた。(29へ)
F 一夜明けると、貞奴はスターだった。・・ホットンの方から出演交渉にやってきた。好条件で話がついた。(30イ)

『春の波濤』
@ 街にはすでに、貞のポスターが貼り出され、まるで彼女が主演女優であるかのように宣伝されているのである。(28a)
A 広告料、電気代なども未払いだったために、一行は衣装、道具類を差し押さえられて劇場から締め出されてしまった。(29a)
B いずれも着いてから劇場を探し、公演がすみしだい夜行列車に乗るのである。(29e)
C 道中はろくな宿もとれず、衣裳、鬘、道具類を手分けして背負い、草鞋ばきで歩き、汽車に乗っている時だけが休息の時間というありさまであった。(29e)
D 極限に追い込まれた一座が死力をふりしぼってつとめた舞台だったので、きっと人々の胸をうったものにちがいない。(29i)
E ホットンのところには、貞奴に魅了された観衆が再演を求めて押しかけていた。(29j)
F 一夜明ければ、貞奴はスターになっていた。ホットンの方から出演交渉にやってきて、好条件で再演の話が決まったのである。(30a)

1 上告人は、前記の通り、甲第59号証の28〜31頁に、(三)一部複製権侵害の証拠(「NHK大河ドラマ・ストーリー春の波濤」が『女優貞奴』の一部複製権侵害である箇所の例示)として、6箇所の文章を摘録し特定している。
2 これは左記に例示する通り文章であって、《文章中の一句、一段落》ではない。かかる原審の判示は、虚偽そのものであり、「判決理由ニ齟齬」がある。
3 甲第58、59号証の備考欄には、資料、参考文献についても注記した。資料とも参考文献類とも、表記、表現が相違し、外面形式(具体的文章表現、個々の細部表現)が異なるから、『女優貞奴』を引き写した証拠であり、外面形式の盗用つまり複製権侵害の証拠である。
4 かくも『女優貞奴』と同じ文章は、『春の波濤』以外に存在しない。上告人作品独自の文章であるから、原審が、《独立して著作物性を有する範囲のものとは認められず》、と判示したのは、「判決理由ニ齟齬」がある。
5 かかる文章の引き写しは、《参考》ではなく剽窃である。こうした複製箇所が随所にあるのは、ドラマ・ストーリーが『女優貞奴』の改作、即ち二次的著作物である証しであり、翻案権侵害の徴憑となる。これを《文章中の一句、一段落》と偽って《一部侵害》を否定した原審判決は、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
五 原審判決は、右四に続いて《ただ、ドラマ・ストーリーのうち、第四章「日本脱出」第五章「海外巡業」の大部分は、被控訴人作品の題材と筋が控訴人作品と共通していると認められるのであるが、これらの部分についても他の部分と独立して著作物性を認めることができるかは疑問であるうえ、右該当箇所の大部分は、原判決も説示するとおり歴史上の事実であるか、先行資料に表れている事実である。これらの点からすると、控訴人の一部侵害の主張は結局採用することができない》と判示し、「判決理由ニ齟齬」がある。
1 原審判決は、《筋が共通している》と認めながら、何故《疑問である》か、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
 被上告は、同じ筋の著作物が他にあるとは主張も立証もしていない。《筋が共通している》著作物が他にない以上、どこにどんな《疑問》があるのか。
2 S作品『マダム貞奴』には《日本脱出》と題する章がある。標題だけは被上告人作品と同じだが、筋は異なる。それ故、被上告人は何も主張せず、原審判決も、上告人作品と《共通している》と判示し、『マダム貞奴』と《共通している》とは判示していない。これは、題が同じでも筋は異なり、題だけ変えても筋が《共通している》実例である。
3 1審判決(135頁)は、《第4章「日本脱出」及び第5章「海外巡業」の全部、第6章「女優第1号」の後半部分並びに第7章「劇界改造」の部分は、そのほとんどの事項が原告作品の叙述事項と共通しているところであり、原告作品独自の表現と類似する箇所もいくつかあることから、この部分は原告作品に依拠して作成されたものとみるべきである》と判示した。
4 原審判決は、傍線の部分を削り、なぜ削ったか判示せず、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
 のみならず、1審判決が判示した第4章「日本脱出」は起承転結の承の部、第5章「海外巡業」第6章「女優第1号」第7章「劇界改造」は転の部であり、構成の一致を示すものである。
 原審判決は、これを分断して《独立して著作物性を認めることができるかは疑問である》とのみ判示し、甲第53号証第6「主たる構成」(内面形式)の一致、及び甲第55号証第12「構造の類似」を示す証拠に肯定も否定もせず判示を欠き、「判決理由ニ齟齬」がある。
5 また、1審判決は《叙述事項と共通》と判示したのに対して、原審判決は《題材と筋が控訴人作品と共通》と判示し、「判決理由ニ齟齬」がある。
6 原審判決が《題材と筋が控訴人作品と共通》と判示したということは、内面形式が共通していると認定したのであるから、個々の《事実》を理由に《一部侵害》を否定するのは、「判決理由ニ齟齬」がある。しかも、事実と事実の間合いに仕組まれたフィクションを区別せず、《事実》であるという「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
7 ドラマ・ストーリーの第4、5、6、7章とは、全体のほぼ半分であり、貞奴の女優活動の筋の大半を占めている。即ち、甲第55号証に立証した「主人公貞が音二郎と結婚し、火の中、水の中を共にくぐり抜け、世界的女優になって帰国し、葛藤の末、近代女優への第一歩を踏み出し、音二郎は演劇に生きる覚悟が出来て、劇界改革をやり遂げる」筋と構成が、同じである。
8 この第4〜7章に限らず、プロローグからエピローグまで、『女優貞奴』の内容の体系を母体とする二次的著作物である証拠は、甲第60号証第17の2(10〜26頁)である。また、甲第60号証は、被上告人作品「NHK大河ドラマ・ストーリー巻の波濤」が被上告人作品NHK大河ドラマ『春の波濤』の梗概である証拠」であり、被上告人の原作表示が不正である証拠である。原審判決は、これを判示せず、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
六 「エピソード人物事典」の貞奴と、本件ドラマのイト
 原審判決は、《本件書籍の出版による複製権侵害の成否について》と題して、《ドラマ・ストーリー及び人物事典は控訴人作品の翻案には当たらず》(原審判決14頁)とちぐはぐな判示をし、「判決理由ニ齟齬」がある。また、結論だけがあって「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
1 上告人は、甲第51号証の第5に、『女優貞奴』の第1章「酒の肴の物語」という作話を対比表にするとともに、この作話の成り立ちを示し、原資料の記述をも注記し、この作話が上告人の創作(フィクション)であることを詳細に立証した。
2 さらに甲第60号証第17の3(26〜28頁)に、右作話が、『ドラマ・ストーリー春の波濤』の「人物事典」に貞奴のエピソードとしてほぼそのまま引き写され、同時にドラマ『春の波濤』に、貞奴と同じく幼くして自分の意志で芸者置屋浜田家の養女になり、さらには負の妹芸者として貞と同じ衣裳で半玉のお披露目をするイトの登場場面に脚色されていることを立証した。つまり被上告人は、「エピソード人物事典」の貞奴と、ドラマのイトに重複して剽窃したのであり、イトが貞奴の分身である証拠であることを立証した。
3 被上告人は、「貞奴は、松坂慶子のみで考える。中途半端な子役はつかわない。役者の年令から考えて、下地っ子は無理であるので半玉からとする」(被告第9回準備書面別紙A2丁)と述べている。ドラマにはこのように現実的な制作条件がある。そこで負の代わりにイトを登場させ、イトをめぐって交わされる貞とその周辺の脇役端役のセリフ並びにナレーションで貞の幼時をイトに仮託する手法がとられたのである。
 イトは貞の分身として登場させたのであり、分身を作って主役を側面から補足するのはシナリオ技法の通例である。イトが貞奴の分身として登場した人物であることを否定する理由がない。
4 これに対して、1審判決は、被上告人NHK制作の『春の波濤』と被上告人日本放送出版協会制作の『NHK大河ドラマ・ストーリー春の波濤』との関連を無視して、別々に《イトを貞の分身とみるのは相当でない》(97頁)、《人物事典は、原告作品の著作権を侵害するものとは言えない》(137頁)と判示した。
5 その反証が甲第60号証第17の3(26〜28頁)であり、1審判決が挙げた理由は、悉く証拠に齟齬する。なかでも、《貞は一旦浜田家から加納家へ引き取られたが、そこの長男が「貞ちゃんは今に僕のお嫁になるる〈「る」が重複〉んだよ」と言うのを聞き、加納家を逃げ出したとの先行資料がある(乙17)》との判示は、資料があるというだけで、その決定的な違いを知りながら隠し、積極的に侵害否定の口実に利用した卑劣な判示であり、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
@ 《乙17》とは「貞奴もの語」と題する新聞連載記事であり、「貞子が10歳の夏、長男は21・2で次男は16・7」と明記され、『女優貞奴』『春の波濤』の「貞が4歳、10歳と5歳の兄弟」とは相違し、貞は5歳,兄弟は10歳以上も年齢が違っている。
A のみならず、《乙17》では、加納家を逃げ出した先が、「深川不動近くの実母の家」であり、親元に逃げ帰ったという話でしかない。4歳の幼児が、葭町の浜田家を捜し当て、自分の意志で芸者の家の子になる『女優貞奴』とは全く異なる話であり、本質的に相違する。《乙17》から負の分身「六つくらいの可愛い女の子のイト」(甲第3<「号」が欠落)証1の112頁)を翻案することはできない。
B 被上告人が、《乙17》に依ったのであれば、考証者の故F氏にかこつけて《F氏が独自に取材して執筆した》と、すぐばれる嘘をついて侵害否認の理由とする必要もないことも、甲第59号証29頁のDに指摘した。
C 「エピソード人物事典」の貞奴欄の文章は、被上告人が原作表示したSの『マダム貞奴』『冥府回廊』のいずれにも皆無であり、イトを翻案する元になるものがない。被上告人の原作表示が不正であることを証明している。
6 1審判決は、右5に続けて《さらに、原告作品の当該箇所は、原告がCから聴取した内容を記載したものである(乙119、証人A)》と判示し、A証言が偽証であることを知りながら隠し、積極的に侵害否定の口実に利用する卑劣な判示を重ねた。
@ 《乙119》は、被上告人が、表紙に《インタビューアーF氏》と記入したのは誤りだったと認めたものである。
A 被上告人は、《インタビューアーF氏》という書き込みと、《―かのう家の……あれをちょっと。》とインタビューアーが切り出す冒頭の言葉を除いて、乙120号証96頁に、再び《乙119》を掲載したが、《F氏》ではないことを認めたのであるから、《乙119》には証拠能力がない。自分で書いた《乙119》を《F氏》としたAの証言は偽証である。
B 被上告人NHKのA証人が、《―かのう家の……あれをちょっと。》と切り出した《かのう家のあれ》とは、『女優貞奴』の第1章「酒の肴の物語」の第1節「4歳の駆込寺」以外にない。『女優貞奴』18頁にCさんの記憶として書いてある《あれ》を繰り返してくれ、という意味であるから、著作権侵害の隠蔽工作のために再話を申し出た記録であることを、《乙119》自体が証明している。それ故に被上告人は、冒頭の言葉を除いて、乙120号証96頁にコピーしたのである。
C 1審判決は、《乙119》の正体を隠して《聴取した内容を記載したもの》と判示したのであり、「判決理由ニ齟齬」がある。
D 《聴取した内容を記載した》共同著作物の場合でも、著作権法第2条第1項第12号は、権利を共有するものと定めており、《聴取》を理由に権利を認めないのは、著作権法に違反する。
7 1審判決は、右6に続けて《そうすると、原告作品の当該箇所の記載内容は、原告の思想又は感情を創作的に表現したもの(独創性のある部分)とは言えないから、人物事典に同じ内容の記載があることをもって(両作品の表現方法は異なっている。)、これが原告作品の複製又は翻案に当たらないことは明らかである。》と判示して、前提を偽り、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
@ 『女優貞奴』の当該箇所は、甲第60号証26〜28頁に摘録した通り、「貞の身の上話」から作ったフィクションに成る挿話の一部である。全編を通して自我と主体性の強い貞奴像を作り出す最初のステップとして創作したものである。
A 甲第51号証第5の1のイの通り、上告人の主題により前後因果律を作って仕組んだものであり、《原告の思想または感情を創作的に表現したもの(独創性のある部分)とは言えない》という判示は、根拠がない。
B 『女優貞奴』は、Cさんの記憶を題材の一つとして、幼時から自主性、主体性を備えた性格の持ち主として貞奴の人物像を作るために、「ついに家運も左前となり、葭町の浜田家に養女にやられ、芸者になった」(『女優貞奴』17頁)という貞奴自身の談話記事がある事実を明示した上で、記事の内容とは反対の「やられたのではなく、自分の意思で芸者になった」というフィクションを作ったのであり、従来の貞奴物語とは決定的に異なる筋と展開である。
C 具体的に文章を対比すれば、被上告人の「エピソード人物事典」の貞奴欄が、甲第60号証26〜28頁に摘録した通り、『女優貞奴』の序章「厄年の決断」の15頁からアをとり、『女優貞奴』第1章「酒の肴の物語」第1節「4歳の駆込寺」の28頁からイを、同17〜18頁からウをとり合成したものであることが、明瞭である。
D 《(両作品の表現方法は異なっている。)》とは、実際に対比してどこがどう異なっているか明示せず、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
8 原審判決は、右1〜7の全てを知りながら、いっさい判示せず、1審判決の不正を隠し、さらに輪をかけて1審判決の文言を加除、改訂し、しかも理由を付さず、偽証を隠すのみならず偽証を根拠に侵害なしと判示したのであり、裁判所の信用と威信を汚し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」が多々ある違法判決である。
 被上告人が反証を出せず反論を放棄しているにも拘わらず、それも隠し、具体的反証のない抽象的荏言辞を弄して不正判決の維持にのみ努め、公正かつ適正な裁判を行わず、「憲法ノ違背」がある。
第5 原審判決の《付加する当裁判所の判断の3》「ドラマ等」(18〜23頁)について
一 原審判決は、《控訴人は、控訴人作品『女優貞奴』は「自我の主体性を自ら培ったが故に、近代日本に女優の道を開いた貞奴」の人物像を、主題、題材、筋、仕組、運び、構成(控訴人の主張する内面形式)のすべてを有機的連鎖でくくった創作であるが、本件ドラマは第1回から最終回まで控訴人作品の内面形式を維持しており、また、本件ドラマは母体である控訴人作品から派生したものであるから、控訴人作品の二次的著作物であると主張し双方間の内面形式の同一性を否定した原判決を非難する》と判示し、@甲第43号証等「内容の体系」と「基本的な筋」「登場人物」の一致を示す書証を隠して判示せずに著作権侵害を否定した1審判決に対する上告人の反論と反証を秘した上に、A『女優貞奴』の独自性、即ち著作物性について判示を欠き、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある(民事訴訟法第394条後段)。
1 上告人が主張し立証した上告人作品『女優貞奴』の特性(主題、基本となる筋、登場人物の構成と相互関係の設定など)は左記の通りである。
(一)主題
 「明治大正の社会は、女優を、河原乞食であり女であることによって二重に排斥し、激しく爪弾きした。貞奴はその困難な状況を身を以て切り拓き、女優を女の職業になし得た最初の人であった。」(15頁)
(二)主題と基本的な筋
 「貞奴は、生まれながらにして、明眸皓歯に恵まれていたが、何よりも精神力において、たちまさっていた。この精神の勁さ(自我と主体性)ばかりは、貞奴が自ら培ったものであり、それゆえに女優の先駆たり得た。」(259頁)
(三)主題と登場人物
@ 貞奴を主人公に、音二郎と桃介をともに貞奴の人生の伴侶として準主人公に、貞奴と音二郎、桃介と房子、二組4人の筋を内包している。
A 養母可免(亀吉)を貞奴の「絶対の援護者」とし、貞奴と音二郎の背後に「有力な理解者」として伊藤博文を配し、「貞を演劇へと駆り立ててやまなかった」音二郎に対して、桃介を音二郎没後の女優活動の絶大な支援者と設定し、
B 欧米巡業を機に「演劇に生きる覚悟」のできた音二郎と明暗をわける奥宮健之を、政治青年上がりで猪突猛進型の新演劇家音二郎の個性を側面から強調する人物として配し、桃介の背後に福沢諭吉と妻房子への謝意と反発、そのアンビバレンス、心の葛藤、妹翠子の兄への肯定と否定の綯い混じった想いなどを絡ませ、
C 女優の生き辛い時代の貞奴の女優活動の意味を脇から補足する人物として、松井須磨子を登場させ、サロメ競演を仕組んでいる。
 これらは、いずれも上告人作品『女優貞奴』の特性であり、独自性である。
 従来の貞奴に関する著作物は、「貞奴がもう一歩踏み出して、例えばついで現れる松井須磨子のように、職業を通じて一般社会に女の地盤を築き固めてほしかったという人もあろう。だが芸者時代しらずしらず身についた彼女なりの分別、芝居の世界と共通点を多く持つ芸者の世界の分別が、貞奴をしてとうていそこまで踏み切らせはしなかった。(土井迪子『近代日本女性史・芸能』47頁)というのが、通説であり、定説化していた。
 それゆえ、書評諸氏は上告人作品に対して、いっせいに「新しい貞奴像が描き出されている」と述べている。
2 上告人の主張は、左記の通りである。
(一)被上告人が、S二作品『マダム貞奴』『冥府回廊』を原作表示した『春の波濤』は、著作権法第2条に定められた原著作物と二次的著作物の要件を欠き、不正表示である。
(二)被上告人は、正規の制作発表として、《Sの未執筆の新作『冥府回廊』を基にY3のオリジナルを加える》と記入した乙第35号証を、報道機関に配布した。
 これは、被上告人作品『春の波濤』とS作品との本質的相違を、《Y3のオリジナル》として原作不正表示をカモフラージュするためであり、周到に計画され根回しされた原作不正表示であったことを示している。
(三)被上告人自ら、《S作品に対して、被告Y3のオリジナリティが加えられた結果、S作品と本件ドラマとの間に、仮令著作権法上の原著作物・二次的著作物という関係が認め難いと評価されるとしても》と主張し、被上告人作品『春の波濤」とS作品との本質的相違を《Y3のオリジナリティ》に帰している。
(四)原著作物と二次的著作物の関係は、著作権法第2条に明確に定義されており、暖昧な《評価》によるのではなく、端的に証拠の有無により立証される。
 上告人は、S作品と被上告人作品の本質的相違を立証した。且つ、被上告人が乙第45号証を発表した日から脚本作成の具体的準備を開始したと主張し、当時、『マダム貞奴』は原作とせず、代わって原作表示された『冥府回廊』は未執筆であるから、S二作品を基にすることは物理的に不可能であり、現に基にしなかったことを明らかにした。
(五)上告人は、被上告人作品が、右1に挙げた上告人作品『女優貞奴』の特性を取り込んで本質的に類似し、上告人作品の二次的著作物であることを立証した。
 且つ、@被上告人が、上告人作品『女優貞奴』の出版直後に、これを入手できたこと。A企画段階から『女優貞奴』を利用し、企画制作発表の文書(乙第35号証)を『女優貞奴』に拠り書いたこと。B被上告人が、『女優貞奴』の出版元新潮社と上告人に《協力要請》をしたのは、乙第35号証を作成し、本件ドラマ全50回の流れを決め各回の構成案を作成した同じ時期であったこと。C《協力要請》を試みたのは、S作品を名目上の原作として『女優貞奴』を翻案しても文句を言われたいように、上告人を本件ドラマの名義上のスタッフとして、原作の不正表示を遂行するための画策であったこと。D《協力》とは不正表示に協力することにほかならず、著作権法第16条、29条を悪用した詐欺であったこと、などを明らかにした。
 被上告人が、何故、こうまでしてS作品を原作表示するのか、その原因と被上告人の犯行の動機をも明らかにした(詳細は平成8年9月26日付X陳述書、及び平成8年12月27日付控訴人第20回準備書面をご覧ください)。
(六)上告人は、1審判決に対する反証として、甲第51〜62号証とVTR(第49、50回放送)を提出し、第1〜20回準備書面より、被上告人が、いかに計画的、組織的、継続的にNHKの名を悪用し私物化して、不正表示により広く視聴者を欺き、上告人の著作権・著作者人格権を侵害したか、作品自体の本質的類似と制作過程の両面から立証した。
(七)被上告人は、甲第51〜62号証と『春の波濤』のVTR(第49、50回放送)に対する反証をいっさい出せず、反論を放棄した。
(八)上告人は、被上告人が原作を偽り著作権法第2条に違反し、原作を不正表示(同第121条)し、上告人の専有する翻案権と一部複製権(同第27、28条)、放送権(同第23条)、著作者人格権(公表権同第18条、氏名表示権同第19条)を侵害した科により、『春の波濤』の原作表示を取り消し、謝罪広告と損害賠償を求める。
 原審判決は、上告人の主張と立証を隠して判示せず、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
3 原審判決は、《また、本件ドラマは母体である控訴人作品から派生したものであるから、控訴人作品の二次的著作物であると主張し》と判示して、右2の上告人主張を欠落させ、「判決理由ニ齟齬」がある。
 《派生したもの》を《二次的著作物》というのであり、《派生したもの》=《二次的著作物》であって、《派生》が《二次的著作物》の理由になるのではない。原審判決の文章自体に齟齬があり、上告人は、《派生したものであるから、二次的著作物である》などと主張しない。
4 原審判決は、被上告人がS二作品を原作表示したからには、被上告人作品の属性であり本質であるS二作品を、《間接的事実》(原審判決15頁)とか《直接には関係するものではない》(原審判決11頁)と判示し、被上告人作品の属性を無視して被上告人の原作表示を請求原因から剥ぎ取ったのであり、法の番人であるべき裁判官が著作権法を踏み躙り、「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」がある。
二 原審判決(19頁)は、右一に続けて、《これに対し、当裁判所も、控訴人作品の性格、内容それ自体については、基本的には原判決説示のように説明するのが相当であると判断するのであるが》と判示し、上告人は上告人作品『女優貞奴』の著作物性、独自性の認定と被上告人作品『春の波濤』との本質的類似(右一の1と2)の判定を求めたのであり、上告人作品の《性格、内容の説明》を求めたのではないから、「判決理由ニ齟齬」がある。
1 1審判決(76頁)は、翻案権侵害の要件として、《内面的表現形式すなわち@作品の筋の運び、Aストーリーの展開、B背景、環境の設定、C人物の出し入れ、Dその人物の個性の持たせ方など、文章を構成する上での内的な要素(E基本となる筋・F仕組み・G主たる構成)を同じくするもの》と、内面形式とは何かを例示したが、では、上告人作品の「筋の運び」はどのようなものか、「ストーリーの展開」はどのようなものか、「背景、環境の設定」はどのようなものか、「人物の出し入れ、その人物の個性の持たせ方」はどのようなものか、「基本となる筋」は何か、「その仕組み」はいかなるものか、「主たる構成」はどうなっているか、@からGまで、どれ一つとして判示していない。
2 右1の指摘に対して、原審判決も、上告人作品の内面形式の判示を欠き、右一の1と2の(一)乃至(七)をいっさい判示せず、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
3 著作物の内面形式は、見て直ぐ分かる外面形式とは違って、分析しなければ分からない。本件は、原作の不正表示による著作権侵害であり、牛乳の不正表示事件と共通するところがある。全酪連が水増し牛乳を無調整と偽って売っていた不正表示事件が摘発された。水増し調整牛乳の不正表示も、原作を偽った『春の波濤』の不正表示も、どちらも、一般の消費者や視聴者は、中身の成分を分析し調べてから飲んだり見たりするのではないことを悪用して、全酪連、NHKの名前で計画的継続的に広く世間を騙し続ける行為であった点が共通している。
 原審判決は、1審判決を踏襲して内面形式を判示せず、甲第51〜55号証を否定も肯定もせずに著作権侵害なしと判決したのであり、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
三 原審判決(20頁)は、右二に続いて、「維持」「同一性」「派生」を、《用語の問題でもある》として、《当裁判所としても、同一性の名のもとに、控訴人の批判するような全て同一性を求めるものではないのである》と判示し、甲第51、52号証に摘録した著作権法の「著作物」と「二次的著作物」の定義、「翻案」の語義、並びに「翻案の法理」、及び「シナリオの基本」の認定を怠り、「判決理由ニ齟齬」がある。
四 原審判決は、右三に続いて、《再説すれば、筋、仕組み、主たる構成の内面形式を全体的に比較し、その上で共通性が維持され、かつ、一方が他方に依拠していることが認められるときに初めて侵害となるものである(ただし、作品の主題のみを抽出して、その類似の有無を比較することは意味がなく、このことは先に説示のとおりである)》と1審判決に付加して、重ねて翻案権の法理を曲げ、著作権法に背き、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
五 原審判決(20頁)は、右四に続いて、《しかるところ、本件ドラマは、原判決説示のように、@貞奴を重要な主役の一人として、A歴史上実在した人物あるいは実在しなかった多様な人物を登場させる中で、B貞奴がそれらの人達の励ましを受けつつ力強く成長していく姿を描く一方、C当時の時代背景の中で、D貞奴、川上音二郎、福沢桃介、福沢房子らが愛憎を絡ませながら懸命に生きて行く様を描いており、E決して貞奴一人だけの物語ではないし、》と判示し、この判示が、なぜ翻案権侵害を否定する理由となるか、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。かつ、1審判決と「判決理由ニ齟齬」が存在する。
 この@乃至Eは、すべて被上告人が、上告人作品を翻案することにより創作したものであることを立証ずみである。原審判決は、@乃至Eが上告人作品を翻案したものでないという理由を付さず、翻案権侵害成否の要件の検証を悉く欠いている。
@ 主題が最も重要と判示しながら、主題は何か、の判示を欠き、
A 主人公は誰か、多様な登場人物がどのようた性格に設定され、どんな相互関係で配置されているか、の判示を欠き、
B 基本的な筋は何か、の判示を欠き、
C どのような時代背景、環境を設定しているか、の判示を欠き、
D 筋をどのように運んでいるか、その仕組みの判示を欠き、
E 《決して貞奴一人だけの物語で》なければ、何の物語か、物語の起承転結をどう構成しているか、の判示を欠く。
 二次的著作物は「原著作物を翻案することにより創作した著作物」であるという二次的著作物の属性、即ち、被上告人作品『春の波濤』の著作物性の判示を欠き、著作権裁判にあるまじき杜撰な欠陥判決と言わざるを得ないものである。
1 原審判決は、まず《原判決説示のように》と判示しているが、1審判決(83頁)は、《貞奴が最も重要な主役であり、全回にわたって登場する》のは唯一人貞奴のみであると判示している。
 しかるに原審判決は、《貞奴を重要な主役の一人として》と、他にも《重要な主役》がいるが如くに判示し、《原判決説示》とは違うから「判決理由ニ齟齬」がある。
@ 1審判決は、貞奴に次いで《他の主要人物の描写》(85頁)として、音二郎、桃介、房子、松井須磨子を挙げているのに対して、原審判決は、貞奴を《重要な主役の一人》と判示しながら、他に誰が《重要な主役》か《重要でない主役》か判示を欠く上に、なぜ貞奴が主役ではなく《主役の一人》なのか、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
A しかも1審判決(85頁)は、《貞奴の描き方も、主役として、自我と主体性を有する人間として描かれてはいる》と、上告人作品との同一性を認定したにも拘わらず、原審判決は、《決して貞奴一人だけの物語ではないし》と付加して、それが上告人作品との相違であるかの如く判示し、「判決理由=齟齬」がある。
2 原審判決は、《多様な人物を登場させる中で》とか《それらの人達》とのみ判示し、《多様な人物》とはどのような登場人物か判示せず、甲第55号証第13『女優貞奴』の「登場人物の関係」一覧表と、『春の波濤』の「配役紹介・登場人物の関係図」(乙第49号証所収)の一致に対する判示を欠き、《多様な登場人物》の配置、作品全体の人物構成とその関係図が、上告人作品に一致する事実を隠し、何故これが翻案権侵害否定の理由になるか、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
@ 被上告人作品は、貞奴を中心に、「音二郎=貞奴=桃介一房」という構図であり、音二郎と桃介は貞奴の相手役で準主人公である。房子は「心中に鬼は宿る」歳月の果てに諦観にも似た境地に至る設定で描かれ、上告人作品『女優貞奴』と同じである。被上告人が主張した《4人の輪っぱ》という構図もない。末端に位置する房は脇役であって軸でないことは、誰にでもわかる。貞奴が『春の波濤』の主人公であることは、本件書籍(乙第49号証)の表紙を見れば、一目瞭然である。
ア 本件書籍所収の「エピソード人物事典」も、「貞奴と、その周辺の人々をエピソードで紹介」とわざわざ断って、『春の波濤』が貞奴を中心とするドラマであることを明示している。房子は「エピソード人物事典」に載ってさえいない。
イ 被上告人が、乙第35号証に、《主軸となる4人》として発表したのは、著作権侵害の隠蔽工作であって、NHKのA証人が、《4人の中では貞奴を軸にします》(平成3年6月26日A証人調書43頁)と証言し、既に被上告人自身が被上告人作品の主役は貞奴であると認めている。
ウ 《本件ドラマの企画段階における独自性》と称する被上告人NHKの主張は、乙第35号証により瓦解したのであり、乙第35号証は、被上告人の制作過程の主張を悉く覆す重要な証拠物件である。且つ、乙第35号証の《主軸となる4人》と《Y3のオリジナルを加えて》という2件は、被上告人が著作権侵害を隠すために工作した2大偽装ポイントであり、本件が計画的、組織的犯罪であった証左である。
工 それ故に、原審判決は、乙第35号証と被上告人作品との照合を回避して判示せず、貞奴を《主役の一人》と判示し、『春の波濤』の主役と全50回を貫くテーマは何か、筋は何か、いっさい判示しなかったのである。かくて、翻案権侵害を否定する原審判決は、証拠に基づかず、法廷内の口頭弁論(準備書面)における被上告人の主張の破綻、崩壊を隠し、公正かつ適正な裁判を義務づけられた裁判官の任務に背いたものと言わざるを得ない。
A 《実在しなかった人物》とは、イト(貞奴と同じ浜田屋の養女になり貞奴の妹芸者になる人物・貞奴の分身)、車夫の又吉(車会党を人格化し狂言廻しに仕立てた脚色上の人物)、琴次(民権芸者の仮名)、奥平剛史(奥宮健之の変名)、野島覚造(『オセロ』を脚色した江見水蔭、桃介の妹翠子の夫杉浦非水等を合成した人物)、麟介(藤沢浅二郎の変名)、桜木(高田実外川上一座の座員を合成した変名)、八重子(音二郎の実子雷吉の実母の仮名)など、脚色上設けられた脇役端役であり、いずれも上告人作品『女優貞奴』を翻案することにより案出される人物である。また、被上告人作品には実在の景山英子を《日野山英子》、小かね、とん子、清香を《小かね、トン子、清子》とするなど上告人作品の引き写しを隠す以外に理由のない無用の変名もある。この芸者名は別々の資料にばらばらに出てくるのであり同じ順序に連なって出てくるのではないから上告人作品を引き写した証拠であり、Sも『冥府回廊』(甲第6号証の1の258頁)にそっくり引き写している。
(一)これら、二次的著作物として独自の《実在しなかった人物》といえども、すべて上告人作品『女優貞奴』を翻案することにより創出された人物であって、被上告人作品『春の波濤』が上告人作品の翻案物・即ち二次的著作物であることを否定する理由にならない。
(二)被上告人が原作表示したS二作品には、被上告人がこれらの《実在しなかった人物》を案出する元になる人物が書き込まれていない。被上告人の原作表示が不正表示である所以である。
(三)原審判決は、上告人の右の主張と立証にも何ら否定も肯定もせず、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
B 《多様な人物》とは、貞奴を中心に、その周辺に配した人物すべて、人物関係鳥瞰図の括弧内の人名を含めて図の五重円に至るまで、『女優貞奴』と同じである。
 このように同じ構図に成る作品は、『女優貞奴』と『春の波濤』以外にないのであり、被上告人作品が上告人作品独自の内面形式を取り込んだ二次的著作物である証拠である。
C 被上告人が原作表示したS二作品いずれも人物構成、人物関係が異なり、被上告人作品がS二作品の二次的著作物ではなく、原作を不正に表示した証拠である。
3 原審判決の《貞奴がそれらの人達の励ましを受けつつ》という判示も、どのような登場人物のいかなる励ましか判示せず、何故それが翻案権侵害否定の理由になるか、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
 音二郎と桃介をともに貞奴の伴侶とし《音二郎死後の桃介との関係は、車の両輪の如く》(乙第35号証)に配したのは上告人作品の独創であり、被上告人作品も《同志》と設定して、S作品『マダム貞奴』が桃介を復讐の相手とする設定とは本質的相違がある。
@ 貞を演劇へと駆り立ててやまなかった音二郎、A楽屋に詰め切りで貞奴の面倒を見る桃介、次いでB養母可免(亀吉)を貞奴の「絶対の援護者」とし、C伊藤博文を貞奴と音二郎の支援者と設定し、D葭町の芸妓時代の仲間が大連(観劇団体)を組んで劇場に詰めかけたり、E東京の劇評家が酷評しても劇場を満員にする各地の観客の支持などを筋立てたのは上告人作品の独自性であり、以上いずれも、《励ましを受けつつ》とする内面形式も上告人作品の翻案であると、既に立証ずみであり、原審判決は、これを判示せず否定もしていない。
4 原審判示の《貞奴が力強く成長していく姿》とは、貞奴が自らの意志で音二郎を夫に選び、芸者から妻へ、妻から女優へ、翻身のドラマを描いた上告人作品の特性を、被上告人が取り込んだものである。原審判決は、何故これが翻案権侵害否定の理由になるか、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
5 原審判決は、《一方、当時の時代背景の中で》と判示して、何を時代背景として仕組んでいるか具示せず、左記の証拠を無視して「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
 即ち、甲第53号証第7「背景、環境の設定」(内面形式)の
@ 貞奴の幼時、小奴、奴時代を描くための背景、環境の設定から、
D 貞奴が女であり妾と見られて排斥される時代背景、女の身持ちをめぐる社会環境の設定に至るまで、悉く被上告人作品に取り込まれている。
6 原審判決は、《貞奴、川上音二郎、福沢桃介、福沢房子らが愛憎を絡ませながら懸命に生きて行く様を描いており》と判示し、その筋と展開、作品に表現されている4人の人物像を具示せず、甲第54号証第10『主要人物4人の「個性の持たせ方」(内面形式)の一致』に対して、翻案権侵害にあらずとする「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
@ 主人公貞奴の筋と人物像=自我と主体性(気性の強さ、芯の強さ)を自ら培ったが故に、近代日本に女優の道を開いたとする貞奴像
A 準主人公音二郎の筋と人物像=貞が夢中になった相手として、新演劇(書生演劇)の東京公演に成功したところから音二郎を登場させ、政治に野望を抱く政治青年が、その活力と反骨をバネに新演劇の道を開いたとする音二郎像
B 準主人公桃介の筋と人物像=意気軒昂な若者が福沢諭吉主導の婚姻を受け入れながら貞奴を愛し、貞奴の伴侶となって事業に成功しながら反故と化した婚姻の覚書に漸愧の念を抱く桃介像
C 脇役房子の筋と人物像=父福沢諭吉により、男尊女卑の旧弊を払い一家の美を致すよう期待されて桃介と結婚したが、やがて身も心も通わない関係に苦しみ、「心中に鬼は宿る」歳月の果てに諦め自己の殻にこもる房夫人像
(一)原審判決が判示した《貞奴、川上音二郎、福沢桃介、福沢房子らが愛憎を絡ませながら懸命に生きて行く様》とは、右@ABCと、どこがどう違うのか、原審判決は証拠によらず、証拠に反して翻案権侵害を否定し、「判決ニ影響ヲ及ぼすコト明ナル法令ノ違反」がある。
(二)被上告人が原作表示したS二作品は、右@ABC悉く相違する。被上告人の原作表示が不正表示である証拠である。
7 上告人は、右2〜6の内面形式の一致を既に立証し、いずれも他の著作物と異なる上告人作品『女優貞奴』の特性であり、これを取り込んだ被上告人作品は上告人作品の翻案物であり、翻案権侵害であると主張した。被上告人は反証を挙げられず反論を放棄している。これを隠して判示せず、なきものにした原審判決は、職権乱用、裁量権乱用であり、根拠のない言辞を列ねて証拠に反し、杜撰にして、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
8 以上、原審判決が、《決して貞好一人だけの物語ではないし、》として、《本件控訴はいずれも理由がない》という判示の反証であり、原審判決は、これを判示せず「判決ニ理由ヲ付」さない。
六 原審判決は,右に続いて、《しかも、控訴人作品で控訴人が描出したという貞奴自身の生き方と、本件ドラマにおける同人自身の生き方とは、共通性もあるものの、決して同一に構成されているわけではない》とのみ判示し、何が《共通》で、どの部分が《決して同一に構成されていない》か明示せず、脚色上の運びを《構成》と誤称し、翻案権侵害を否定する「判決理由ニ齟齬」がある。
 上告人は、甲第53号証第6「主たる構成」の一致を立証ずみであり、被上告人は反証を挙げられず反論を放棄した。原審判決がこの事実を秘して判示しないのは、翻案権侵害を否定する「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
七 原審判決は、右六に続いて、《たしかに、本件ドラマ等の貞奴の描写に関する限りにおいては、その主題、筋、題材においては一部重なり合うところがあるが、これは、@貞奴が比較的近時における実在の人物であり、A先行資料も極めて多く、B双方の作品において、同一のものが多数参考にされていることからして、C不可避の面があると言わざるをえない。》と判示し、「判決理由ニ齟齬」がある。
1 原審判決は、17頁で、《たしかに著作物の限定された一部についてのみ侵害が及ぶ場合があり、この場合、当然のことながら、侵害されたという部分が特定されること及びその部分が著作物性を有することが要件となる》と判示したから、当然のことながら、《その主題、筋、題材においては一部重なり合うところ》を特定し、《著作物性を有しない》と判示することが、侵害を否定する要件となる。
 しかるに原審判決は、特定もせず、@ABを理由にC《不可避》と言うのみで、《著作物性を有しない》とは判示していないから、「判決理由ニ齟齬」がある。
2 上告人は、剽窃の語義を、「他人の著作権のある著作物を、その著作権者の承諾を得ることなく、一部または全部を取り込んで公表することは、いわゆる剽窃であって、他人の著作権を侵害するものである」(「マッド.アマノ事件」東京地裁の判旨)に準拠して、被上告人による剽窃を具示したのである。
 著作物の《主題、筋、題材》が、一部または全部《重なり合う》のは、剽窃以外の何物でもない。
3 上告人作品『女優貞奴』と、被上告人が原作表示したS作品『マダム貞奴』は、右原審判決@の通り、実在した人物であり、しかも同一人物である。Aの資料もあり、B同一のものが参考にされている。而して《重なり合う》のは、個々の素材の一部のみである。主題、題材、筋が異なり、登場人物が異なり、その個性と相互関係が異なり、運び、構成にわたってすべての内面・外面形式が異なり、正反対の貞奴像が造形されている。
 原審判決が、C《不可避》と判示した理由に掲げた@ABは悉く「判決理由ニ齟齬」がある。
4 原審判決は、前段一の1に具示した「定説」と異なる上告人作品『女優貞奴』の独自性を、原審判決6頁で《定義》として故意に誤判した上で、21頁で《不可避》という理由で翻案権侵害を否定したのであり、「判決理由ニ齟齬」が多数重なって存在する。
 ちなみに、S作品は、「定説」どおりの貞奴を描いているが、それでも『マダム貞奴』の主題、題材、筋、運び、構成と同じ著作物はないのであり、著作物がそれぞれに独自のものであるのは中学生にも分かる常識であって、原審判決は、非常識を通り越して反社会的である。
5 1審判決(76頁)が、《事実に基づく筋の運びやストーリーの展開が同一であっても、それは、著作物の内面形式の同一性を基礎付けるものとは言えない》と判示したのは、著作権法第10条第2項「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、著作物に該当しない」を誤用した誤判であると、既に上告人は指摘した。
 原審判決は、この1審判決を改めることなく、付加して《不可避》と判示したのであり、《基礎付けない》とする1審判決理由と《不可避》とする原審判決理由では「判決理由ニ齟齬」がある。
八 原審判決は、右七に続いて、《勿論、本件ドラマ等が控訴人作品を参考にし、あるいはそこからヒントをえている部分がいくつもあること、特にドラマ・ストーリーにおいては、何箇所かその文章の1句そのものを転用している事実のあることは原判決説示のとおりであり、当裁判所も、これと見解を一にするものである。》と判示し、既に立証した1審判決の不備不実不正を繰り返すのみで、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
1 上告人は、《参考》《ヒント》等の語義を明示した上で、1審判決が、剽窃を《参考》《ヒント》又は《材料》などとすりかえており、翻案権侵害を否定する理由のないことを、平成7年7月10日付控訴人第9回準備書面「翻案権侵害の成否」、及び平成8年2月1日付控訴人第15回準備書面「ドラマによる翻案権侵害の判断の総括」の7〜18丁に主張し、具体的に例示して剽窃であることを立証した。即ち、
@ 剽窃を「参考」と誤判した例=貞と桃介の相思相愛の関係の筋の発端に仕組んだ出会いの衝撃性は、上告人のフィクションであり、これを取り込んで自分のものとして発表したのは剽窃であり《参考》ではない。
A 剽窃を「ヒント」と誤判した例=貞と桃介のデートを戸外に設定しその時の話題を生家の没落などとしたのも、上告人のフィクションであり、被上告人がこれを取り込んでいるのは剽窃であって《ヒント》ではない。
B 剽窃を「材料」と誤判した例=貞が、桃介の旅立ちを見送ったとする別れの場面を設定したのはフィクションであり、「研究や調査のために取り扱う資料」でも「データ」でもないから、これを取り込んでいるのは剽窃である。
C 「表現様式」の違いを「表現形式」の相違とすりかえて剽窃を隠し、翻案権侵害を否認する理由に掲げて誤判した例(《分量》1審判決77頁)
D 「表現様式」の変換を「内面的表現形式」の相違とすりかえて剽窃を隠し、翻案権侵害を否認する理由に掲げて誤判した例(《表現の大部分は、登場人物の台詞によっている》ことを理由にした1審判決79頁)
E 「外面形式」の変更のみを摘示して「内面形式」の一致を隠した例(細部表現の改作=貞の幼時をイトに振り替えたり、貞が養母の病気全快を念じてとった水ごりの挿話から養母を姉に振り替えていることを翻案権侵害否定の理由にした1審判決80頁)
F 「外面形式」の変更のみ摘示し「内面形式」の一致を隠して誤判した例(「具体的表現」の付加=貞と桃介のデートの回数を増やして膨らませるなどの脚色を理由にした1審判決100〜101頁のロ)
G 「題材」を「筋」とすりかえて摘示し「内面形式」の一致を隠して誤判した例(「女優第1号」を理由にした1審判決96頁)
2 かかる上告人の主張と立証に対して、被上告人は反証を挙げられず反論を放棄した。原審判決は、この事実を隠して、証拠に基づく判示を欠き、被上告人が反論反証不能の書証をすべて除いて翻案権侵害を否定し、《勿論》と言うのみで「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
九 原審判決は、右八に続いて、《控訴人はこれらの部分を捉えて、著作権が侵害された重要な根拠とするのであるが、これらは,歴史上知られた事実であったり、先行資料で明らかにされている事実であったり、著作権の対象とたりうる独立した表現形式に対するものでなかったりの理由で採用できないところである。》と判示し、「判決理由ニ齟齬」がある。
1 原審判決は、資料との相違を検証せず、事実と資料とフィクション(作りごと、虚構)の区別もつけられず、見境なしにフィクションをも事実と誤り、上告人の主張と立証を否定する判示もなく、「判決理由ニ齟齬」がある。
2 原審判決は、前記八の@乃至Fのフィクションが、何故《歴史上知られた事実》か、《著作権の対象》でないか、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
3 原審判決は、1審判決(79〜82頁)の《取り上げるエピソードの内容》と題する《一方にあって、一方にない、又は真数が違う、比重が違う》という判示の反証である甲第56、57号証と平成7年7月10日付控訴人第9回準備書面に対しても判示を欠き、翻案権侵害を否定する「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
4 原審判決は、1審判決(88〜106頁)の訴状添付個別類似箇所目録1乃至28に関する判示の反証である甲第58、59号証に対しても判示を欠き、翻案権侵害を否定する「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
5 上告人は、既に1審において、甲第43号証「内容の体系の類似」(甲第55号証の元本)の備考欄に6ヶ所のフィクションを挙げ、甲第51号証第3「貞奴、音二郎、桃介、房子、二組4人の相互関係の設定と、筋の展開の一致」に20ヶ所のフィクション、甲第54号証第10「貞奴、音二郎、桃介、房子、主要人物4人の〈個性の持たせ方〉の一致」に40ヶ所のフィクションを例示した。
 原審判決は、漫然と《歴史上知られた事実》《先行資料で明らかにされている事実》又は《著作権の対象となり得ない》として、それを具示せず、これらのフィクションをも、《事実》又は《著作権の対象となり得ない》という根拠を欠き、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
6 而して、原審判決は、貞奴をはじめ、音二郎、桃介、房子の各人物像が、4人が4人とも類似する証拠があるにも拘わらず、これを判示しないことによって、人物像の同一性をも否定したのであり、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
一〇 原審判決は、右九に続いて、《また、控訴人の強調する本件ドラマの最終回での貞奴の生き方を回顧する趣旨のナレーションの部分は、控訴人作品において控訴人が主題であるとする部分の一部が表現されていると見ることができるけれども、本件ドラマの主題はこれに尽きるものではないし、最終回の桃介についてのナレーションも波潤の人生の中に同人が築き上げた大井ダムが後世への遺産としてなお役立っており、同人の遺志が受け継がれているという控訴人作品にはない内面形式が表されているところである。》と判示し、物証(第49、50回放送VTR)に整合せず、「判決理由ニ齟齬」がある。
1 原審判決は、9頁で、《掉尾の『貞奴が開いた女優の道は、近代日本の文化の発展とともに、現代に脈々と受け継がれている』とのナレーション》と判示しており、これは、第2の七に詳述した通り、11カットのモンタージュと同時に画面に流された本件ドラマの締めくくりの言葉であり、主題の最終提示であるから、《貞奴の生き方を回顧する趣旨のナレーションの部分》ではない。しかも、原審は、続けて《主題であるとする部分》と認定しているから、この判示自体に齟齬がある。
2 次いで《本件ドラマの主題はこれに尽きるものではない》との判示も、主題が二つも三つもあるが如き判示で、しかも、ほかに何があるとも判示せず、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
3 《最終回の桃介についてのナレーションも、》《控訴人作品にはない内面形式が表されているところである。》とは、故意の虚偽判決である。
@ このナレーションは、左記の通り類似している。

上告人作品
『女優貞奴』
 桃介畢生の大事業である大井ダムも外資導入に成功して、工事は程なく完成する。これで二葉御殿の使命もほぼ終るのだった。

被上告人作品
『春の波濤』
ナレーション「桃介の外資導入策は彼の手腕により首尾よく実り、それによって大井ダムは完成した」

A これは、既に甲第55号証の24頁に、「桃介の大井ダム」をアとして、以下25頁のオまで対比した通り、この手短なナレーションは大ラストの中に挿入されたものであって、結末の内面形式が、そっくり上告人作品『女優貞奴』を脚色したものである。
B 原審判決が、《控訴人作品にはない内面形式が表されているところである》と判示したのは、単純ミスではなく意図的な虚偽であり、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
4 原審判決が強調する《桃介の業績》は、原審判決の6頁に付加した「物書き冥利につきるかも」に、被上告人Y3が《福沢家の家庭の事情や、電力王としての福沢桃介の業績のひとつひとつは、それはあまり明治・大正の近代史とはかかわりのないことだとして捨象されなければならない》と表明したものであり、被上告人作品は、この表明通りに出来ている。
 原審判決は、被上告人本人が捨象したと言い、現に捨てたものを、被上告人作品にあると判示し、さらに《控訴人作品にはない内面形式が表されているところである》と判示するに至っては、齟齬も齟齬、大齟齬であり、証拠に反し、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
5 ちなみに、原審判決が、この準主人公桃介について《愛憎を絡ませながら懸命に生きて行く様を描いており》と判示した桃介の筋とは、前記五の6のBの通り、「意気軒昂な若者であった桃介が福沢諭吉主導の婚姻を受け入れながら貞奴を愛し、貞奴の伴侶となって事業に成功しながら婚姻の覚書を反故と化した己に斬悦の念を抱く」という筋である。
 原審判決は、1審判決の不備不実不正を具体的に指摘した上告人の主張と立証に対して、悉く判示を欠き、判決理由を捏造までして翻案権侵害を否定したのであり、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
一一 原審判決は、右10に続いて、《いずれにしても、人物観、歴史観という一種の思想ともいうべきものは、それ自体が著作権の対象にならないことは当然であるが、控訴人作品と本件ドラマの中では、貞奴の生き方それ自体の見方について、一部共通するところがあるとは認められるものの、双方作品の内面形式を全体的にみれば同一性は否定せざるをえないのであって、右一部共通するのは、この人物観というむしろアイデアあるいは思想に近い著作権法による保護範囲の外にある部分であると言うべきである。》(23頁)と、摘示を誤り、暖昧にして裏付けのない判示を連ね、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」があり、不正判決を為した。
1 著作権の対象が著作権法の定める著作物即ち「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」であり、「思想、感情」でないのは言うまでもない。文芸作品の「思想又は感情の創作的表現」とは、文章であり、文章の外面形式、内面形式である。著作権侵害は具体的なものである。上告人作品と被上告人作品の内面形式を具体的に特定して判示せず、抽象的に言い変えて、《人物観、アイデアあるいは思想》に転化し、文章が具備する表現の外面形式、内面形式を具体的に対比して判示しない原審判決は、「判決理由ニ齟齬」がある。
@ ちなみに、S作品は、「定説」どおりの貞奴観によって描かれているが、『マダム貞奴』が具備する外面形式、内面形式は、Sの「思想又は感情の創作的表現」であって、抽象的な《人物観、アイデアあるいは思想》ではない。
 また被上告人NHKが本件ドラマを企画し、新たに執筆を依頼した『冥府回廊』では、その主人公房子の《人物観》は、基本的に上告人作品『女優貞奴』の「心中に鬼は宿る」を核とする《房子規》によって描かれているが、その外面形式、内面形式はSの「思想又は感情の創作的表現」であって、抽象的な《人物観、アイデアあるいは思想》ではない。
A 思想又は感情の創作的表現である他人の著作物の一部又は全部を取り込んで自分のものとして公表するのは、剽窃であって著作権侵害である。
 思想又は感情を創作的に表現した他人の著作物を、抽象的な《人物観、アイデアあるいは思想》にすり替えるのは、著作権侵害を正当化しようとする者の常套手段である。被上告人には、そのような過去がいくつも知られており、その一端は平成8年7月9日付控訴人第19回準備書面11丁に既述した。にも拘わらず、原審判決が、著作権法に違反するエセ論法に乗っかって著作権侵害にお墨付きを与えるのは、裁判官の任務に反し、裁判の威信を汚すものである。
2 原審判決は、「思想又は感情の創作的表現」を《思想》にすりかえることと並んで、《事実》とフィクションの区別がつかず、安易に又は故意に、全て《事実》として著作権がないという論法であり、それ故に、作品に即して内面形式を判示せず、被上告人の侵害隠蔽工作さえも侵害否定の理由とし、「判決理由ニ齟齬」がある。
一二 被上告人作品『春の波濤』各回の標題1審判決(74頁)は、《本件ドラマの内容》として、《各回について、その内容に応じた標題が付けられている》と半一示した。次いで、全50回の放送時間を計算し、これが本件ドラマの内容だと認定して、77頁と132頁に《ドラマ・ストーリーの分量は原告作品よりもかなり短い》、ドラマは多いと《分量》の相違を翻案権侵害否定の理由に加えて判示し、「判決理由ニ齟齬」がある。《各回について、その内容に応じた標題が付けられている》という判示は、上告人作品『女優貞奴』の目次と、被上告人作品『春の波濤』の各回の標題を対比して、《構成》が違うという被上告人主張(1審判決59頁「構成の対比」)に由来し、誤判であり虚偽である。
 目次も、各回の標題も、内面形式の要素ではない。各回の標題を判示して、全50回を統一する構成も筋も判示しない1審判決を引用する原審判決は、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
1 しかも、被上告人作品『春の波濤』の《各回の標題》は、左記の通り、『春の波濤』シナリオ集(甲第3号証)出版の際、改竄されたものである。
@ 第4回「母と子と」として既に放送済みの標題を、「自由党解党」に改竄。これは、上告人作品『女優貞奴』を翻案することにより貞の分身イトを案出し、貞の幼時をイトに仮託して脚色した翻案権侵害の隠蔽工作である。
A 第8回「門出の宴」を「水揚げの日」に、
B 第9回「孤独な日々」を「自由民権、再び」に、
C 第35回「女優第1号」を「貞奴初舞台」に、
D 第49回「愛の別れ路」を「須磨子はひとり」に、
 それぞれ改題し、同じ回の同じ内容に、放送と出版では、まるで違った二通りの標題を付けて公表したのであり、この事実自体が原審判決の反証である。
2 かかる改題の他にも、例えば第48回の「抱月逝く」という標題は、この回に主人公貞奴の引退を描き、それを最終回のモンタージュの組み立てているにも拘わらず、『春の波濤」全体から見れば端役でしかない抱月の急逝を標題とする合理的理由がない。著作権侵害の隠蔽工作以外に理由のない所業である。
3 被上告人Y3が、第49回の「愛の別れ路」を「須磨子はひとり」と改題して出版したのも、『春の波濤』全体では脇役の一人であり、被上告人が公表した「配役紹介・登場人物の関係図」(乙第49号記所収)に載ってさえいない須磨子を標題にすることにより、須磨子が主役であるかのように見せかけるための改題である。
 1審判決(82頁)が、《抱月の死亡(第48回)、須磨子がカルメンを演じ、抱月のあとを追って自殺すること(第50回)》を、《基本的な筋》(80頁)と認定し、《その標題からも明らかなとおり、須磨子と貞奴との比較、須磨子自身の行動に重点を置いて描かれている》(85頁)と判示したのは、被上告人の偽装を前提とし、「判決理由ニ齟齬」がある。
4 改題は、小手先の改変による剽窃隠蔽工作のなかでも最もお手軽な方法である。平成7年5月11日付控訴人第6回準備書面12〜18丁に詳述した通り、松井須磨子は女優が生き辛い時代の貞奴の演劇人生を側面から補足する役割の脇役に過ぎず、内容にそぐわないばかりか、内容を偽る改題である。
 被上告人は、『女優貞奴』と『春の波濤』の主題、筋、構成の一致ないし類似を具体的に指摘した甲第13、16、43号証に対して反証をあげられず、代わりに、各回の標題を羅列して、『女優貞奴』の目次と違うから構成が違うと主張し、全50回の起承転結、基本的な筋の一致に反論も反証もしていたい。
5 本件は、被上告人NHKが、上告人作品『女優貞奴』の出版直後から、Sとの昭和56年の密約を抱えつつ、『女優貞奴』を基に本件ドラマの企画・制作を進行させ、上告人の事後承諾を得るつもりで《協力要請》し、偽りの協力要請に失敗したあと、表向き『女優貞奴』を使わなかったことにすると申し合わせ、その後も事ある毎に放送終了まで著作権侵害を隠蔽する小手先の改変を加えてきたものである。平成7年2月8日付控訴人第5回準備書面15〜17丁に詳述した通り、具体的に、作品に即して、対比し、直接、物証と突き合わせると、剽窃の事実と隠蔽のための小細工があぶり出される。
6 原審判決は、標題が翻案権侵害否定の理由にならず、被上告人の侵害隠蔽工作の破綻を重々承知するが故に、1審判決が理由にした松井須磨子には触れず、1審判決の破綻を包み隠して、被上告人作品が上告人作品『女優貞奴』の主題、題材、筋、仕組、運び、構成など内面形式を取り込んでいる証拠に対して否定も肯定もせず、いっさい隠して、著作権侵害を否定したのであり、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
一三 『春の波濤』第49回と最終回の放送VTR
 原審判決は、被上告人作品『春の波濤』第49回と最終回の放送VTRを見て、@被上告人NHKのAが作成した乙第12号証が侵害隠蔽工作を加えた偽証であること、A被上告人Y3が公表した『春の波濤』シナリオ集(甲第3号証の5)における第49回の改題、B最終回のモンタージュの組み立ての変更、C主題を語り尽くす締めくくりの言葉の除去、D墓で終わるナレーションの変更、E主役の松阪〈「阪」は「坂」の誤〉慶子が一人で貞照寺に参詣する大ラストを除去して貞奴が主役であることを粉飾しようとしたこと等々、あまたの侵害隠蔽工作を知りながら、悉く隠して判示せず、VTRについても口を噤んで判示せず、積極的に被上告人作品の結末を偽りさえして、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
1 原審判決は、9〜10頁で、被上告人作品の結末を《掉尾》と判示し、11カットのモンタージュと同時に画面に流された「締めくくりの言葉」を、モンタージュと切り離して《ナレーション》と誤称した上で、《被控訴人のナレーション部分のみが本件ドラマの全体を通して表現された内面形式の中核をなすものとみることは相当でなく、この部分は控訴人作品の主題と重なり合う一部にすぎないというべきである》と判示し、なぜ、《相当でなく》《一部にすぎない》か、「判決ニ理由ヲ付」さなかった。(前記第2の7)
@ ちなみに《掉尾》は、「尾をふるうこと」「最後の活動に至って勢いのよくなること」(広辞林)。「物事や文章の終りに至って勢いのふるい立つこと」「掉尾の勇を奪う」「掉尾を飾る」(広辞苑)。《掉尾》は全身で活動するのであり、《一部にすぎない》という文尾と矛盾している。
A 上告人は、甲第53号証第9の冒頭「書証の趣旨説明」に、この《掉尾》が、『春の波濤』の第1回、から第34回、第48回、最終回とつづく主題の暗示から明示、再提示をうけての最終提示であることも、証明済みである。
2 原審判決は、重ねて23頁で、《最終回での貞奴の生き方を回顧する趣旨のナレーション》と言い換えて偽った上で、《最終回の桃介についてのナレーションも、控訴人作品にはない内面形式が表されているところである。》と、結末全体から《桃介についてのナレーション》のみを切り離して判示し、「判決理由ニ齟齬」があった。(前記10)
3 右1も2も、判示自体が事実に整合しない偽りであり、結局、原審判決は、全体から局部を切り離して判示を偽り、《双方作品の内面形式を全体的にみれば同一性は否定せざるをえない》と判示しても、実際には《双方作品の内面形式》がどのようなものか判示を欠き、《全体的にみれば》と言っただけで、全体的に見た判示も欠き、「判決理由ニ齟齬」が大々的に存在する。
4 被上告人作品の結末は、VTRに記録されており、甲第53号証第9に「VTRに照らして乙第12号証が、偽証であり剽窃隠蔽工作である証拠」として摘録した通りである。
@ 平成7年5月11日付控訴人第6回準備書面11〜14丁の「結末の方向」と「結末」に詳述したように、すべての脇筋を整理した上で、波濤の画面に墓石をだぶらせつつ、「貞奴は戦後間もなく永眠した…貞奴、桃介、房子、音二郎、4人の墓は、それぞれの人生を象徴するかのように同じ場所に建てられてはいない…そして今、この寺を訪れる多くの人々の思いと共に静かに眠っている」とナレーションを結び、貞奴の女優活動を語る11カットのモンタージュに重ねて、「貞奴が開いた女優の道は、近代日本の文化の発展とともに、現代に脈々と受け継がれている」と締めくくる。
A かくて主人公貞奴の墓をもって全50回の物語を閉じ、二人の伴侶(準主人公音二郎と桃介)と墓を共にしないことに貞奴の人生を象徴させるとともに、全50回を通して描き出した貞奴の女優人生の節々のモンタージュに重ねて「貞奴が開いた女優の道は、近代日本の文化の発展とともに、現代に脈々と受け継がれている」と放送し、テーマを語りつくして終了している。
 これが、大河ドラマとして大河の流れ着いたところであり、この結末があってはじめて『春の波濤』の物語りは完結している。
5 大ラストとして、貞照寺の場面で、女優の道を開いた貞奴を演じた主役の女優・松阪<「阪」は「坂」の誤〉慶子が貞照寺に参詣し、石の羊に守られて一人眠る貞奴の墓の前で合掌して、本道から玉垣、絵馬など見ながら境内をめぐり、階段を降りるにつれて、貞照寺全景を映し出し「完」とする。
6 この結末と大ラストは、上告人作品『女優貞奴』終章の「貞照寺の羊」を映像化したものであり、「芸者、河原者、妻と、排斥される一生を歩み、没後も正統演劇史からはとかく排除されがちだった貞奴が、鬼も受け入れて追っ払わない貞照寺に、眠る。納骨堂は本堂横の山をくり抜いて、奥まったところにある。音二郎の墳墓は博多に、桃介は多磨墓地に、そして貞は一人ここに、その干支である石の羊に守られて、眠る。」と同じである。
7 被上告人が、放送内容を偽ったのは、著作権侵害隠蔽工作である。著作権侵害を隠蔽する意図以外に、全国に放送したドラマの結部を偽る理由がない。
@ 音二郎の墓を最終画面とし、「明治、大正を苛烈に生き抜いた川上音二郎、貞奴、そして福沢桃介、房子、4人の墓は、それぞれが別のところに建てられている。彼らの波欄万丈の人生を象徴するかのように…」(甲第3号証の5の266頁)を最終ナレーションとし、貞奴に始まり貞奴に終わる事実を隠し、貞奴一人で構成されたモンタージュと締めくくりの言葉、大ラストを抜き去り、音二郎ないしは4人が主人公であるかのように粉飾して、貞奴が主人公であることを、裁判に臨んで隠しておくための工作である。 
A 音二郎は、大正改元前に亡くなったから、《大正を苛烈に生き抜いた川上音二郎》とあるのは、貞奴の墓が主語であったナレーションに、侵害隠蔽のため、あとから川上音二郎を挿入したが故の不整合である。
B 被上告人は、墓があるのは事実であると主張したが、音二郎、桃介を人生の伴侶としながらも永眠の地を共にせず、「一人眠る貞奴」の墓に、主体的に生きた貞奴の人生を象徴させて、物語を終える筋の閉じ方が同じである。これは、上告人作品『女優貞奴』の特性、独自性であり、かかる結末と構成に成る作品は、被上告人作品『春の波濤』を除いて他にない。この肝心な点に反論していない。
C 被上告人が原作表示したS二作品の『マダム貞奴』は、墓を書いていない。墓を書く仕組みがないからである。『冥府回廊』は墓で終わっている。京都にあった桃介の墓の中を覗くと砕けた手鏡がギラと反射したという終わり方であり、房子の嫉妬の象徴として房子と桃介の墓が書かれている(昭和62年3月9日付原告第4回準備書面2〜3丁に詳述)。問題は墓があるのは事実か否かではなく、墓を語る意味合い、その描き方にある。被上告人作品『春の波濤』とは似もつかず、被上告人が原作を不正に表示した証拠である。
D しかも『春の波濤』は、重ねて大ラストに、貞奴を演じた主演の松坂慶子に貞奴が建てた貞照寺に詣でさせ、「一人眠る貞奴」の墓にその女優人生を象徴させている。
E 被上告人は、上告人の立論、立証に対する反論反証を出せず、《4人の愛憎劇》をテーマとするという主張を、実際の作品『春の波濤』において実証することが出来なかった。
8 原審判決は、右の全てを知りながら判示せず、貞奴を《重要な主役の一人》とぼかして明確に《主役》と認定せず、さりとて被上告人が主張する《4人の愛憎劇》がテーマであるとも認定せず、《共通するのはアイデア》だとして、翻案権侵害を否定したのであり、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
一四 以上の通り、原審判決は、職権乱用、裁量権乱用により、著作権法に違反して、裁判の名において被上告人の不正行為を是認したのであり、法の下に公正かつ適正な裁判を受ける国民の権利を害し、憲法に保障された上告人の基本的人権を侵し、「憲法ノ違背」がある(民事訴訟法第394条前段)。
第6 原審判決の《二「付加する当裁判所の判断」の4》「被上告人NHKの協力要請」「被上告人らの詫状」「覚書」等(23〜25頁)について
一 原審判決は、
1 《なお、訴訟人は、本件ドラマが放映される前に、控訴人と被控訴人間で行われた控訴人作品を巡る折衝についても、著作権侵害を裏付ける事実として主張する》と判示して、まず、上告人の主張を変造し、
2 《そして、証拠によれば、昭和59年3月14日に被控訴人協会職員Aが面談したのを初めとして、》と判示して、事実に相違し、《弁護士も介在して被控訴人らと控訴人が話し合ってきたこと、この過程で被控訴人会社と被控訴人Y3が、ドラマ・ストーリーで控訴人作品の文章を転用した表現が数か所あることについてお詫びするとの趣旨の文書が作成され、》と判示して、左記三に後述する通り、「判決理由ニ齟齬」がある。
3 《双方代理人の間で、被控訴人会社と被控訴人Y3が控訴人に対しドラマ・ストーリーの一部に控訴人作品の文章を一部無断借用したことを詫びること、被控訴人協会は本件ドラマの制作に控訴人作品が寄与するところがあったことに感謝する旨の条項のある覚書(案)が作成されたことがあったが、最終的には双方の合意には至らなかったことが認められるけれども、これらの事実も控訴人の主張を裏付けるには足りないし、》と判示し、何故《足りない》か、「判決ニ理由ヲ付」さない。
4 《翻って考えれば、被控訴人作品が本件ドラマ制作の直前に発表されていることから、》と判示して、事実に相違し「判決理由ニ齟齬」がある。
5 《被控訴人側が控訴人と接触を持とうとしたことは何の不思議もなく、被控訴人側が控訴人作品の著作権を侵害することのないよう本件ドラマ制作のうえで諸々の配慮をしだとすれば、それは当然のことであって、これをもって隠蔽工作であるとする控訴人の見方は一方的である。》と判示して、前提を欠き、何故《当然のこと》か、何故《一方的》か、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
二 上告人作品『女優貞奴』は、《本件ドラマ制作の直前に発表され》たのではない。右一2の判示も、《面談を初めとして》ではない。
 甲第61号証第18「本件の発端から1審判決にいたる経過概要年表」に纏めた通り、被上告人NHKが制作発表する3週間前、上告人作品『女優貞奴』の出版元である新潮社からNHKへ、本件ドラマの企画について問い合わせたのが初めであり、被上告人NHKが、新潮社と上告人に《協力》を求めてきたのである。《一方的である》と判示した前提が虚偽であり、原審判決は、判示の前提を欠く。
1 本件が辿った経緯は、概略、左記の通りである。
@ 被上告人NHKは、昭和56年放送のNHK大河ドラマ『おんな太閤記』に、Sが創作した仮名を無断使用した見返りに、『マダム貞奴』のドラマ化を密約した。
A 上告人作品『女優貞奴』は、翌57年8月出版された。
B 被上告人NHKは、ドラマ部で、『マダム貞奴』は大河ドラマの原作として《無理である》との意見が大勢をしめた(昭和62年5月25日付被告第5回準備書面9丁)と主張し、
C 被上告人NHKは、57年11月、本件ドラマの企画検討会を持ち、《量的内容に無理がある》と認めながら、《60年大河ドラマとしてS著『マダム貞奴』を実現させるために、条件整備》を討議した(平成1年10月17日付被告第9回準備書面3丁)と主張している。
D 被上告人NHKは、59年2月29日、記者会見を開いて、本件ドラマ『春の波濤』の企画制作発表の文書・乙第35号証を報道機関に配布した。
 《昭和60年大河ドラマ内容決まる》と題して、《作・S「冥府回廊」より脚本・Y3『春の波濤』》と表示し、『マダム貞奴』を原作とせず、
 《昭和60年大河ドラマ『春の波濤』はS氏がこの作品のために、新たに書き下ろす「冥府回廊」を基に、脚本のY3のオリジナルを加え》と公表した。
E 被上告人NHKの制作スタッフと被上告人Y3は、乙第35号証発表の日から、脚本作成の具体的準備を開始し、3月中にドラマ全体の流れを打ち合わせ、4月12日に全50回にわたって各回の構成案を作成した、と主張している。
F 被上告人NHKのAは、上告人と面談後の4月20日、新潮杜へ《『女優貞奴』の使用箇所を6月までに提示する》と申し入れ、以後連絡を断った。
1 <ママ>乙第35号証の文面は、平成7年2月8日付控訴人第5回準備書面7〜8丁に詳述した通り、上告人作品『女優貞奴』を基に作成したものであり、被上告人NHKが、『女優貞奴』を基に本件ドラマを企画立案した証拠である。
 原審判決は、乙第35号証の文面について判示を欠き、面談記録(甲第15号証)を、証拠から除去し、故意に被上告人NHKの行為を隠した上で、《これらの事実も控訴人の主張を裏付けるには足りないし、》と判示したのであり、事実そのものを偽る認定であって、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
2 <ママ〉被上告人NHKは、S作品『マダム貞奴』を原作とせず、原作表示した『冥府回廊』は未執筆の状態で、上告人に《協力》を要請した。《協力》とは、いかなる協力か、被上告人自身が、その真相を明かしている。平成7年2月8日付控訴人第5回準備書面11〜13丁に詳述した通りである。即ち、
@  Y1放送総局長「Xさんに資料提供などで協力を要請したが、拒否されたため『女優貞奴』を参考とせずにドラマを作っている」「実在した人物のドラマだから多くの資料がある。訴訟になればこちらの主張を十分述べる」(昭和60年10月3日『中日新聞』甲第24号証の3)
A NHK広報室嶋林義郎副部長「貞奴に詳しいXさんに協力してもらえば、よりよいドラマができると思ったのです。協力というのは、Xさんの持っている資料や『女優貞奴』を参考にさせていただきたいということだった。しかし"原作者としてでなければいやだ"と強い態度」〈「」」は不要〉でしたので、Xさんの作品は使わずに製作することを申し合わせました。」(昭和60年10月5日『中日新聞』甲第24号証の4)
B NHKA本件担当プロデューサー「番組制作の考証者になってもらおうと思った」(昭和60年9月28日『毎日新聞』甲第24号証の2)
C NHKA証言「資料の考証者、資料提供の協力、知恵を借りたい、台本の考証者ということでお願いに上がりました」(平成3年1月25日A証人調書5〜6頁)
D NHKA証言「資料考証というのは、時代考証の誤りです」(平成3年11月27日A証人調書23頁)
E NHKA本件担当プロデューサー「Xさんの協力が得られないとわかった昨年5月の段階で、Xさんの作品を利用しないことをきめている」(昭和60年9月28日『毎日新聞』甲第24号証の2)と、《協力要請》の目的が、バラバラで整合しない。
 《『女優貞奴』を使わずに製作することを申し合わせ》、《Xさんの作品を利用しないことを5月の段階で、きめて》も、制作スタッフは、とっくにドラマ全体の流れを打ち合わせ、全50回にわたって各回の構成案を作成済みである。被上告人は、構成案を根底から作り直した、とは言っていない。制作現場では、引き続き『女優貞奴』を基に作業を進めており、被上告人は、対外的に発表するときの口上を《申し合わせ》たに過ぎない。
3〈ママ〉名目は何であれ、《協力を要請したが、拒否されたため『女優貞奴』を参考とせずにドラマを作っている》というY1発言は、《協力》が得られないから、《『女優貞奴』を使わないことにした》というのであり、『女優貞奴』を使うための《協力要請》だったことを明かしている。
4〈ママ>《番組制作の考証者》であれ《台本の考証者》であれ、上告人を名義上、本件ドラマの制作スタッフにして、自由に『女優貞奴』を使うための《協力要請》だったのであり、杉本苑子との密約を抱えつつ、『女優貞奴』を基に本件ドラマを企画立案し、乙第35号証を作成し、全50回の流れと各回の構成案を既に作っていた無断使用の事後承諾をとって、堂々と『女優貞奴』を原作使用するための要請であった。
5〈ママ〉《協力》とは、平成8年12月27日付控訴人第20回準備書面8丁の6に詳述した通り、NHKの原作不正表示に《協力》することに外ならず、NHKが名目のみS作品を原作にして、その実、『女優貞奴』を基に『春の波濤』を作るという不可能にして不正な計画を隠して《協力要請》をもちかけたのは、著作権法第16条「映画の著作物の著作者」、29条「映画の著作物の著作権」を悪用して、著作権侵害を切り抜けようとしたものである。この手法は、「覚書」でも繰り返された。
 被上告人NHKは、この偽りの《協力要請》に失敗し、原作の不正表示を糊塗し正当化する手段を失ったのである。
三 次に《お詫び》は、上告人から著作権侵害を通告した回答であって、弁護士は介在していない。平成8年12月27日付控訴人第20回準備書面4〜6丁に詳述した通り、被上告人Y3が《私は日本放送出版協会とNHK側で作成した詫状にサインしました。》(乙第55号証36頁)と陳述し、詫状が日本放送出版協会とNHKで作られたものであることを明らかにしている。
1 この被上告人Y3の陳述により、ドラマとドラマ・ストーリーは《別》と主張して詫状(甲第8号証)をNHKと切り離してみせる根拠が崩れた。日本放送出版協会とY3にだけ詫びさせて、NHKは詫びずに済ますわけにはいかなくなった。
2 原審判決は、1審判決が丸ごと隠した詫状を、一部のみ摘示して全貌を隠し、被上告人らが既に認めた《文章の転用》箇所を訴状添付個別類似箇所目録から抜き去って判示せず、証拠を隠した上で《これらの事実も控訴人の主張を裏付けるには足りない》と判示した。《足りない》のは、原審判決が証拠を隠して判示しないからであり、「判決理由ニ齟齬」がある。
3 被上告人らは、詫状に《『女優貞奴」から数ヶ所転用した》《『女優貞奴』を参考にした旨表示して刷り直す》《Y3の印税分の20%を支払う》と回答した。
 甲第62号証4〜5丁、及び平成8年12月27日付控訴人第20回準備書面4〜16丁に詳述した通り、被上告人らは、《参考の謝礼として》、原作料(翻案権使用料)並の代償を申し出ており、矛盾している。公刊したものを《参考》にしただけなら、代償を払う必要はない。被上告人らが原作料並の代償を申し出たのは、《参考》ではなく著作権侵害であると知っていたからであり、明白な著作権侵害を《参考》にすりかえて字面を取り繕い、金銭面のみで処理しようとした証拠であると上告人は主張した。
 原審判決は、これを否定する理由を判示せず、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
4 原審判決は、《文章の転用》と記載しながら、なぜ無断で《文章を転用》しても著作権侵害でないか、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
四 原審判決が、《弁護士も介在して》と判示したのは、上告人が詫状の文面は事実に相違すると指摘して以後である。上告人は、昭和60年3月19日、中村弁護士を通して、NHKG会長へ、著作権侵害につき「放送中止」を正式に申し入れた。
 「覚書」(甲第61号証第19の2)ぼ、「お詫び」(甲第61号証第19の1に再録)と異なり、その前文に記載されている通り、中村稔弁護士と松井正道弁護士が《協議》して作成したものである。詫状と同列に摘示して、《これらの事実》という原審判決は、摘示を誤り、「判決理由ニ齟齬」がある。
1 原審判決は、《ドラマ・ストーリーの一部に控訴人作品の文章を一部無断借用したことを詫びること、本件ドラマの制作に控訴人作品が寄与するところがあったことに感謝する旨の条項》と摘示し、詫状では《文章を転用》といい、覚書では《文章を一部無断借用》といい、その実態を明確にした甲第58、59号証の膨大な侵害の証拠が、なぜ著作権侵害でないか、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
2 被上告人Y3という同一人が、被上告人NHKの立案した同一企画に基づき、同一時期に、『春の波濤』という同一題名のドラマとドラマ・ストーリーを平行して作成したのである。それが、何故一方は《無断借用して詫び》一方は《寄与して感謝》と違うのか、ドラマとドラマ・ストーリーは、様式が異なるが、甲第55号証、甲第58、59号証の通り、例えばドラマ・ストーリーのプロローグとドラマの第1回冒頭の観劇場面は同じであり、貞奴と養母のセリフまでぴったり同じである。
 ドラマの脚本とドラマストーリーには、同一場面、同一セリフ、同一内容が記載されているから、ドラマストーリーで《無断借用》したものはドラマでも《無断借用》したのであり、それを《寄与した》といい替えるのは辻棲が合わず、論拠がない。ドラマ・ストーリーで侵害したものは、ドラマでも侵害したのである。
 原審判決は、この指摘にも判示を欠き、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
3 この《寄与》という言葉は、著作権法第16条に「映画の著作物の著作者」は「制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者とする」と原著作者を除き、29条に、「映画の著作物の著作権は、その著作者が、映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは、当該映画製作者に帰属する」という条文がある。《寄与》した者とは、NHK大河ドラマ『春の波濤』の著作者であり、制作スタッフである。
 被上告人NHKが、《番組制作の考証者》であれ《台本の考証者》であれ、上告人を名義上の制作スタッフにしようとして《協力要請》した所以である。
 《覚書》は、法第16、29条を悪用し、控訴人をスタッフに組み入れることで原作不正表示による著作権侵害を糊塗しようとした証拠である。
 原審判決は、これに否定も肯定もせず判示を欠き、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
五 原審判決は、《被控訴人側が控訴人と接触を持とうとしたことは何の不思議もなく、被控訴人側が控訴人作品の著作権を侵害することのないよう本件ドラマ制作のうえで諸々の配慮をしだとすれば、それは当然のことであって、》と判示し、どんな《諸々の配慮》をして、それが何故《当然のこと》か、「判決ニ理由ヲ付」さないものである。
1 原審判決は、《諸々の配慮をしたとすれば》と仮定の判示をして、《諸々の配慮》とは、どんな配慮で、いかなる行為か判示せず、判示の前提を欠く。
2 被上告人Y3は、《詫状》に捺印した4ヶ月後の『週間<「間」は「刊」の誤>文春』6月6日号に、《『女優貞奴』という本は知っていたものの、読んでもいないし、脚本を書くに当たって参照もしなかった》《XさんとNHKの間にそんなトラブルがあったことすら知らなかった》《このドラマ・ストーリーに関しては、僕は文章を書いていないんです。誰が書いたかについては、NHKに聞いて下さい》(甲第11号証)と語った。
 被上告人NHKのA証人は、《Y3が書きました》(平成3年4月15日A証人調書28頁)、《Y3に、とぼけなさい…ノーコメントていけと指示した》(平成3年11月27日A証人調書15〜16頁)と証言し、Y3が嘘をついたのはNHKの指示によると明かし、Y3もこれを認めた(平成4年9月14日Y3本人調書15頁)。原審は、この事実も《何の不思議もたく》《当然のこと》か。
3 被上告人NHKのAは、『グラフNHK』昭和60年1月号に、《女優という新しい職業を社会に認知させ、近代演劇の必要性を世間に知らしめ、芸能人の地位向上を先進文化国と同等にまで持ち上げるための努力は、単なる才能だけでできることではないのです。川上貞奴は明治期の毅然たる革新者の一人なのです》(甲第44号証)と公表し、また『映画情報』2月号(甲第19号証)に、《明治という封建性が強い時代にあって、つまり男性的な時代に女性の力を示した人なのです。女性の地位向上につくした、ま、今でいうキャリヤウーマンの走りですな。女優という職業を確立し誇りを持った、その強さ、男以上の強さに惚れたんですよ》と公表し、上告人作品『女優貞奴』のエッセンスを、恰も自説の如くに剽窃して、『春の波濤』のライトモチーフを明示し、裁判では、『春の波濤』は《4人の愛憎》を主題に企画したと偽証した。原審は、この事実も《何の不思議もなく》《当然のこと》か。
4 Sは、《女優としての自覚に欠け、舞台を命とする熱情が不足しているからこそ、重点の置き方が狂うのだ》と愛憎ばかりを行動原理とする思いやりに欠けた女という貞奴像を書いた『マダム貞奴』の作者である。その作者が、『NHK大河ドラマ・ストーリー春の波濤』の巻頭言に、「貞奴に惹かれて」と題して、《私が貞奴に惹かれるのは、果敢に運命に挑んでいった精神力の強さです》と書き、自作の主題である「愛憎」にこれっぽちも触れていない。甲第60号証第17の1の通り、上告人作品『女優貞奴』のエッセンスを恰も自説の如くに剽窃して、自作に背く《原作者の弁》を掲載し、原作表示の不正を粉飾した。原審は、この事実も《何の不思議もなく》《当然のこと》か。
5 Sが、この巻頭言に、《『春の波濤』のために新たに書き下す「冥府回廊」を基に、脚本のY3のオリジナルを加えて》(乙第35号証)という触れ込みの新作『冥府回廊』の主人公房子に一言も言及せず、一方、Y3は「物書き冥利につきるかも」に未完成の《『冥府回廊』》のみを原作として、『マダム貞奴』に一言も触れていない。《原作者の弁》と脚本担当者の弁の、一見奇妙に見えてまさに乙第35号証にぴったり符合するこの二人の弁の取り合わせも、原審は《何の不思議もなく》《当然のこと》か。
6 被上告人NHKは、記者会見の席での公式発表として《Xさんの本はいっさい使っていない》と公言し、制作過程を提造して《原告著作の表現形式上の本質的特徴が入り込む余地がない》(昭和62年5月25日付被告第5回準備書面13丁)と主張した。
 原審は、《勿論、本件ドラマ等が控訴人作品を参考にし、あるいはそこからヒントをえている部分がいくつもある》と判示したから、被上告人の主張が虚偽であると承知している。原審はこの事実も《勿論》《何の不思議もなく》《当然のこと》か。
7 被上告人NHKは、ドラマ部で、『マダム貞奴』は大河ドラマの原作として《無理である》との意見が大勢をしめた(昭和62年5月25日付被告第5回準備書面9丁)と主張し、重ねて、57年11月、本件ドラマの企画検討会を持ち、《量的内容に無理がある》と認めながら、《60年大河ドラマとしてS著『マダム貞奴』を実現させるために、条件整備》を討議した(平成1年10月17日付被告第9回準備書面3丁)と、主張している。無理だという意見が大勢をしめたのに《『マダム貞奴』を実現させるため》という筋の通らぬ主張も、原審は《何の不思議もなく》《当然のこと》か。
8 被上告人NHKが、著作権法とは別の理由で原作表示したと、堂々と著作権法に違反する主張をした事実も、原審は《何の不思議もなく》《当然のこと》か。
9 被上告人NHKが、これほど徹底して内容の違うS二作品を、《原作》名義にしようと努めた事実も、原審は《何の不思議もなく》《当然のこと》か。
10 被上告人NHKのAが『春の波濤』の結末を偽り、被上告人Y3が『春の波濤』の結末を変更したり改題したりしたシナリオ集を出版した事実も、原審は《何の不思議もなく》《当然のこと》か。
六 原審判決は、《これをもって隠蔽工作であるとする控訴人の見方は一方的である。》と判示して、証拠を隠し、「判決ニ理由ヲ付」さず、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
1 原審判決は、被上告人一同の嘘のオンパレード、あちこち小手先の改竄を施しVTRと相違するシナリオ集、NHKのA証人の偽証の数々、VTRに相違する書証を作成した偽装工作等々をすべて隠し、承知の上で《制作過程の説明に矛盾がある》と判示し、とっくに露呈した隠蔽工作の跡、偽装工作の証拠を隠して、ただの《見方》にすりかえて、判示したのであり、「判決理由ニ齟齬」がある。
2 原審判決は、被上告人の主張を、被上告人作品並びに被上告人の制作過程を示す客観的証拠と照合することも《必要ない》と判示し、その上、《S作品である『マダム貞奴』を原作としてあげなかったことなど、本件ドラマの制作過程で、当初控訴人作品がどのような扱いをされたのかを含め、本件各証拠上不分明な点がないではない。》と判示している。
 原審判決は、客観的証拠と照合もせず、《控訴人作品がどのような扱いをされたのかを含め、本件各証拠上不分明》と判示し、証拠を隠して、《一方的である》と判示したのであり、「判決理由ニ齟齬」がある。
3 原審判決は、《勿論、本件ドラマ等が控訴人作品を参考にし、あるいはそこからヒントをえている部分がいくつもある》と判示し、1審判決は、《参考》《ヒント》《材料》《重要な参考資料》などと判示し、被上告人らの主張の虚偽をよくよく承知の上であり、《一方的である》と判示する以外に退ける口実がないから、かく判示したのであり、著作権法に基づかず、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違反」がある。
第7 原審判決の《二「付加する当裁判所の判断」の5と三》「結び」(25頁)について原審判決は、《以上、控訴人の主張に対する判断を補足的に示してきたが、当裁判所も、本訴請求はいずれも肯認できないと判断するものである。よって、これと同旨の原判決は、相当であり、本件訴訟はいずれも理由がないから、これをいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する》と結んでいる。
 上告人の主張は、1審判決理由に対する反証、即ち左記の甲第51〜62号証と、VTR(『春の波濤』第49回と最終回)を証拠とする主張である。
 原審判決は、本件の請求原因を書き変えて変造し、著作権法に背いて二次的著作物の属性を抜き取り、翻案権侵害の法理を捏造し、上告人と被上告人、双方の主張を削除して隠し、被上告人の偽証を隠し、又は偽証を判断の根拠に掲げさえして著作権侵害を否定した。
 そのために、原審判決は、左記の証拠をいっさい摘示せず、証拠をなきものにして一切判示せず、請求原因を改造し変質させた上で、《本件訴訟はいずれも理由がない》と根拠なく請求を退けたのであり、証拠によらず、著作権法に基づかず、不正判決を敢行し、裁判官の職務を放棄し責任を果たさず、憲法に保証された何人も公正な裁判を受ける権利を阻害し、「憲法ノ違背」がある。
一 原審判決は、左記の書証に何ら判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。即ち、
1 甲第51号証第1「作品の特性・・・・原作の要件の一致」に判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。
2 同第2「物語の粗筋」の対比、被上告人作品の基本的な筋が、上告人作品に一致し、S二作品に相違する。この筋の対比に対する判示がなく、これを原作の不正表示でなく著作権侵害でないという判決理由もない。
3 同第3「貞奴、晋二郎、桃介、房子、二組4人の相互関係の設定と、筋の展開の一致」に判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。
4 同第4「翻身のドラマの<発端>と<波濤の場>と<結末」の一致」に判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。
5 同第5「『女優貞奴』第1、2章冒頭の叙述と仕組」について著作物性の証明、並びに、『春の波濤』の「人物事典」の貞奴とドラマのイト(貞奴と同じ浜田屋の養女になり妹芸者になる人物、即ち、貞奴の分身)に、とりこんでいる証拠に対する判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。
6 甲第51、52号証「著作物と二次的著作物」「剽窃」「翻案」「著作物の内面形式、外面形式」「虚と実」「シナリオの技法」についての基本認識と、1審判示の認定の齟齬に、判示がない。
7 甲第53号証第6「主たる構成」大河ドラマとして大河の流れ出すところから、大河の流れついたところまで、起承転結の一致に、判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。この内面形式がS二作品にないのも、被上告人の不正表示であるとの上告人の主張に対する判示もない。
8 同第7「背景、環境の設定」即ち、「主題」と「題材、仕組み」の有機的関連づけが一致ないし類似する具体例に、判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。
9 同第8「11カットのモンタージュ」即ち、貞奴の女優人生の節々をつないだ組立)に表現された「主題」と「題材、筋、仕組」の有機的関連づけの一致に、判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。S二作品の内面形式との相違が不正表示でないという判示もない。
10 同第9「『春の波濤』最終回結末(大河ドラマの大河の流れ着いたところ)」の一致並びに、
@ 「放送ドラマ番組『春の波濤』全50回について、各回別の梗概・シークェンス及び各シーンの説明」(作成・A)と題する乙第12号証が、VTRに照らして偽証であり、かつ、
A 被上告人が、『春の波濤』シナリオ集(Y3著甲第3号証)公刊に際して、標題を改題したりモンタージュの組み立てを変更するなどの侵害隠蔽工作をした証拠。
B 1審判決「別紙5」が、被上告人の偽証と侵害隠蔽工作を取り繕い、適正に摘示しなかった証拠に、判示がなく、右@Aが偽装工作でなく偽証でもないという判決理由も、
 Bが1審判決の不正でなく著作権侵害でないという判決理由もない。
11 甲第54号証第10「貞奴、音二郎、桃介、房子、主要人物4人の<個性の持たせ方>」の一致、即ち1審が《同一性がない》と判示した反証に、判示を欠き、これを著作権侵害でないという判決理由もない。
12 甲第55号証第11「『春の波濤』が『女優貞奴』の〈内容の体系〉を母体とする派生的著作物(二次的著作物)である証拠に、判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。
13 同第12「構造の類似」一覧表(〈テ一マ〉と〈構成〉、〈登場人物〉と〈筋〉と〈題材〉の類似)に、判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。
14 同第13「登場人物の関係」一覧表(1審判決が「別紙2」として『女優貞奴』についてのみ実在の人物だと認定し、『春の波濤』を除外して、全体の人物関係図の一致について判示しなかったもの)(添付『春の波濤』登場人物の関係図・乙第49号証より)に、判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。
15 甲第56号証第14「取り上げるエピソード等の内容」(1審判決が、『女優貞奴』にあって『春の波濤』にないと摘示した反証、即ち、被上告人が、『女優貞奴』の内面形式を維持して、細部を改作した証拠。細部の改作を侵害否定の理由とする誤り)に、判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。
16 甲第57号証第15「取り上げるエピソ一ド等の内容」(1審判決が、『女優貞奴』になくて『春の波濤』にあると摘示した反証、即ち、被上告人が、『女優貞奴』の内面形式を維持して、細部を改作した証拠)に、判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もたい。これを《被上告人作品の「基本的な筋」》とした1審判決の誤りについて判示を欠く。
17 甲第58号証第16「訴状添付個別類似箇所目録」(1審判決「別紙1」の元本)1「依拠の証拠」、2「主題と基本的な筋」に関する個別類似箇所に、判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。
18 甲第59号証第16「訴状添付個別類似箇所目録」(1審判決「別紙1」の元本)「貞奴をめぐる主要な人間関係」に関する個別類似箇所と「個別的な剽窃の類型」「一部複製権侵害の証拠」(被上告人が、「詫状」で認めた「数ヶ所転用」に該当する部分)右17、18は、1審判決が、訴状添付個別類似箇所目録1乃至28から、ドラマ・ストーリーを取り除き、あるいは《欠番》とし、ドラマとドラマ・ストーリーの一体性を隠して著作権侵害なしとした判示の反証である。被上告人作品『春の波濤』(ドラマとドラマ・ストーリー)が、『女優貞奴』の二次的著作物である徴憑に、原審の判示がなく、これを著作権侵害でないという判決理由もない。
19 甲第60号証第17の1「『NHK大河ドラマ・ストーリー春の波濤』の巻頭言・S著<貞奴に惹かれて」並びにY3著<物書き冥利につきるかも」(乙第49号証49〜51頁)が、『女優貞奴』のエッセンスを自説の如く剽窃し、被上告人の原作不正表示を粉飾した物証である証拠」
 1審判決が、《同一性の判断に当たっては、これを検討する必要がない》(108頁)として、被上告人の制作発表乙第35〜37号証、甲第30号証、S二作品を相互に照合検証せず、原審判決は、《間接的事実》(15頁)として審理を怠り、理由を付さない。
20 同第17の2「〈NHK大河ドラマ・ストーリー巻の波濤〉(構成・Y3)が『女優貞奴』の二次的著作物(翻案権侵害)であり、NHK大河ドラマ『春の波濤』の梗概である証拠」1審判決が故意に《別紙3》にすりかえた上、複製権侵害と取り違えて翻案権侵害の判示を欠き、梗概か否かの判示も避け、原審判決は《勘酌した》(5頁)というだけで、何故、侵害でないと言えるか判決理由を付さず、ドラマとドラマ・ストーリーの一体性についても判示を欠く。
21 同第17の3「<エピソード人物事典>の貞奴欄が『女優貞奴』の剽窃である証拠」
 1審判決が侵害否定の根拠とした乙17との本質的相違に対して、また著作権法第2条第1項第12号を誤って適用し、しかも違反する理由を付した判示に対して、原審判決は何も判示せず、著作権侵害を否定する理由を付さない。
22 甲第61号証第18「本件の発端から、原判決にいたる経過概要年表」即ち、本件は、被上告人がNHKの名を利用した計画的で組織的継続的剽窃行為による原作の不正表示であり、上告人の著作権・著作者人格権の侵害である証拠。
 原審判決は、この年表に示した被上告人の偽証と偽装工作の事実を摘示せず、単に《独自の見解であり、論理に飛躍がある》(16頁)、《控訴人の見方は一方的である》(25頁)として、事実関係を明確に判示せず、判決に理由を付さない。
23 同第19「NHK公式発表と、被上告人が制作過程で作成した詫状、覚書並びに1、2審における主張との齟齬・乖離」即ち、本件のような桁外れの著作権侵害を犯すまでに至った積年の背景、特殊法人「NHK」の体質。
 原審判決は、AとY3の偽証を判示せず、証言と証拠の不整合も判示せず、《当然のこと》《控訴人の見方は一方的》と判示し、判決理由に齟齬がある。
24 VTR「『春の波濤』第49回と最終回」
 即ち、被上告人の乙第12号証による偽証と、『春の波濤』シナリオ集における第49回の改題、最終回のモンタージュの組み立てを変更し、主題を語り尽くす締めくくりの言葉を削除して侵害隠蔽工作をした証拠。
 1審判決《別紙5》が、被上告人の偽証と侵害隠蔽工作を取り繕い、適正に摘示しなかった証拠であり、原審判決は、これに判断を示さず、《別紙5》、乙第12号証、『春の波濤』シナリオ集が被上告人作品に整合しない事実を判示せず、さりとて侵害隠蔽工作でないという判示理由も付さない。
25 甲第62号証「X陳述書」に対する判示がなく、被上告人の主張の破綻と偽証、上告人の主張と立証を否定する判決理由がない。被上告人作品本件ドラマ等とS二作品との本質的相違が不正表示でないという判示も、判決理由もない。
二 以上、被上告人作品本件ドラマ等が、上告人作品『女優貞奴』を無断で翻案することにより制作した二次的著作物である証拠、即ち、翻案権侵害の証拠と部分的に複製権侵害を含む証拠に対して、被上告人は、反証をあげ得ず、反論を放棄した。
 この事実を摘示せず、反証のない被上告人の違法な主張、不法行為をいっさい隠して、右証拠に対する判示を欠く原審判決は、右証拠を著作権侵害でないという判決理由を付さず、「本件訴訟はいずれも理由がないから、これをいずれも棄却する」と判決したのである。
 原審判決は、職権乱用、裁量権乱用により、著作権法に違反して、裁判の名において被上告人の不正行為を是認したのであり、法の下に公正かつ適正な裁判を受ける国民の権利を害し、憲法に保障された上告人の基本的人権を侵し、「憲法ノ違背」がある(民事訴訟法第394条前段)。
以上

別表 略
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