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【事件名】「噂の真相」の名誉棄損刑事事件(刑) 【年月日】平成14年3月20日 東京地裁 平成7年刑(わ)第1036号 名誉毀損被告事件 判決 主文 被告人Aを懲役8月に、被告人Bを懲役5月にそれぞれ処する。 被告人両名に対し、この裁判が確定した日から2年間それぞれその刑の執行を猶予する。 訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。 理由 (罪となるべき事実) 被告人Aは、東京都新宿区≪以下略≫所在の株式会社Zの代表取締役で、同会社が発行する月刊誌「Z」の編集人兼発行人として、同誌に掲載する記事の企画、執筆、編集等の業務全般を担当しているもの、被告人Bは、同会社の編集部員として、同誌に掲載する記事の企画、取材、執筆等を担当しているものであるが、いずれも両名共謀の上、 第1 平成5年6月1日発行の「Z」同年6月号誌上に、企業経営・商品開発に関するコンサルタント業務等を営む株式会社Y1の代表取締役であるCに関する記事を掲載するに当たり、「“マルチプランナー”が売りのCの悪い評判の周辺」との見出しの下に、 (一) 「“ウブな学生”を捕まえ『キミはまだ学生なのに“出来る”奴だ。この僕が言うんだから間違いないよ。』と持ち上げ…自分が企業や雑誌などから依頼されたコラム原稿のゴースト・ライターをいきなり頼むのだという。…原稿料はピンハネして、上手く商売しているのだ。」、「Cの著書の一つ『a』は全部早稲田の学生が書いたという噂すらある。他にも『X1』『X2』の連載を始め、雑誌関係は全て“学生の手によるもの”だったといわれているのだ。どうもその“巧みな話術”で学生を喰いものにしていた様子が垣間見えるではないか。」、「彼が大学生だった頃からずっと支えてきたD夫人自身さえもが、彼の著書や原稿を、代わりに書いていたという話もある。」 旨、あたかもCが自己名義の原稿や著作等を他人に代作させているかのような内容の事実を、 (二) 「飲み会での話なんですが、彼、酔っ払って顔を真っ赤にしながら、自分のチンポコをマドラー替わりにして、グラスに突っ込んでグルグル…かき回したものを学生に『飲め!』と強要するんですよ。おまけに『ピクルスだ!』とか言って、自分の“陰毛”を酒に入れて飲ませるとか。焼酎にケチャップや醤油を混ぜて“C・カクテル”を作ったり…。ここまでくるともう“学生ノリのまま大人になってしまった人”としか思えないでしょ。」、「自分の“ゲロ”を他人に口移ししていた時期もあったらしいよ。みんな『恐怖のゲロ回し』って呼んで怖がってた(元・早稲田大学生の証言)」、「去年、税務調査があった時に、“用途不明な不動産購入”がバレたらしいんですよ。どう考えても“女を囲っている”としか思えないんですよね(彼をよく知る関係者)」 旨、Cの私生活上の行状等に関する事実を、 (三) 「以前、家電メーカーのイベントでの話ですが、彼とは全く関係ないイベンターが、大がかりなものを企画していたんですよ。丁度Cがそのライバルメーカーの仕事をやっていた時でね。大きなホールを借りて、学生を集めての“企画大賞”というものでしたが。そのイベントの数日前にFAXが来たんです。“ホールに爆弾を仕掛けた。すぐさまイベントを中止せよ”というもので、送信元は『早稲田の過激派学生』となっていました。そのFAXは、ホールの館長、早稲田大学総長など、あらゆる所に送られていたらしくて、クライアントもさすがにビビって、部長会議まで開き、対策を練った。当日、高田馬場警察や、代理店の営業マンを総動員したらしいです。…誰がわざわざそんなことをしたと思いますか?業界ではもっぱらCといわれてます。その後暫くして、彼の事務所のバイト生がゲロったらしいんです。『Cに頼まれてやった』とね。これは表には出ていないことですが。ただ、Cがそういう“怪文書専門”のバイトを雇っていたという話もありますからね。被害はそこだけではないはずですよ(元・早大生)」、「彼の『病的なほど』の嫌がらせ癖から発生する噂は他にもある。『昨年、W園で“V”をあるイベント屋主催でやったでしょ。その時も“時限爆弾を仕掛けた”という怪文書が送られてきたらしいんですよ。…これもCの仕業じゃないかと噂されたほど。彼は同業者で、かつ“自分に付かない輩”を心底嫌っていますからね(元・イベントサークル活動家)』」 旨、あたかもCが上記各怪文書の送付に関与しているかのような内容の事実を、それぞれ執筆掲載した上、平成5年5月10日ころ、同誌約5万2000部を取次店を通じて東京都目黒区≪以下略≫所在のU1書店中目黒店ほか国内の多数の書店において販売して頒布し、もって、公然事実を摘示して上記Cの名誉を毀損し、 第2 平成6年1月1日発行の「Z」同年1月号誌上に、弁護士で作家のE及び同人の妻であるFに関する記事を掲載するに当たり、「社会派推理作家・Eの信じ難き素顔を初めて暴く!」との見出しの下に、 (一) 「Eは他の作品からのパクリは日常茶飯事にやっている。しかもゴーストを使うこともある。これは有名な話です。ネタが詰まった時によく外国の作品なんかの無名の物からパクリをやるんです。」、「自分では全く考えず、こうして周囲の人達に代わりに考えさせている。自分の妻にまでプロットを書かせることもあるということです。」、「資料集めや取材などもほとんど自分ではやりません。すべて秘書や編集者がやります。しかも、先生の専門である法律関係についてもなんです。」、「ここ10年以上弁護士の仕事なんてほとんどしていないのが実情です。…だから弁護士経験を生かした“ナマの法廷もの”をウリにしていても、先程の話のように、実体験ではなくパクリです。実際の裁判の流れなどは判例時報からよくパクッていました。」、「現場にいると分かりますが、創作という観点が全くないのは一目瞭然です。これで人気大作家といわれるんですから、あきれちゃいますよ。単にパクリの才能だけでね(笑)。」、「またG賞の選考委員をやっていた時など、送られてきた候補作品に目も通さないんです。もちろん秘書やスタッフにやらせているんです。その結果だけを報告させるということをしてました。しかもその選評まで人に書かせたこともあります。実際、昭和62年受賞の『b』、翌年の『c』などの選評はゴーストさせたものです。」、「人まかせな“創作活動”に精を出す、作家・Eの実像がおわかりになっただろう。」、「“作家”“弁護士”としての立場には関係なくご都合主義者ですね。人を人とも思わない。だからゴーストをやらせても、同じネタを使い回しても平気なんです。だから読者をナメきっていて『こんなもんで充分や』と原稿に対するチェックも甘い。最近は長編も書いていませんし、いまや書く気力もないんじゃないでしょうか。」 旨、あたかもEには創作等の能力がなく、同人名義の各種原稿や著作等は、同人が他人に代作させたり、他人の作品等から引き写したものであるかのような内容の事実を、 (二) 「最近も2人で温泉旅行に行ったんですが、その時に記念として、奥さんの局部の写真を撮って、それを事務所のスタッフに整理させるのだからどういう神経かわかるでしょう。しかも1000万円くらいかけて、寝室もラブホテルのように改造し、風呂もガラスばりにしたそうです。しかもTバックなどエッチな下着を平気で外に干したりしている。」 旨、E及びFの私生活上の行状等に関する事実を、それぞれ執筆掲載した上、平成5年12月10日ころ、同誌約6万8000部を取次店を通じて東京都千代田区≪以下略≫所在の株式会社U2書店ほか国内の多数の書店において、販売して頒布し、もって、公然事実を摘示してE及びFの名誉を毀損した。 ≪(証拠の標目)省略≫ (法令の適用) 被告人両名の判示第1の所為はいずれも平成7年法律第91号附則2条1項本文により同法律による改正前の刑法60条、230条1項に、判示第2の所為はいずれも各被害者ごとに同法60条、230条1項にそれぞれ該当するところ、判示第2は1個の行為が2個の罪名に触れる場合であるから、同法54条1項前段、10条により被告人両名についていずれも1罪として犯情の重いEに対する名誉毀損罪の刑で処断することとし、判示各罪について所定刑中懲役刑を選択し、被告人両名について、以上は同法45条前段の併合罪であるから、同法47条本文、10条によりいずれも犯情の重い判示第1の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人Aを懲役8月に、同Bを懲役5月に処し、情状により同法25条1項を適用してこの裁判が確定した日から2年間それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法181条1項本文、182条により被告人両名に連帯して負担させることとする。 (補足説明) 第1 公訴棄却の主張について 1 弁護人は、種々の理由を挙げて、本件公訴は棄却されるべきであると主張し、その最終弁論において、上記公訴棄却の理由として以下の諸点を指摘する。 (1) そもそも、名誉毀損については、刑事制裁は、当該事件が民事制裁では足りず、あえて刑事制裁を必要とするだけの十分かつ明白な理由があり、刑事的手続によって言論の自由が侵されないよう慎重な配慮が加えられて始めて許容されると解すべきところ、本件ではそのような事情が認められないから、被告人らに対する公訴提起は違法であって、本件公訴は棄却されるべきである。 (2) Cは、判示第1の記事が同人の名誉を毀損するものであるとして、被告人らに対し民事訴訟を提起していたが、その訴訟においては、平成7年6月14日の和解期日に和解が成立することが見込まれていた。ところが、検察官は、このように当事者間で民事上の和解が成立し、これに伴いCの側から被告人らについて刑事処罰を求める意思のないことが表明されることになる蓋然性が高いとの事情を熟知しながら、その和解期日の前日である同月13日にあえて本件公訴を提起したのであり、これは検察官に与えられた訴追裁量を逸脱するものである。このような場合、判示第1事実に係る本件公訴の提起は違法というべきであるから、同事実に係る本件公訴は、この理由によっても棄却されるべきである。 (3) 判示第2の記事に関しては、Eとその妻のFのほか、Eの前妻であるHも連名で被告人らに対する告訴をしているが、Hは、Eの下で働いていたIに対し、Eに関する情報を「Z」に提供するよう働きかけて、本件記事のもとになった情報を同誌にもたらした原因を作り、本件記事の掲載予定原稿を知らされてその真実性を保障し、更には自ら同誌の取材に応じてもよいという意向を示すなどの積極的な働きをした人物である。このようにいわば告発の張本人とも称すべき前妻が告訴人に名を連ね、自らの処罰を求めるという趣旨に帰する行為に及んだ本件告訴は異常であって、それをあえて取り上げた判示第2事実に係る本件公訴の提起は、訴追裁量を逸脱して違法であり、同事実に係る本件公訴は、この理由によっても棄却されるべきである。 (4) 他人の社会的評価に影響を与える言論についても、「言論には言論で」が大原則であるから、刑事名誉毀損が機能すべき場があるとすれば、それは対抗言論を持たない私人ないし弱者の名誉が毀損されたときである。ところが、Eは、自らの著作の中で、判示第2の記事に関し、「Z」誌に対して最大限の非難を浴びせかけているのであって、Eは、まさに上記意味での反論の機会を持つとともに、現にこれを行使したものということができる。このように反論の機会を持ち、現にこれを行使した者を被害者とする名誉毀損罪の公訴提起は許されないというべきであるから、判示第2事実に係る本件公訴提起は、訴追裁量を逸脱して違法であり、同事実に係る本件公訴は、この理由によっても棄却されるべきである。 2 そこで、弁護人の上記主張について、以下のとおり判断する。 検察官の公訴の提起に仮に訴追裁量権の逸脱があるとしても、直ちに公訴の提起自体が無効になるものではなく、検察官の訴追裁量権の逸脱が公訴を無効ならしめる場合があるとしても、それは例えば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるものというべきである(最高裁第一小法廷昭和55年12月17日決定・刑集34巻7号672頁参照)。弁護人は、本件のように表現行為について名誉毀損罪の成立が問題とされている事案の場合には、検察官の公訴提起が無効とされるのは、上記判例の説示するような極限的な場合に限られないという趣旨と解される主張をするが、採用し難い。 この観点に立って考察すると、弁護人が主張する前記1の(1)から(4)までの各事由は、それ自体、前記の意味において、公訴提起を無効ならしめるような場合には当たらないことが明らかであって、弁護人の主張はこの点で既に理由がないといわざるを得ない。 また、そもそも、本件の公訴提起に訴追裁量の逸脱があったという弁護人の主張の前提自体、たやすく賛同することができない。 すなわち、まず、上記1(1)の主張は、名誉毀損の公訴提起について慎重であるべきことを指摘する点は、その限りでは傾聴に値するとしても、後に詳述するとおり名誉毀損罪を構成することが優に認められて、被害者の告訴も具備されていた本件の場合について、なお民事制裁を優先させるべきであって、公訴提起は許されないという趣旨までいうものとすると、理由がなく、賛同することができない。 また、上記1(2)の主張についてみると、なるほど、本件の公訴が提起された当時、Cを原告とし、株式会社Z等を被告として、判示第1の記事の掲載頒布に係る名誉毀損を請求原因とする謝罪広告等請求の民事訴訟が係属し、平成7年6月14日に和解期日が指定されていたなどの事情はうかがうことができる。しかし、弁護人が主張するように、同期日に和解が成立することが十分見込まれるような状況にあったなどとは認められず、前記主張はこの点において前提を欠いているというほかはない。 次に、上記1(3)の主張については、弁護人主張のような事由があるからといって、E及びFを被害者とする本件の公訴提起に関し、特段訴追裁量の逸脱の問題を生ずるような関係にあるものではない。 さらに、上記1(4)の主張についてみると、なるほど、関係証拠によれば、Eが自己の執筆した小説「d」及び「e」の各巻末で、判示第2の記事に対してEらが法的措置をとったことを記載したり、上記記事に対する短い反論を記載するなどし、また、自己の小説「f」の中に雑誌「Z」をモデルとしたと理解されるような雑誌を仮名を使うなどして登場させ、暗に「Z」の執筆姿勢を非難するかのように解される趣旨の文章を織り交ぜているなどの事情は認められる。しかし、判示第2の記事について名誉毀損罪が成立することが明らかであることは後に詳述するとおりであるところ、このような被害を受けたEが、上記の程度の反論等を行ったからといって、そのことのゆえに、上記名誉毀損罪に関する検察官の公訴提起がその訴追裁量を逸脱したものになるなどと解すべき理由はない。弁護人の前記主張がこれと異なる趣旨をいうものとすると、独自の見解であって、採用し難いというほかはない。 補足すると、弁護人は、本件の審理の過程で、上記の諸点以外にも、種々の理由を挙げて、本件公訴を棄却すべき旨主張してきた。例えば、弁護人は、本件公訴提起は「Z」が従来行ってきた検察庁等批判の言論活動に対する意趣返しとして行われたなどとも主張する。しかし、本件の全証拠を精査し、また、後述するとおり名誉毀損罪の成立することが明らかな本件事案の内容等にも照らして検討すると、本件の公訴提起が上記のような不当な意図をもってことさら行われたという弁護人の前記主張は、その前提を認め難いというほかはない。また、弁護人は、本件審理の過程で、その他にも種々の理由を挙げて公訴棄却の主張をしているが、いずれも理由のないことが明らかである。 したがって、公訴棄却をいう弁護人の主張は採用することができない。 第2 被告人らの行為の名誉毀損罪該当性について 1 被告人らが、共謀の上、「Z」の平成5年6月号及び平成6年1月号に、判示の内容の記事を執筆掲載してこれを販売頒布したことは、関係証拠上明らかであり、また、上記各記事の内容自体に照らし、この事実が刑法(平成7年法律第91号による改正前のもの。以下同じ)230条1項所定の「公然事実ヲ摘示シ人ノ名誉ヲ毀損シタル」場合に当たることも、優に肯定することができる。 2 もっとも、本件で何をもって「事実の摘示」とみるかについて、弁護人の主張と当裁判所の判断とが異なるところがあるので、若干補足して検討を加える。 (1) まず、判示第1のCに対する名誉毀損について検討する。 判示第1のCに関する記事中における事実摘示の仕方を見ると、この記事の記述の仕方は、必ずしも執筆者自身が直接見聞したり経験した事柄を述べるという表現方法ではなく、風聞や噂があるという表現方法をとったり、第三者の発言の引用という形の表現をしている(その第三者の発言内容自体が、また風聞や噂の存在を指摘するという形で述べられたり、他人の発言を引用するという形で述べられている場合もある。)箇所が多いことが認められる。しかし、判示第1の(一)から(三)までの記事内容は、上記のような表現方法をとってはいても、この記事に接する人に対し、単に風聞や噂が存在し、あるいはある事柄について発言している人がいるというだけにとどまらず、当該風聞や噂ないし上記発言の内容たる事実自体が存在するという印象を与えるものであることは明らかであり、ここで摘示されているのは、あくまでも上記風聞や噂ないし第三者の発言の内容を成す事実自体であると解すべきである(なお、最高裁第一小法廷昭和43年1月18日決定・刑集22巻1号7頁参照)。上記のように、第三者の発言が更に風聞や噂の存在を述べたり、他人の発言を引用する形で述べられるという表現をとっている場合には、やはりその風聞や噂ないし他人の発言の内容を成す事実自体が摘示されているものといわなければならない。 この観点に立って、この記事で摘示されている事実の内容を更に具体的に見ると、それは、判示第1の(一)の関係では、(i)Cが、企業や雑誌等から依頼を受けたコラム原稿のゴースト・ライターを学生に頼んで、原稿料をピンはねしているという事実、(ii)Cの著書である「a」は全部早稲田大学の学生によって書かれたという事実、(iii)「X1」や「X2」の連載を始めとして(Cの名で掲載された)雑誌関係の記事はすべて学生によって書かれたものであるという事実、(iv)Cの元妻であるDが、Cの著書や原稿をCの代わりに書いていたという事実であり、判示第1の(二)の関係では、(v)Cが、酒席において、自己の陰茎をグラスに突っ込んでかき回したものを学生に飲めと強要したり、自己の陰毛を酒に入れて飲ませたりしたという事実、(vi)Cが税務調査の際に用途不明な不動産購入を問題にされるなど、愛人を囲っているとしか思えない様子があるという事実であり、判示第1の(三)の関係では、(vii)家電メーカーのイベントの際、ライバル会社の仕事を担当していたCが、送信元を早稲田の過激派学生とし、イベント開催場所のホールに爆弾を仕掛けたからイベントを中止しろといった内容を記載したファックスを、ホールの館長、早稲田大学の総長等に送りつけたという事実、及び(viii)Cが、W園で「V」というイベントが行われた際、爆弾を仕掛けたといった内容を記載した怪文書を送りつけたという事実であるということになる。 補足すると、弁護人は、前記(i)から(iv)までについて、「a」、雑誌関係、D等に関する本件記事中の記述はいずれも、Cの著作については他人による代筆が広範に行われており、特に学生に執筆させていることが顕著であるという事実を指摘するための例示として表現されているのであるから、それ自体が本件記事で摘示された事実には当たらないという趣旨の主張をしている。しかし、前記(i)から(iv)まではそれ自体がCの名誉を害するに足りる重要な意味を持つ具体的事実を摘示するものであって、それ自体がまさに本件の摘示事実に当たるといわなければならない。 弁護人は、また、(vii)及び(viii)について、本件記事中のこの部分の記載は、Cがイベント妨害の怪文書送付に関与しているという噂があること自体を摘示したものであるとか、摘示されているのはCが執ような嫌がらせ癖を持っているという事実であるなどとも主張する。しかし、(vii)及び(viii)は、Cの嫌がらせ癖なるものの例示として挙示されているものであるとしても、それ自体がCの名誉を害するに足りる重要な意味を持つ具体的事実としての性格を持つことはいうまでもない。また、噂とその内容たる事実との関係に関する弁護人の主張については、既に検討を加えたとおりであって、弁護人のこの主張も採用することはできない。更に補足すると、後記第3の2(3)で触れるように、この記事部分で取り上げられているイベント妨害なるものは、それ自体偽計又は威力による業務妨害等の犯罪行為を構成すると解する余地もある事実であると理解することが可能である。ところで、一般に他人が犯罪を行ったという趣旨の事実摘示がされた場合、刑法230条ノ2第1項所定の真実性の証明としては、本来の意味での犯罪行為の立証を私人に求めることは困難であることが多いから、上記犯罪の存在について合理的な疑いがあることを証明すれば足りると解する余地もある。しかし、そうであるからといって、犯罪の疑いに関する単なる噂の存在さえ立証すれば真実性の証明を尽くしたことになるというものではないし、犯罪の存在に関する噂があるという形の事実の摘示をした場合に、摘示された事実はそのような噂の存在にすぎないなどと解することもまたできないことは、上述したところに照らして、明らかというべきである。 (2) 次に、判示第2のE及びFに関する記事について補足する。 「Z」平成6年1月号のE及びFに関する本件記事は、その冒頭部分に「Eのスタッフでもあり、数年間共に仕事をした人物」の「激白」と記載されているように、全体としてこの人物(実際には、前記Iを指すことが明らかである。)の発言の引用という形の表現をしているところが非常に多く、また、その人物の発言内容なるもの自体が、風聞や噂の存在を指摘するという形で述べられたり、他人の発言を引用するという形で述べられているように解される箇所もある。しかし、この記事内容は、上記のような表現方法をとってはいても、この記事に接する人に対し、単に同記事の内容のような事柄について発言している人がいるというだけにとどまらず、その発言の内容たる事実が存在するという印象を与えるものであることは明らかであり、ここで摘示されているのは、やはり上記発言の内容を成す事実自体であると解すべきである。そして、上記のように、上記人物の発言が更に風聞や噂の存在を述べたり、他人の発言を引用するという形で述べられるという表現をとっているように解される場合にも、やはりその風聞や噂ないし他人の発言の内容を成す事実自体が、摘示されている事実であるといわなければならない。 そうすると、この記事で摘示されている事実の内容を更に具体的に見ると、それは、要するに、判示第2の(一)の関係では、(ix)Eは日常茶飯に他の作品からのパクリや判例時報からのパクリをし、またゴーストを使うこともあるという事実、(x)Eは外国作品からよくパクリをしているが、その際自分では全く考えずに周囲の人たちに考えさせており、また、自分の妻にもプロットを書かせたことがあるという事実、(xi)Eは、法律関係も含め、資料集めや取材等をほとんど自分でやらず、すべて秘書や編集者に任せているという事実、(xii)Eは、G賞の選考委員をしていたとき、実際には候補作品に目も通さずに、秘書やスタッフに読ませて結果だけを報告させるということをしており、昭和62年受賞作の「b」、翌年の受賞作の「c」などの選評はEがゴーストさせたものであるという事実、(xiii)Eは最近は長編を書いていないという事実であり、判示第2の(二)の関係では、(xiv)Eが妻(F)の局部の写真を撮って、それを事務所のスタッフに整理させたという事実、及び(xv)(EないしFが)寝室をラブホテルのように改造し、風呂もガラス張りにしたり、Tバックなどの下着を平気で外に干しているという事実であるということになる。 補足すると、弁護人は、パクリとかゴーストとかの言葉は、その意味が確定しておらず、前記(ix)、(x)や(xii)でこれらの言葉が用いられている部分に事実の摘示があるということはできないという趣旨を主張する。 しかし、なるほど何をもって「パクリ」というかについて、人によってある程度の理解の幅があり得ることは当然であるとはいえ、この言葉が用いられる場合の通常の語義に加え、本件記事中におけるこの言葉の使われ方、特に、Eが「パクリ」をしているという文脈の中で、「ネタが詰まった時によく外国の作品なんかの無名の物からパクリをやるんです。そのときに、盗作にならない程度に主人公の年齢の設定を変えるとか、あるいは舞台を日本風にしてみたりとか、時代背景とか、変えてしまうんです。海外ミステリーは日本と同様、作品数が多いですから、多少設定を変えるだけで、意外と分からない」、「外国の短編集を膨らませていって長編にしていくというパクリをやるのに、いちいち自分で読んでいられないからと、スタッフに読ませて要約やトリックの手法をレポートとして書かせる。それを見ながらテープに吹き込むんです。自分では全く考えず、こうして周囲の人達に代わりに考えさせている」、「創作という観点が全くないのは一目瞭然です。」、「人まかせな“創作活動”に精を出す、作家・Eの実像」といった表現が繰り返し用いられていることなどにも照らすと、ここでは、Eが、自分では創作をすることなく、他人の作品等について単に設定等を多少変える程度のことをするだけで、これを引き写したにすぎないものを自分の作品として発表しているということを表す趣旨で、「パクリ」という表現が用いられていることが明らかである。「ゴースト」についても、何をもって「ゴースト」というか、人によってある程度の理解の幅があり得るとしても、「ゴースト」とか「ゴースト・ライター」という言葉が用いられる場合の通常の語義に加え、本件記事中におけるこの言葉の使われ方、Eが自分では創作をしていないことを一貫して強調する本件記事の文脈等にも照らすと、ここでは、Eが他人に自分の作品を代作させ、こうして他人が創作した作品をE自身の作品として発表しているということを表す趣旨で、「ゴースト」という表現が用いられていることが明らかというべきである(なお、このことは、Cに関する判示第1の記事中に「ゴースト・ライター」の語が用いられている(前記(i))点についても、同様に考えられる。)。 そうすると、弁護人指摘の前記部分も事実の摘示に当たることを肯定することができるから、弁護人の前記主張は採用することができない。 更に補足すると、Eらに関する本件記事中には、判示のとおり、Eについて、「ご都合主義者」、「同じネタを使い回し」ているなどの表現をしている箇所もある。しかし、これらの表現は、本件記事の文脈に照らしても必ずしもその意義が明確でないところがあり、具体的な事実の摘示に当たるとは認め難い。もっとも、これらの記述は、Eがゴーストをさせているとか、最近は長編を書いていないなどの事実摘示に係る記述と一連のものとしてされているから、その意味で判示事実中に認定するのが相当であるが、それ自体は具体的な事実の摘示には当たらないと解するのが相当である。 第3 刑法230条ノ2による免責について 1 はじめに 弁護人は、種々の理由を挙げて、本件については刑法230条ノ2第1項所定の免責が認められるべきである旨主張しているので、次にこの点について検討を加える。 2 判示第1のCに対する名誉毀損について (1) 判示第1の記事のうち、(一)の部分は、全体として、Cが自己名義の原稿や著作等を他人に代作させているかのような事実を、(二)の部分は、全体として、Cの私生活上の行状等に関する事実を、(三)の部分は、全体として、Cが判示怪文書の送付に関与しているかのような内容の事実をそれぞれ摘示したものである。刑法230条ノ2第1項所定の免責が認められるためには、まずこれらの事実が同項所定の公共の利害に関する事実に当たることが認められなければならないことはいうまでもない。 (2) まず、判示第1の(一)の摘示事実について検討すると、関係証拠によれば、Cは、T大学在学中に全国の大学のメディア系のクラブの幹部の交流会Sの初代代表を務めた後、各種マーケティングやコンサルタント業務等に従事し、各地方公共団体や通商産業省等の委員会の委員なども務める一方、上記業務等の関連で、各種著作や各種雑誌等への執筆もするなど、種々の社会的活動を活発に行い、その活動や言動は前記著作執筆やその他のマスメディアへの登場の機会等を通じ、かなり広範な人たちの知るところとなり、その著作等も若年層を始めとする相当多数の人たちから関心をもって迎えられていたことなどがうかがわれる。このような事実関係を前提として考察すると、判示第1の(一)の記事部分は、Cのこのような著作等が実は他人に代作させていたものであったなどの事実を摘示するものであり、Cの前記社会的活動の内容等に加え、同人が自己の著作物として公表している著作等が真に同人の手になる著作物であるか否かは、当然一般読者の関心を持つところと推認されることなどにも照らすと、その摘示事実は、刑法230条ノ2第1項所定の公共の利害に関する事実に当たると解するのが相当である。 (3) また、判示第1の(三)の摘示事実は、その内容が必ずしも明確でない点などはあるが、ここに記載されているような怪文書の送付にCが関与しているとすれば、同人について偽計又は威力による業務妨害罪等の犯罪行為を構成する可能性があると解する余地があるものということができる。上記の犯罪行為について公訴が提起されていないことも明らかであるから、結局、この事実は、刑法230条ノ2第2項にいう「未タ公訴ノ提起セラレサル人ノ犯罪行為」に当たると解することが可能であり、同条1項所定の公共の利害に関する事実に当たるとみなされるべきことになる。もっとも、後記第6の2(1)オのとおり、本件記事の摘示するイベント妨害のうち「家電メーカーのイベント」に対する妨害なるものは、実際には昭和62年当時の出来事を指すようにうかがわれるのであって、この点に関する犯罪行為の存在を仮定しても、既に公訴時効が完成していた関係になるようにもうかがわれる。そうすると、この点については、同法230条ノ2第2項の該当性を直ちに認めることができるか疑問をいれる余地があることは否定し難い。しかし、Cが上記のような社会的活動を行う過程で、それ自体犯罪行為を構成し得るような、ライバル会社のイベントに対する悪質な妨害活動を行ったという事実は、もしそのような事実が存在するのであれば、単なるCの私生活上の行状というにはとどまらないし、その社会的活動に対する評価について重要な意味を有する可能性がある事実であるといわなければならない。そうすると、上記「家電メーカーのイベント」の妨害に関する摘示事実も、同法230条ノ2第2項の該当性にかかわらず、同法230条ノ2第1項所定の公共の利害に関する事実に当たると解するのが相当である。 (4) しかしながら、判示第1の(二)の摘示事実について検討すると、ここでは、Cの酒席での醜行や女性関係といった、Cの私生活上の行状ないしそれに関連する私生活上の出来事に関する事実が摘示されていることは、この記事部分の記載自体から明らかである。補足すると、この記事部分のうち、「去年、税務調査があった時に、“用途不明な不動産購入”がバレたらしいんですよ。どう考えても“女を囲っている”としか思えないんですよね(彼をよく知る関係者)」という箇所には、“用途不明な不動産購入”の判明に関する記載と、“女を囲っている”という女性関係に関する記載とがあるが、これらの記載の前後の脈絡についてみるまでもなく、記載の内容自体に照らしても、上記用途不明な不動産購入というのも、要するに、Cの女性関係に関連する内容として摘示されていることが明らかである。 ところで、私人の私生活上の行状ないしそれに関連する私生活上の出来事であっても、その携わる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、刑法230条ノ2第1項所定の公共の利害に関する事実に当たる場合があるということができる(なお、最高裁第一小法廷昭和56年4月16日判決・刑集35巻3号84頁参照)。しかし、上記のような各種マーケティングやコンサルタント業務等に関わるCの活動の内容、性質等にかんがみても、同人の酒席での行状とか女性関係といった事実は、Cの前記活動とは特に関連がない事実であることが明らかであり、Cの社会的活動に対する批判ないし評価の資料として特段の意味がある事実に当たるとはいえない。弁護人は、Cのような人物についてはその私生活上の行状等も前記公共の利害に関する事実に当たると解すべきであるとし、その理由として、Cの活動がマスメディアによって広く報じられ、若年層に強い影響力を与えているなどの点を挙げるが、弁護人主張の事実の存在をひとまず前提として考察しても、上記の判断は左右されない。 したがって、判示第1の(二)の摘示事実は、公共の利害に関する事実には当たらないというほかはない。 (5) そうすると、判示第1の被告人らの行為は、それ自体が名誉毀損罪の構成要件を充足する上、その摘示された事実のうちに刑法230条ノ2第1項所定の公共の利害に関する事実に当たらないことの明らかな事実(判示第1の(二))があるということになる(もとより、この(二)の事実は、それ自体を取り上げてもCの名誉を害するに足り、それだけが摘示された場合でも名誉毀損罪を構成し得る事実であるし、この事実の摘示が本件の名誉毀損の犯罪行為の中で重要な位置を占めていることもまた明らかである。)。したがって、被告人らの行為については、その余の点について検討するまでもなく、同法230条ノ2第1項所定の免責は認められないものというほかはない。なるほど、被告人らが本件で摘示した事実のうちには、判示第1の(一)及び (三)のように、それ自体としては公共の利害に関する事実に該当するものが含まれていることは上記のとおりである。しかしながら、被告人らがした判示第1の(一)から(三)までの事実摘示は、同一記事中に不可分の形で行われ、全体としてCの名誉を対象とする1個の名誉毀損行為を構成することが明らかである以上、(一)及び(三)について、(二)とは別個に刑法230条ノ2の該当性を更に検討の対象にして、被告人らの上記名誉毀損行為について、その違法性の阻却などを問題にする余地があると解することはできない。 (6) 以上に照らすと、被告人らの判示第1の名誉毀損行為について刑法230条ノ2の免責を考慮する余地のないことは既に明らかというほかはない。 なお、弁護人らは、本件の審理の経過等に照らすと、本件で刑法230条ノ2第1項所定の真実性の証明が許されることは明らかであるという趣旨と解される主張をしているので、以下、この点について補足して検討を加える(この点に関しては、判示第2のE及びFに関する記事の関係についても併せて触れることとする。)。 すなわち、本件起訴状記載の公訴事実は、前記罪となるべき事実とおおむね同旨の事実(両者の相違する点については、後記第4参照)を記載するとともに、被告人らが執筆、掲載した公訴事実記載のC、E及びFに関する記事内容がいずれも虚偽の事実であり、被告人らは、いずれも確実な根拠がないのにもかかわらず、これらの事実を摘示したという趣旨を記載していた。さらに、検察官は、第2回公判で「公訴事実に『虚偽の事実』であると記載してあるものについては、その事実が虚偽であるという立証は行うが、これは立証を重ねているうちに明らかになることであるから、立証段階で明らかにする。」と釈明し、その後、本件の各記事の虚偽性等を立証しようとする趣旨の証拠を相当数申請するなどの訴訟活動を行ったことが認められる。 しかし、ある摘示事実が刑法230条ノ2第1項所定の真実性の証明の対象となるか否かは、まずもって当該事実が同項所定の公共の利害に関する事実に当たることが前提であり、またそのこと自体は、当該事実の客観的性質自体に照らして自ずから決せられるべき事柄である。したがって、公訴事実中に当該摘示事実が虚偽であるなどの記載がされているからといって、このような記載の当否は別にして、直ちにその事実が上記意義における真実性の証明の対象になるという関係にあるものではない。また、第2回公判における検察官の前記釈明については、その趣旨が必ずしも明確でない点があるが、検察官としては、被告人らの摘示した事実が公共の利害に関する事実に当たると裁判所により判断され、公益目的も肯認されて、それについて真実性の証明の成否が問題になる可能性も考慮に入れ、あらかじめこれら事実の虚偽性について検察官の立場から証明をする用意のあることを表明したものと理解する余地もないではないが、むしろ、摘示された事実が虚偽であることは、それ自体、情状の評価の上で無視できない事情であるから、検察官として本件摘示事実の虚偽性を立証しようとする趣旨を表明したものとも理解することができ、またそのような検察官の立証方針自体は、それ自体否定されるべきものではない。したがって、弁護人指摘の本件の訴訟経過等は、弁護人の上記主張の根拠となるものではない。 3 判示第2のE及びFに対する名誉毀損について (1) 判示第2の記事のうち、(一)の部分は、全体として、Eに創作等の能力がなく、Eが自己名義の各種原稿や著作等を他人に代作させたり、他人の作品等から引き写しているかのような事実を、(二)の部分は、全体として、E及びFの私生活上の行状等に関する事実を、それぞれ摘示したものである。これらの事実を摘示した被告人らの行為について刑法230条ノ2第1項所定の免責が認められるためには、やはりまずこれらの事実が同項所定の公共の利害に関する事実に当たることが認められなければならないことはいうまでもない。 (2) まず、判示第2の(一)の摘示事実について検討すると、Eが、推理小説を中心として、多数の著作を世に出して、多くの読者を有し、社会的に広く知られた作家であることは、関係証拠に照らしても明らかであるところ、判示第2の(一)の記事部分は、Eには実は創作等の能力がなく、その著作とされるものが実は他人の代作によるものであったり、他人の作品等の引き写しであるなどの事実を摘示するものであり、Eの作家としての社会的活動の内容等に加え、同人が自己の著作物として公表している著作等が真に同人の手になる著作物であるか否かは、当然一般読者の関心を持つところと推認されることなどにも照らすと、その摘示事実は、刑法230条ノ2第1項所定の公共の利害に関する事実に当たると解するのが相当である。 (3) 次に、判示第2の(二)の記事部分は、E及びFの私生活上の行状等に関する事実を摘示するものであることが明らかである。 私人の私生活上の行状等であっても、その携わる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、刑法230条ノ2第1項所定の公共の利害に関する事実に当たる場合があることは、前記2(4)で説示したとおりである。しかし、上記のようなEの活動の内容、性質等にかんがみ、更に被告人らが強調するように、Eが上記のような作家としての立場とともに弁護士としての社会的立場も有していること等を併せて考慮しても、Eが妻の局部の写真を撮って事務所のスタッフに整理させたとか、自宅の寝室をラブホテルのように改造したり、風呂をガラス張りにしたりしたとか、(妻が)Tバックなどエッチな下着を平気で外に干しているといった内容の、本件記事が摘示するEの私生活上の行状等に関する事実は、Eの社会的活動とは特に関連がない事実であることが明らかであり、Eの社会的活動に対する批判ないし評価の資料として特段の意味がある事実であるとはいえない。 弁護人は、Eが全国に多数の愛好者を持ち、それにより多数の人間関係を形成しているベストセラー作家であり、公人というべき存在であると強調するが、そうであったとしても、前記のような内容に係る同人らの私生活上の行状等に関する事実が、前記意義における公共の利害に関する事実に当たると解することはできない。弁護人は、被告人らがEの私生活上の行状等を記事に取り上げたのは、Eの私生活の変化、荒廃が、職場環境の悪化をもたらし、Eの創作能力の低下等の原因となったという関係があったからであるなどとも主張する。しかし、弁護人の主張するような事実関係があることを一応仮定して考察してもなお、上記のような内容のEの私生活上の行状等に係る事実が公共の利害に関する事実に当たるとは考えられない。 そうすると、判示第2の(二)の摘示事実は、Eの私生活上の行状等に関するというにとどまらず、その妻であるFにとっても私生活上の行状ないしそれに関連する出来事に係り、同女のこのような私生活上の行状等に関する事実がいかなる意味で公共の利害に関する事実に当たるというのか、弁護人によっても明確な主張がされているとはいえないなどの点について考慮するまでもなく、上記摘示事実は公共の利害に関する事実には当たらないというほかはない。 (4) そうすると、判示第2の被告人らの行為も、それ自体が名誉毀損罪の構成要件を充足する上、その摘示された事実のうちに刑法230条ノ2第1項所定の公共の利害に関する事実に当たらないことの明らかな事実(判示第2の(二))があるということになる(もとより、この(二)の事実は、それだけを取り上げてもE及びFの名誉を害するに足り、それだけが摘示された場合でも名誉毀損罪を構成し得る事実であるし、この事実の摘示が本件の名誉毀損行為の中で重要な位置を占めていることもまた明らかである。)。したがって、被告人らの行為については、その余の点について検討するまでもなく、同項所定の免責は認められないというほかはない。被告人らが本件で摘示した事実のうちには、判示第2の(一)のように、それ自体としては公共の利害に関する事実に該当するものが含まれているが、被告人らが行った判示第2の(一)及び(二)の事実摘示は、同一記事中に不可分の形で行われ、全体としてE及びFの名誉を対象とする1個の名誉毀損行為を構成することが明らかであるから、被告人らの上記名誉毀損行為について刑法230条ノ2第1項の該当性を理由にその違法性の阻却などを問題にする余地はないというべきである。 4 刑法230条ノ2による免責に関する結論 以上の検討結果のとおりであるから、その余の点について検討するまでもなく、被告人らの判示第1及び第2の行為のいずれについても、刑法230条ノ2第1項所定の免責を認める余地はないことが明らかである。 第4 本件公訴事実のうち判示認定から除外した部分について 本件公訴事実は、被告人らが、共謀の上、判示第2の(一)のEには創作等の能力がなく、E名義の各種原稿や著作等は、Eが他人に代作させたり、他人の作品等から引き写したものであるかのような内容の事実を執筆、掲載したという内容として、判示の摘示事実のほか、「Eの小説の書き方は、…テープレコーダーにストーリーを吹き込み、それを起こすという、いわゆる“テープ起こし”手法なんです。」、「その内容はやはりというか、かなり杜撰なものなんです。聞けば分かりますが、ただ単に喋ったことを起こすだけではまともな文章にはなっていないし、もちろん小説になりません。それほどひどいものです。ですから内容を直したりとか、思い違いをして喋ったものも入っていますので、そのテープを起こしてきちんと文章に整えるのが秘書やスタッフの仕事。Eよりよっぽど小説家になれると思われる人もいるほど(笑)。」旨を摘示したという点をも挙げている。 この部分は、「Z」平成6年1月号のEに関する本件記事のうち、「テープ起こしとパクリの技術」との小見出しを付され、Eの創作方法に関する批判を記述した部分の冒頭に記載されているものであるが、このうち、Eの小説の書き方がテープ起こしの手法によるものであるという摘示部分は、それ自体、特段Eの名誉を害するに足りるような内容のものであるということができない。すなわち、本件記事が掲載された当時、Eが、小説等を執筆するに当たっては、まずその内容をテープに吹き込み、秘書らにそれを聞かせワープロに入力、印刷して文書化させ、その文書化されたものを見て更に手を入れて原稿にするという、いわゆるテープ起こしと称される方法をとっていたことは、関係証拠上も明らかで、Eも自認しているところであるが、Eがそのような創作手法をとっているということ自体は、特段Eの創作能力自体を疑わせるものでもないし、同人の名誉を害するに足りるような事実に当たるものではない。 もっとも、上記記事部分が、Eの創作方法はテープ起こしによっているという指摘に引き続き、その方法がずさんであるという記述をしていることは前記のとおりである。その方法がどのような意味でずさんであるというのかについて、この記事部分には、「ただ単に喋ったことを起こすだけではまともな文章にはなっていないし、もちろん小説になりません。」、「内容を直したりとか、思い違いをして喋ったものも入っていますので、そのテープを起こしてきちんと文章に整えるのが秘書やスタッフの仕事」と記載され、また、これに引き続く部分では、Eはテープに吹き込む際、死体が10時何分に発見されたと述べながら、後の方では思い違いをして、その時刻を12時と述べたりすることがあるとか、登場人物の名前を途中で取り違えることがあるとか、Eはテープに吹き込むとき、一応句読点とかかぎかっこの類まで指定するが途中で言い忘れることも多いといった例が挙げられている。しかし、上記のようなテープ起こしの手法がとられる場合、テープに吹き込む当初の段階で、上記のような思い違いとか言い忘れ等があって、後の段階でそれが修正され、そのような過程を経て原稿として完成されていくということ自体は、それほど異とすべきことではない(なお、上記記事部分には、秘書らが「内容を直したり」することもあるといった記述もあるが、それも、秘書らがテープ起こしの際に上記のような修正の範囲を超えて、創作的な意味を有する関与をしているといった趣旨まで述べていると解するのにはいささか疑念をいれる余地がある。)。したがって、テープ起こしの際に上記のような思い違いや言い忘れ等があることを指摘すること自体は、Eの名誉を害するに足りる事実の摘示に当たるとまではいえない。もっとも、本件記事部分は、上記のように、「かなり杜撰なもの」、「まともな文章にはなっていない」、「それほどひどいもの」、「(秘書やスタッフには)Eよりよっぽど小説家になれると思われる人もいるほど(笑)」といった揶揄的、嘲笑的な表現をことさら連ね、Eの創作の仕方が、テープ起こしの通常の場合に比してもずさんなものであるという印象を与えかねないものになっている。このような表現は、上記記事部分が記述するようなEのテープ起こしの手法に対する批判としても飛躍があり、その批判として相当なものであるとはいい難いものであるとはいえ、その表現の内容、性格にも照らすと、それ自体はEのテープ起こしの手法に対する意見の表明といった趣旨であるにとどまり、それ自体が具体的な事実の摘示としての性格を有するものではないと解するのが相当である。 そうすると、上記の部分は、Eの名誉を害するに足りる事実の摘示に当たるとはいえないから、この部分は判示第2のEに対する名誉毀損行為を構成する事実摘示の範囲からは除外するのが相当である。 第5 正当行為の主張について 弁護人は、雑誌や新聞の発行は民主主義社会の中で営まれる重要かつ正当な業務であり、それが強請等の他目的達成の手段として行われる場合を除いては、正当業務行為として違法性が阻却され、被告人らの本件行為も正当業務行為として違法性が阻却されると主張する(平成7年11月28日付け意見陳述書(第2)等)。 しかし、既に詳述したとおり名誉毀損罪が成立することの明らかな本件事案について、弁護人主張のような理由によりその違法性が阻却されると解すべき理由はないから、この主張は採用することができない。 第6 摘示事実の内容等に関する立証に対する評価について 1 はじめに 上記第3の2(6)で説示したとおり、本件審理の過程で、検察官は、被告人らが摘示した事実の虚偽性を立証する趣旨の証拠を相当数申請し、他方、弁護人もまた、逆に本件摘示事実の真実性を立証する趣旨の証拠を相当数申請し、これらの証拠調べにかなりの審理期間を費やし、被告人らの摘示した事実が真実であったか、また被告人らがそう信じることについて相当の理由があったかなどの点をめぐり、双方から詳細な立証がされてきたことは、明らかなところである。 確かに、判示第1及び第2のいずれの事実についても、刑法230条ノ2第1項所定の免責を認める余地のないことは既に前記第3で説示したとおりであるから、本件において同項に定める意味での真実性の証明の成否を問題にする余地はない。しかしながら、一般に、摘示された事実が真実か否かは、情状の評価として無視できない事情であるということができる上、殊に本件の場合、上記第3で説示したとおり、被告人らが摘示した事実のうち、判示第1の(一)及び(三)並びに判示第2の(一)の各事実は、公共の利害に関する事実に当たり、それらだけが摘示されたのであれば、(もとより公益目的の要件を充足することが前提であるが、)真実性の証明の対象として、上記免責を問題にすることが可能な性質の事実であることが明らかである。このような上記事実の性質に照らしても、本件で、実際にその摘示事実が真実であることが立証された場合、被告人らの犯情の評価について相応の影響があることもまた明らかであることなどに加え、前記のような本件の審理経過等に照らすと、あくまで犯情に関する判断としてではあるが、これらの事実に関しては、上記の点についてされた立証について、当裁判所としての判断を示すのが相当であると考えられる。もとより、ここでの検討は、量刑事情に関する判断にとどまるから、証明責任等を問題にする余地がないことはいうまでもないが、以下においては、刑法230条ノ2第1項所定の真実性の証明(及び真実と信ずるに足りる相当の理由の証明。なお、最高裁大法廷昭和44年6月25日判決・刑集23巻7号975頁参照)に準じた方法でその検討を行うのが相当と考えられる(なお、弁護人は争うが、刑法230条ノ2第1項の真実性の証明の場合、摘示事実の真実性に関する積極的な証明を要することは明らかであり、ここでも、これと同様の判断方法で検討を加える。)。他方、判示第1の(二)及び判示第2の(二)の摘示事実は、そもそもそれ自体を取り上げても、公共の利害に関する事実には当たらず、いかなる場合にも本来の意味での真実性の証明の対象にはなり得ないC、EやFの私生活上の領域での出来事に係り、その内容が真実であるかどうかが被告人らの犯情に対する評価をそれほど左右しないと考えられるから、ここでの検討の対象からは除外することにする。 2 Cに関する判示第1の(一)(前記(i)から(iv)まで)及び(三)(前記(vii)、(viii))の摘示事実について (1) 上記の観点に立って、(i)から(iv)まで、(vii)及び(viii)の各事実が真実と認められるかどうかを検討しても、いずれの事実も真実であるとは認められない。以下、各事実に即して、個別的に検討を加える。 ア 前記(i)の事実について 後記ウで詳述するとおり、Cが学生に雑誌関係の記事をすべて書かせたなどといった事実は認められないが、関係証拠によれば、CがJらの学生に雑誌関係の記事の原稿を下書きさせることがあったことは、関係証拠上うかがうことができる。もっとも、Jの供述中には、同人が書いた原稿は、ほとんどCの手が入らずにそのままC執筆の記事として掲載されたという趣旨を述べる部分があるが、この供述は、Cの証言と相反する上、特段の裏付けとなるものがあるとも認められず、そのまま信用するには足りない。また、本件証拠中には、Cが(i)の記事部分が指摘するようなコラム原稿をJ以外の学生に依頼することもあったことを示唆するものもあることは否定できないが、これもまた、学生に書かせた原稿をそのまま掲載させたといった事実までをうかがわせるものではない。そうすると、Jなどのような例があるからといって、Cが学生にコラム原稿のゴースト・ライターを頼むことがあるという本件記事の記載にはそもそも問題があるといわざるを得ない上、この点をひとまずおいても、Cがこれら原稿を書かせた学生から原稿料をピンはねしているといった事実は認めることができない。もとより、ピンはねなどという言葉は、それ自体語義が必ずしも明確でないところがあることは否定し難いとはいえ、本件記事の内容ないしその文脈や、「原稿料はピンハネして、上手く商売している」などといった表現自体にも照らすと、それが、学生に原稿作成等の作業を行わせながら、それについて支払われるべき相当の対価を取得させないで、その分も自己の利得にしているといった意味に用いられていることは明らかである。しかしながら、関係証拠によると、Cは、自己の仕事に使った学生等に対しては、その作業について相応の対価を支払っていたことが認められ、その金額等が格別不当なものであったことをうかがわせるような事情があるとも認められない。 そうすると、(i)の事実が真実であるとは認められないというほかはない。 イ 前記(ii)の事実について 本件記事が指摘する「a」は、昭和63年に株式会社U3書店から出版されたCの著作であるが、関係証拠を総合しても、早稲田大学の学生が同書の一部にせよこれを書いたという事実を認めることはできない。また、早稲田大学とは限らなくとも、学生が同書の全部又はその多くの部分を書いたとか、あるいは学生に限らなくても、C以外の者が同書の全部又はその多くの部分を書いたとかといった事実があるとも認めるには足りない。なお、補足すると、早稲田大学の学生が「a」の全部を書いたという(ii)の摘示事実が真実であるというためには、少なくとも、同書の全部又はその多くの部分が代筆されていたという事実が認められる必要があるというべきである(これに反する趣旨の弁護人の主張は採用できない。)。 もっとも、更に補足すると、Kの証言、「a」の原稿コピー(お茶に関する部分)(≪証拠番号略≫)、ファックス送信文(≪証拠番号略≫)、預金通帳(≪証拠番号略≫)等の関係証拠によれば、「a」は全部で12の章から成る(序章を除く。)ところ、その第1章である「茶道」の部分については、前記Kがまずその原稿を書いたこと、前記≪証拠番号略≫は同女が保管していたその原稿のコピーであること、Kは、昭和61年に東京女子大学を卒業して、「a」の刊行当時は出版社に勤めていたが、かねてCの事務所に出入りするなど、Cと面識があり、Cに依頼されて前記原稿を執筆するようになったことなどの事実を認めることができる。そして、「a」の茶道の章と、前記≪証拠番号略≫の原稿コピーの記載とを対比すると、両者は内容が相当程度にわたって共通し、表現にもかなりの程度共通している点のあることがうかがわれ、CがK作成の原稿をもとにして「a」の茶道の章を作成したこともうかがうことができる。しかし、両者を対比して検討すると、「a」の茶道の章の記載は、≪証拠番号略≫の原稿の内容を相当程度取捨選択し、あるいはそれに付加したり、その表現を変えて修正を加えるなどして作成されたことが明らかであり、Kがこの章を書いたという言い方をすることが相当であるとはいえない。 まして、「a」の残る11章については、C以外の者がこれを書いたと認めるに足りるような証拠は存在しない。なるほど、前記Kは、同書の他の章を担当する女性数人と会ったことがあるなどの趣旨を証言しているが、具体的にその女性らが同書の作成にどのような役割を果たしたというのかといった点までを明らかにしてはいないし、他に、この点をうかがわせるに足りる証拠は存在しない。その他、C自身、「a」のデータ原稿の作成に他の者が関与していることを認めているなどの事情を併せて考慮しても、C以外の者が「a」の全部ないしその多くの部分を書いたという事実を認めることはできないことが明らかである。 ウ 前記(iii)の事実について 「X1」や「X2」の連載を始めとしてCの名で掲載された記事はすべて学生によって書かれたという(iii)の摘示事実が真実であるというためには、少なくとも、「X1」や「X2」の連載を含むC名義の雑誌記事のうちの多くのものが代作されていたという事実が認められなければならないというべき(これに反する趣旨の弁護人の主張は採用できない。)ところ、本件全証拠によっても、このような事実を認めるには足りない。 補足すると、Jは、立教大学の学生であった当時、Cと交際があり、Cの名で雑誌の記事を書いたことがある旨証言し、そのような記事として、「X2」昭和63年12月10日号(≪証拠番号略≫)中の商品紹介記事、「X1」平成元年5月号(≪証拠番号略≫)中の「Cのイベント・スキャナー」の記事、「X3」創刊号(≪証拠番号略≫)、同平成元年8月号(≪証拠番号略≫)にそれぞれ掲載されているの連載記事を挙げ、また、Cの発行に係り、Jが編集長をしていた「X4」に掲載されたCのインタビュー記事にもJが執筆したものがあるとも述べている。Jの証言等のほか、Cの証言やその他の証拠に照らしても、Jが、前記「X2」、「X1」、「X3」の各記事の下書きをしたなどの事実は認めることができる。しかし、Jは、前記各記事はほとんど自身が執筆した原稿のままで掲載されたという趣旨を述べているが、同人のこの供述部分は、多くの点でCの証言と相反する上、具体的な裏付けとなるほどのものもなく、にわかには信用し難いし、もとより、Jのこの証言をもって、C名義の雑誌記事の多くのものが代作されたものであるという、前記(iii)の摘示事実の根拠とするには足りない。 なお、関係証拠中には、他にも、CからC名義の雑誌記事の執筆を依頼されたことがあるなどの趣旨を述べる供述等もあるが、いずれもその内容が必ずしも明確でなく、Cの証言とも対立する点が多く、にわかにそのままでは信用し難い上、いずれにせよ、C名義の雑誌記事のうち多くのものが代作されたものであるという前記摘示事実の根拠となるものではない。 エ 前記(iv)の事実について 本件全証拠に照らしても、DがCの著書や原稿をCの代わりに書いていたという前記(iv)の摘示事実は認めることができない。 かえって、Dは、検察官に対し、上記の事実を否定する趣旨の供述をしている(≪証拠番号略≫)ところ、この供述は、Cの証言やその他の関係証拠ともおおむねよく符合し、信用するに足りる。他方、これと異なり、DがCの著書や原稿を代作していたというような事実を具体的にうかがわせるに足りる証拠があるとは認められない。 オ 前記(vii)の事実について 本件全証拠によっても、(vii)の記事部分が摘示するような、家電メーカーのイベントの際に、ライバル会社の仕事を担当していたCが、送信元を早稲田の過激派学生とし、イベント開催場所のホールに爆弾を仕掛けたからイベントを中止しろといった内容を記載したファックスを、ホールの館長、早稲田大学の総長等に送りつけたという事実は認められない。 補足すると、上記記事に記載された家電メーカーのイベントとは、昭和62年12月19日に東京都港区≪以下略≫のRホールで開催されたY2株式会社の主催に係る「Q」という名称のイベントを指すことがうかがわれる。そして、関係証拠によると、このイベントは、昭和62年中に全国の大学の学園祭で行われた各種イベントの中で優秀なものを選出して授賞したり、ミスコンテストを行うという内容のものであったこと、ところが、このイベントの数日前に、差出人を「全国学園祭正常化連盟」とし、Y2の上記イベント開催を非難し、これを実力で粉砕するといった内容を記載した怪文書が、Y2、上記Rホールの館長、同ホールを経営する株式会社Y3の社長や、その他マスコミ各社にあてて郵送あるいはファックスにより送付されてきたこと、Rホールの側ではこの事態を受けて上記イベントの中止を要請したが、Y2側の意向によりこのイベントは結局予定どおり開催されたことなどの事実は認めることができる。 しかし、本件の記事は、その怪文書が爆弾を仕掛けたという内容を記載しているものであったなどの趣旨を記述している点において、明らかに事実と異なるのみならず、Cがこの怪文書の送付等に関与しているといった事実は、本件全証拠に照らしても、およそ認めるに足りない。なるほど、関係証拠に照らすと、当時、上記「Q」の関係者等の間には、上記怪文書の送付にCが関与しているのではないかという趣旨を噂する者があり、その噂は、Cの周辺の者も耳にしていたなどのことはうかがうことができる。しかし、上記の噂に特段の根拠があったことをうかがわせるような事情はおよそ認めるに足りない。また、Cは、上記怪文書の送付に関与したことを一切否定する証言をしている。弁護人の主張する内容を十分考慮に入れて検討しても、上記怪文書送付への関与を否定するCの証言の基本部分の信用性に疑いをいれる点があるとは認められない。 このように、Cが上記のような怪文書の送付に関与したという事実を認めることは到底できない。また、前記第2の2(1)で説示した観点に立って更に検討しても、上記の検討結果に照らすと、Cが上記怪文書の送付に関与していることを合理的に疑わせるに足りるような事情があったとも認めることはできないことが明らかである。 カ 前記(viii)の事実について 本件全証拠に照らしても、(viii)の記事部分が摘示するような、Cが、W園で「V」というイベントが行われた際、爆弾を仕掛けたといった内容を記載した怪文書を送りつけたという事実は認められない。 なお、関係証拠によると、W園では、平成3年7月19日から同年8月31日までの間、「V」という名称のイベントが行われていたこと、その開催後間もない同年7月19日か20日ころ、園内のトイレに不審物が入っているように見える袋があるという通報があり、所轄警察署や機動隊の爆発物処理班が出動する騒ぎになったが、袋の中には目覚まし時計、ジュースの空き缶、リード線様のものがあっただけで、いたずらであることが分かったという出来事があったことは認めることができる。 しかし、爆弾を仕掛けたという内容の怪文書が送付されてきたという事実があったことをうかがわせるような証拠があるとは全く認められない。まして、この出来事にCが関与しているという事実は、本件全証拠に照らしても、およそ認めるに足りない。なるほど、この点についても、「V」の関係者等の間には、Cの関与を噂する者があり、その噂はCの周辺の者も耳にしていたなどのことはうかがうことができる。しかし、この噂に特段の根拠があったことをうかがわせるような事情はおよそ認めるに足りない。なお、Cは、この出来事との関係を否定する証言をしているし、弁護人指摘の事情を考慮しても、Cのこの証言部分の信用性に疑いをいれる点があるとは認められない。 このように、Cが上記のような怪文書の送付に関与したという事実を認めることは到底できない。また、前記第2の2(1)で説示した観点に立って更に検討しても、上記の検討結果に照らすと、Cが上記怪文書の送付に関与していることを合理的に疑わせるに足りるような事情があったとも認めることはできないことが明らかである。 (2) 上記(1)掲記の各事実を真実と信ずるに足りる相当の理由の有無について 以上のとおり、判示第1の(一)及び(三)の摘示事実の内容はいずれも真実であるとは認められないが、被告人らが上記各事実を摘示した本件の記事を執筆、掲載するに当たり、上記各事実を真実と信ずるについて確実な資料、根拠に照らし、相当の理由があったかどうか、やはり上記1の観点に立って、以下に検討する。 ところで、「Z」平成5年6月号のCに関する本件記事は、被告人Bがその取材に基づいて原稿を執筆し、被告人Aが、主として被告人Bの取材結果に基づき、上記原稿に手を加えて完成したものであることが認められるから、被告人らについて上記相当の理由があったかどうかを検討するためには、まずもって被告人Bの取材の方法について検討を加える必要がある(なお、本件記事を執筆、掲載するに当たり、被告人らはC本人には取材しなかったことが明らかである。)。 そこで、まず、判示第1の(一)のCの著作等の代作に関する記事部分についてみると、被告人Bの捜査段階及び公判での供述を始めとする関係証拠によれば、被告人Bは、取材の過程で、かつてCの仕事に関係していたことがあるLから話を聞き、上記記事部分についてはその取材結果が重要な根拠になったものであるところ、Lが同被告人に話した内容は、L自身の体験としては、Cから雑誌関係の原稿の作成を依頼されて断ったことが1回あったといった程度であったにとどまり、その他は、おおむねLが他の者から聞いた話を伝えるという伝聞の情報にすぎなかったことがうかがわれる。例えば、本件公判で弁護人がその供述の証拠価値を強調しているJの関係(上記(1)ウ参照)にしても、被告人Bは、取材の過程では、Jが「X1」や「X2」のC名義のコラム記事の原稿等を書いたなどと言っている旨Lから聞いただけで、Jに直接取材することもなかったことが認められるのである。また、被告人Bは、Lのほかにも数名の元学生やCの事務所関係者等に取材したなどとも供述しているが、その取材対象者も具体的に特定されていないのみならず、同被告人が聞いたという話の内容自体、不明確であいまいな点が多く、判示第1の(一)のような事実を記載した記事の根拠となるような具体的なものであったとはいい難い。また、被告人Bは、上記記事中にCの代作をしたとして名を挙げているDには取材しようともしなかったことが明らかである。なお、本件の公判で弁護人らが特に「a」の作成過程に関する主張の根拠として援用する上記(1)イのKの証言ないし同女作成の原稿コピー(≪証拠番号略≫)にしても、同被告人はKに取材したことはなかったし、上記原稿コピーについても、同被告人は本件記事掲載後にその存在を知るに至ったことなどがうかがわれる。さらに、被告人Aは、自分でも業界関係者からCの人間性とか仕事の仕方等について話を聞いたとも供述しているが、やはり話を聞いたという相手も特定されておらず、同被告人が聞いたという話の内容自体、不明確であいまいな点が多く、前記のような事実を記載した記事の根拠となるような具体的なものであったとはいえないことが明らかである。なお、この記事部分に関し、「Z」の関係者が他に特段見るべき取材や調査を行ったとは認められない。 さらに、判示第1の(三)の怪文書送付に関する記事部分についてみると、被告人Bの捜査段階及び公判での供述を始めとする関係証拠によれば、被告人Bは、この点について、上記「Q」及び「V」の各イベントに関係していた株式会社Y4代表取締役のMや前記Lから取材したことがうかがわれるが、Lのこの点の話というのも、他人からの伝聞を述べるものにとどまっていたし、Mの話も同様、多くの点では他人からの伝聞ないし噂の存在を述べるにとどまっていたことがうかがわれる。特に、前記各イベントの妨害に対するCの関与の点に関しては、両名とも、何ら具体的な根拠となる事情について述べていなかったことが認められる。また、本件記事中には、上記「Q」の関係で怪文書が送付されてきたため、警察が動員されたなどの内容も記載されているが、被告人Bは上記事実の有無等について特に確かめることもなかったことが認められる(ちなみに、本件記事中に記載されている「高田馬場警察」なるもの自体が存在しないことも明らかである。)。なお、被告人Bは、そのほかにも、Cの周辺の者を含め、関係者からこの点について取材したという趣旨も述べているが、その取材対象者も具体的に特定されていないのみならず、同被告人が聞いたという話の内容自体、不明確であいまいな点が多い。ところで、被告人Bは、Rホールで開催された「Q」の関係で同ホールの館長等に送られてきた文書を実際に見て確認したという趣旨を公判では述べている。しかし、同被告人は、捜査段階の供述調書(≪証拠番号略≫)では、取材中上記文書を見たことはなく、その内容がどのようなものであったかについても確認しなかった旨述べていること、前記(1)オのとおり、本件記事中には、上記怪文書にはイベント開催場所に爆弾を仕掛ける旨が記載されていたなどと、怪文書なるものの内容について実際の文書とは重要な点で異なる趣旨が記述されており、同被告人が実際に文書を確認した上で執筆したとは考え難い内容になっていること等の諸点に照らすと、同被告人の前記公判供述は信用できず、同被告人は上記文書を実際には確認しないまま本件記事を執筆したものと認められる。さらに、同被告人の供述中には、「V」のイベントについても怪文書が送られてきた旨の記事を書いたことについて、多分自分が間違えてRホールのイベントのときのことと一緒にして書いたものと思う旨説明するのみであるなど、その調査、確認の仕方がずさんであったことを自ら露呈しているところもある。このように、被告人Bの取材の仕方は、上記各イベント妨害なるものの事実自体に関する調査も相当にずさんであったことが明らかであるのみならず、まして、イベント妨害の出来事とCとの結びつきに関する記事部分は、およそ信頼するに足りる根拠なく執筆されたものと認めるほかはないのであって、犯罪さえ構成し得るような行為に他人が関与していたという、それ自体重大な事項を雑誌に執筆、掲載して公表するというにしては、その調査の仕方はずさんで軽率なものであったというほかはない。また、判示第1の(三)の記事部分に関し、「Z」の関係者が他に特段見るべき取材や調査を行ったとも認められない。 以上に照らすと、被告人らが判示第1の(一)及び(三)の各事実を真実と信ずるにつき、相当の理由があったとも認めることはできないというべきである。 3 E及びFに関する判示第2の(一)(前記(ix)から(xiii)まで)の摘示事実について (1) 上記1の観点に立って、(ix)から(xiii)までの各事実が真実と認められるかどうかについて、以下、各事実に即して検討を加える。 ア はじめにーIの証言の信用性について まず、上記検討の前提として、前記Iの証言の信用性について概括的な検討を加える。 すなわち、Iは、昭和59年4月ころからEの事務所で働き始め、途中3回の中断をはさみながら、平成5年1月ころ解雇されるまで、同事務所で秘書等として働いていた者であるが、「Z」平成6年1月号のEに関する本件記事は、基本的に被告人BがIから取材した内容がもとになって執筆されたものであることが明らかであり、また、Iは、本件公判で、弁護人申請証人として出廷し、多くの点で前記取材内容に沿う趣旨の証言をしている。そこで、ここに、同女の証言の信用性について、まず全体的な検討を加えておくことが適切であると考えられる。 そして、この観点から検討すると、Iは、前記のような同女の経歴等にもかんがみ、Eの仕事の仕方等について多くを知る立場にあり、その証言の証拠価値を一概に無視することはもとより相当でないとはいえ、Iの述べる内容には、関係証拠に照らして不自然で、そのままでは信用し難いと認められたり、必ずしも正確性の確認されないことをそのまま事実として述べ、あるいは誇張にわたる点などがあることは否定し難いところである。 例えば、Iは、Eがテープに吹き込んだ内容をIを含む秘書らがワープロにより文章化して原稿を作成する、いわゆるテープ起こしと呼ばれる作業をする際には、単にEが述べたことをそのまま文字にするのではなく、Iが積極的に文章を書き加えるようなこともEから許容されており、むしろ推奨さえされていたという趣旨の証言をしている。しかし、このIの証言は、テープ起こしの際に秘書等が勝手に文章を書き加えるようなことを許容してはいなかったが、Iがテープ起こしの際勝手に文章を書き加えるようなことをし始めたので、注意をしたという趣旨のEの証言と明らかに相反している。そして、Eのこの証言は、その内容自体自然で無理がない上、EとIが平成4年10月19日付けで作成した「契約書」(≪証拠番号略≫)に「Iは、Eが提供するテープを聞き、誠意をもってワープロ原稿を作成するものとし、指示されていない文章を書き加えたり、主観をまじえたり、或いは粗雑な原稿を作成しないように誠実に責任を果たすものとする」との条項があえて設けられているなどの事情ともよく符合しているのであって、これと対立するIの前記証言部分は、直ちに信用し難いというほかはない。 また、関係証拠によると、かつてEとNがEの執筆の仕方等について誌上で論争を展開した末、NがEに陳謝をしたという出来事があったことがうかがわれるところ、Iは、被告人Bから取材を受けた際、そのようなEとNとのやり取りの経緯、結末等の事実関係について触れないまま、Eの執筆姿勢のずさんさなるものを非難する一環として、Eが思いつきを書いて秘書にまとめさせているのでないかとNに言われてNと大げんかになったという趣旨だけを話す(検察事務官作成の報告書(≪証拠番号略≫)、被告人Bの公判供述等)など、IのEに関する発言内容には、多分に正確性の確認されないことをそのまま述べたり、誇張とうかがわれる部分のあることも明らかである。 IがEについて述べる証言の内容や、Iが被告人Bの取材の際にEについて発言した内容をみると、上記のように、関係証拠に照らしてそのままでは信用し難いと認められたり、正確性の確認されない事項をそのまま事実として述べたり、あるいは誇張にわたるとうかがわれるような諸点が少なからず認められることは明らかであって、その上、Iは、E事務所での勤務の際の体験や解雇に至る出来事等を通じ、E及びその妻のFに強い反感を抱くに至っていることがうかがわれるなどの事情をも併せて考慮すると、Iの証言は、殊に特段の裏付けを伴わない部分については、その信用性をとりわけ慎重に吟味する必要があるといわなければならない。弁護人は、Iの証言の信用性が一般的に高いという趣旨を強調するが、この主張には賛同することができないのである。 そこで、この検討結果を前提として、次項以下で、更に各摘示事実の内容について検討する。 イ 前記(ix)及び(x)の各事実について Eが、他人の作品や現実の裁判で取り扱われた事件等に着想を得て、そこから一部材料をとり、それを自己の作品に取り入れることがあったことは、関係証拠上も認めることができ、E自身も認めているところである。しかし、関係証拠を検討しても、本件記事部分が指摘するように、Eが外国作品を含む他人の作品とか判例時報から前説示のような意味のパクリをしているという事実、すなわち、他人の作品や判例時報掲載の裁判例などの設定等を多少変えただけで、これを引き写したにすぎないものを自己の作品として発表しているといった事実は、認めることができない。 補足すると、本件記事には、Eのパクリなるものの例として、「例えば、『角店』というイギリスのミステリー短編集の作品もEはパクッていました。」との記述をしているところがある。この「角店」とは、シンシア・アスキスの短編(創元推理文庫「恐怖の愉しみ下」(平井呈一編訳。≪証拠番号略≫)所収)を指すことが明らかであるところ、弁護人は、Eの作品「g」(≪所収元等略≫)が、「角店」をパクったものに当たるという趣旨を主張するようである。なるほど、Eが「角店」に着想を得て、それもヒントにして「g」を著したことはこれをうかがうことができ、Eもその点は認めているが、両者を対比すると、後者は、E独自の法廷推理小説の形をとっていることなどを含め、その作品の構成等において前者とは異なる独自の内容があって、E自身の創作が加わっていることが認められるのであり、この記事が記述するように、後者の作品は前者の作品の設定等を多少変えただけでそれを引き写したにすぎないなどといったものであるということができないことは明らかである(弁護人請求の証人の中には、Eが「g」で用いたトリックが不自然であるとか、「g」は「角店」に比し読むに耐えないものになっているなどと言って、その創作性に否定的な見解を述べる者がいるが、Eの創作の質にどのような評価を加えるかどうかは、もとよりここで問題になることではない。)。また、関係証拠に照らすと、Eはかねて外国作品等の内容をIに要約させたことがあり、Iが作成した「角店」の要約を読んだことが「g」執筆の契機になったようにもうかがえる。しかし、Iを含むE以外の者が「g」の作成について上記の程度を超える関与をしたことをうかがわせる事情は全く認められないし、「g」の作成に当たり、Eが前記のような独自の創作を加えていることも前説示のとおりであるから、(x)の記事部分が示唆するように、Eが「g」を著すに当たり、自分では全く考えず、周囲の人たちに代わりに考えさせているなどということが到底いえないこともまた明らかである。 弁護人は、そのほかにも、(ix)の記事部分を裏付ける事情として、E作品の「h」、「i」、「j」は、それぞれ判例時報に掲載された名古屋地裁昭和55年7月28日判決(判例時報1007号140頁掲載)、同地裁昭和56年11月18日判決(判例時報1047号134頁掲載)、大阪高裁昭和59年3月27日判決(判例時報1116号140頁掲載)をもとにしたものであり(弁護人弘中惇一郎作成の各報告書(≪証拠番号略≫)参照)、また、E作品の「k」、「l」はそれぞれ週刊新潮昭和62年11月19日号掲載の「黒い報告書」、映画「コレクター」をもとにしたものである(弁護人弘中惇一郎作成の報告書(≪証拠番号略≫)等参照)と主張する。確かに、これら「h」等の作品を著すに当たって、Eが、弁護人指摘の上記裁判例、週刊誌の記事や映画から着想を得、それらもヒントにしていたことはうかがうことができる。しかし、上記「h」等のE作品は、やはり、弁護人指摘の裁判例、雑誌記事や映画とは異なる独自の内容を持ち、E自身の創作が加わって作成されたものであることは否定し難いのであって、この記事がいうように、上記E作品は弁護人指摘の裁判例、雑誌記事や映画の設定等を多少変えただけの引き写しにすぎないなどといったものであるということができないことは明らかである。念のため補足すると、これら「h」等の創作に当たり、E以外の者が何らかの関与をしていることをうかがわせるような事情があるとも認められないから、これらの作品の作成についても、(x)の記事部分がいうように、Eが自分では全く考えず、周囲の人たちに代わりに考えさせているなどということが到底いえないことは明らかである。 その他、関係証拠を検討しても、Eが他人の作品や判例時報に掲載された裁判例等について、その設定等を多少変えただけでこれを引き写すようなことをしていたという事実を認めることはできず、まして、(ix)の記事部分が記述するように、Eがこのような行為を日常茶飯に行っていたという事実は到底認めるに足りない。 なお、(x)の記事部分は、Eが自分の妻にもプロットを書かせたことがあるという事実をも摘示している。しかし、関係証拠を検討しても、Eが自分の妻に作品のプロットを書かせたことがあるとも認めることはできない。 ところで、(ix)の記事部分は、「(Eが)ゴーストを使うこともある。」とも記述している。 上記記述の前後の部分をも併せて見ると、本件記事でゴーストを使った実例として挙げられているのは、結局、月刊「X5」のエッセイ、「m」とG賞の選評であることをうかがうことができる。 このうち、G賞の選評がゴーストによるものであったと認められないことは、後記エのとおりである。 また、「m」についても、その一部をIが下書きするようなことがあったとしても(なお、I以外の秘書等が「m」の執筆について何らかの関与をすることがあったとはうかがえない。)、Eの証言等のほか、法律に関する事項の解説を中心とする「m」の内容自体に照らしても、それがIの代作によるものであったとは認めることができない。Iの証言のうち、これに反する部分は信用することができない。 しかし、上記月刊「X5」については、Eの証言に照らしても、Iがその執筆に相当の関与をしていたことをうかがうことができる。もっとも、Eは、Iに「X5」のエッセイを起案させたことはあるが、その回数は8回であり、Iが起案したものにはその後自分が手を入れているから、できあがったものは全く自分の文章になっているし、Iに起案させたのは作家志望のIに勉強させるためであり、Iに書かせることを前提に「X5」の仕事を引き受けたのではないという趣旨を証言している。なお、Eは、「X5」に連載を始めたのは昭和62年4月号のエッセイからであるが、Iに起案させたのは平成元年7月号からであるなどとも証言している。他方、Iは、そもそも「X5」の連載はEがIに書かせることを前提に引き受けたものであり、IがEの事務所に勤めている間はその執筆はすべてIが任されていたという趣旨の証言をしている。 ところで、Eは、捜査段階では、Iに「X5」の原稿を書かせたことが二十数回あり、また月刊「X5」の編集部からエッセイの執筆の依頼があった際に、Iが自分の作家の勉強のために原稿を書かせてほしいと頼んできたのでそれを了解して原稿を書かせたなどと供述していたことがうかがわれ(Eの検察官に対する供述調書(≪証拠番号略≫)。ただし、Eは、この供述調書でも、Iの原稿はとても公表できるものではなく、Iの原文がほとんど残らなくなるまで修正したと供述している。)、この点に関する公判証言には、捜査段階供述と必ずしも符合しないところがある。また、≪証拠番号略≫の原稿は、Iが作成した月刊「X5」平成元年10月号掲載のE名義のエッセイ「n」のワープロ原稿(ただし、上記エッセイの一部に関する部分が欠落している。)であってIが保管していたものであることがうかがわれるところ、この原稿と上記「X5」平成元年10月号に掲載されたエッセイとを比較すると、両者は多くの点で極めてよく一致していることが認められる。すなわち、両者を比較検討すると、EはIの原稿に一部自己の表現を付け加え、また原稿全般について微妙な表現の修正等を加えているが、上記エッセイは、その大半の部分に上記原稿の表現をそのまま残していることが認められるのである。このような点に加え、「X5」のエッセイでは、Iがかねて相応の関心と知識を持っていたとうかがわれる我が国の古典文学に関する事柄が多く取り上げられているなどの事情にも照らすと、Iのこの点に関する証言部分は、前記アで検討したような同女の証言の信用性に関する全般的な問題点等を考慮してもなお、その信用性を排斥し難いものと認められる。 そうすると、Eが「X5」のエッセイをIに代作させたことがあるという事実は、これを認めることができるというべきことになる。 また、(ix)の記事部分のうち、ゴーストに関する摘示部分は、上記のとおり、Eがゴーストを使うこともあるという表現をしているにとどまり、それが日常茶飯のことであるとか、Eの通常の仕事の仕方であるという趣旨までは述べていないのであるから、以上の検討結果に照らすと、この摘示事実は、上記認定の限りでは、真実であると認められ、結局、(ix)の記事部分は、上記認定の限りでは、内容が真実であることについて証明がされた部分があるということになる。したがって、この点は、被告人らの量刑に当たり、一定程度考慮すべき事情に当たるといわなければならない。 ウ 前記(xi)の事実について (xi)の記事部分は、その文言自体のほか、「人まかせな“創作活動”に精を出す、作家・Eの実像」の記述の一環として記載されているという本件記事における文脈等にも照らし、要するに、Eが資料集めや取材等も秘書や編集者に任せきりにしているという趣旨の事実を摘示していることが明らかである。 しかし、Eが資料集めや取材等を自分ではほとんどやらないという同記事部分摘示の事実は、本件全証拠によっても認めることができない。 補足すると、Eが事務所の秘書や出版社の編集者に資料集め、取材等を行わせることがあったこと自体は、これをうかがうことができる(Eのこの点に関する証言には、E自身の捜査段階供述や、その他の関係者の供述等にも照らし、そのままでは採用し難い部分がある。)。しかし、そのような場合も、Eは、その資料集め、取材の対象等を具体的に指示していたことがうかがわれ(≪証拠略≫)、この記事部分が示唆するように、Eが秘書や編集者に資料集めや取材等を任せきりにしていたということはできない。 もっとも、Iは、自分がEのための資料集めや取材等を独自に行っていたかの趣旨とも解される証言をしている。そして、弁護人は、Iの資料集め、取材等の例として、Iが行ったハチ毒に関する調査がEの作品「o」の資料を提供したというIの証言部分を挙げている。しかし、この点に関するIの証言を検討しても、Iの調査がEの指示とは別に行われたとは必ずしもうかがい難い上、仮にこの点の調査に関する事実関係が弁護人の主張するとおりであったとしても、このような例があるからといって、資料集めや取材等はすべて秘書や編集者がやっていたという(xi)の記事部分が直ちに真実と認められる関係になるものでもない。すなわち、資料集めや取材等はすべて秘書や編集者がやっていたという摘示事実が真実というためには、少なくとも、Eは、多くの場合について、資料集めや取材等を秘書や編集者に任せきりにしていたという事実が認められる必要があるといわなければならないところ、上記ハチ毒の調査の例をもってこのような事実を認める根拠とまで評価するのは、飛躍にすぎるというほかはない。 ただし、Iは、上記ハチ毒の調査にとどまらず、自分が独自にEのための資料集めや取材等をし、法律関係についても同様であったという趣旨の証言をしている。しかし、Iのこの証言は、Eの証言とも全く相反する上、その内容自体、かなり不明確な点が多く、特段の裏付けがあるとも認められない。前記のとおり、Iの証言の信用性については特に慎重な考慮を要することなどをも併せて検討すると、この点に関するIの証言は、その信用性を認め難く、Iが上記証言で述べるような態様でEのための資料集めや取材等をしていたという事実を認めるには足りないというほかはない。 その他、関係証拠を検討しても、上記記事部分が記述するように、Eが秘書や編集者に資料集めや取材等を任せきりにしていたという事実を認めるに足りる事情があるとは認められない。 エ 前記(xii)の事実について Eが昭和62年度と昭和63年度のG賞の選考委員をしたことは関係証拠上明らかであるが、Eがその際候補作品に目も通さず、秘書やスタッフに読ませて結果だけを報告させていたとか、受賞作品の選評はEがゴーストさせたものであるといった(xii)の摘示事実については、Eがこれを全面的に否定する証言をしている。すなわち、Eは、同賞の候補作品には自分ですべて目を通した、Iに候補作品を読ませたことはあるが、それはIの勉強になると思って読ませたにすぎないし、受賞作品の選評を他人に書かせたこともないという趣旨を証言している。Eのこの証言は、具体的、明確である上、関係の証拠(ただし、Iの証言を除く。)に照らしても矛盾がない。 他方、Iは、(xii)の記事内容に沿う趣旨を証言し、その証言において、Eは候補作品を読まずに、Iに読ませて内容を要約させ、受賞作も予想させたとか、選評もEに言われて自分が書いたものであり、「X6」誌に掲載されたE名義の当時の選評を見ると、自分が書いたまま残っている部分が多いなどと述べている。しかし、Iの証言には一般的にその信用性に疑問をいれるところがあることは前記のとおりであるのみならず、Iのこの証言部分も、その内容が必ずしも明確でなく、特段の裏付けがあるともうかがえない。Iは、Eが候補作品を読まなかったと述べる(ただし、「すみずみまで読んでいたとは到底思えない」という程度の言い方をしている箇所もある。)一方、昭和63年度の候補作品で、受賞作ともなった「c」については、作者が東京大学を卒業していたのでEも自分で読んでいたなどと証言するのであるが、その根拠もあいまいといわざるを得ないなど、Iの証言は、(xii)の摘示事実の関係でも、やはりその正確性に疑問をいれる点や、誇張とうかがわれる点などが多く見受けられ、その信用性には疑問をいれる余地のあることが明らかである。すなわち、Iのこの証言部分は、Eの前記証言とも対比して、その信用性を肯定することができないというほかはない。 その他の証拠関係を併せて検討しても、(xii)の摘示事実が真実であるとは認められない。 オ 前記(xiii)の事実について 「Z」平成6年1月号の本件記事が掲載された前後の時期、Eは、「p」(≪出版社等略≫)、「q」(≪出版社等略≫)、「r」(≪出版社等略≫)、「s」(≪出版社等略≫)、「t」(≪出版社等略≫)、「u」(≪出版社等略≫)、「v」(≪出版社等略≫)、「w」(≪出版社等略≫)、「x」(≪出版社等略≫)といった長編の小説を発表していたことが明らかであるから、Eは最近は長編を書いていないという(xiii)の摘示事実が真実であるとはいえないことが明らかである。 補足すると、弁護人は、上記各作品は作品としての質が低劣であるとか、ただ分量があれば長編として認められるのではなく、内実を伴って長編といえるのであり、上記各作品は長編小説としての価値がないなどといった趣旨をも主張している。しかし、弁護人主張のような観点をこの検討の場面に持ち込むのは、是認することができない。 (2) 上記(1)掲記の各事実を真実と信ずるに足りる相当の理由の有無について 前記(1)で検討したとおり、判示第2の(一)の摘示事実は、前記(1)イで指摘した月刊「X5」の代作の点を除き、いずれも真実と認めるに足りないが、被告人らがこれらの事実を摘示した本件の記事を執筆、掲載するに当たり、これらの事実が真実であると信ずるにつき、確実な資料、根拠に照らして相当の理由があったかどうかについて、やはり前同様の観点から検討することとする。 ところで、「Z」平成6年1月号のEに関する本件記事も、被告人Bが主にその取材に基づいて原稿を執筆し、被告人Aが、主として被告人Bの取材結果に基づき、上記原稿に手を加えて完成したものであることが認められるから、被告人らについて上記相当の理由があったかどうかを検討するためには、まずもって被告人Bの取材の方法について検討を加える必要がある(なお、被告人らは本件記事を執筆、掲載するに当たり、Eに対して一方的にファックスによる照会文を送りつけて回答を求めたものの、その照会文をめぐりEと被告人Aとの間で電話によるやり取りが若干あったほかには、Eから回答を得ることができず、結局EやFからは取材をしていないことが認められる。)。 関係証拠によれば、本件記事の執筆、掲載に当たり、被告人Bは上記Iの自宅を1回訪ね、同女から直接話を聞いてそのやり取りをテープに録音したほか、その前後に数回Iと電話でやり取りするなどし、その取材結果が本件記事の主要な根拠になったことが認められる。しかし、上記(1)アで検討したとおり、IはEの下で相当期間にわたって働いた経歴があるものの、他方、上記認定の経緯からEに対して強い反感を抱いていることがうかがわれ、その話の内容自体に照らしても、特段の裏付け調査をすることもなく、その話の真実性をそのまま信用することが相当であったとは到底いうことができない。ところが、被告人Bは、判示第2の(一)の記事部分に関しても、Iの話の内容について、特段の裏付けとなるような調査をせず、同女の話が他人の発言の引用等を内容とする場合についても、その者に直接取材して裏付けをとろうともしなかったことが認められるのであり、その他、Iの発言内容の合理性、信用性等についてこれを慎重に検討しようとしたものとは到底うかがいとることができない。 また、被告人Bは、Iからの取材結果をもとに、Eが他人の作品等からのパクリを日常茶飯に行っているという上記(ix)及び(x)の事実を本件記事中に摘示し、その関連でEが「角店」をパクって自己の作品にしたとか、週刊新潮の「黒い報告書」等もネタ本にしていたなどと、具体的に本件記事中に記載しているのであるが、同被告人は、このような記事を執筆するに当たり、実際には上記各作品等を自分で読んだことはなく、I指摘のE作品とそのもとになったという他人の作品等との類似性などについて自分で検討してみるというようなことも、一切行わなかったことが認められる。 その上、被告人Bは、Iが取材中に話したことではないのに、Eが自分の妻にもプロットを書かせたことがあるとの事実(上記(x)の摘示事実)を、Iを意味することが明らかな「Eのスタッフでもあり、数年間共に仕事をした人物」の発言内容として記載するなど、実際にはIが取材中に発言しなかったことをその発言として本件記事中に記載したり、Iの発言の趣旨を誇張して記事にしたこともあったことが認められる。もっとも、被告人Bは、Iは取材の後で本件記事の原稿を送付されて目を通し、間違いがない旨を同被告人に回答しているから、Eが妻にプロットを書かせたことがある旨をIが発言したものと記載しても誤りではないし、Eが妻にプロットを書かせるということは、以前に「Z」の記事に掲載されていたことであるなどの趣旨をも述べている。しかし、Iによる事後的な原稿の確認等について被告人Bが述べるような事実関係があったとしても、このような同被告人の記事の執筆の仕方は、同被告人の調査、執筆等がどの程度真しなものであったのか、疑いをいれる事情であることは否定し難い。 なお、被告人Bは、Iに取材したほかに、Eを知る編集者等にも取材したという趣旨を供述している。しかし、同被告人の供述によっても、その取材対象者も具体的に特定されていないのみならず、同被告人がこれらの者から聞いたという話の内容自体、不明確であいまいな点が多く、判示第2の(一)のような事実を記載した記事の根拠となるような具体的なものであったとはいい難い。また、被告人Aも、本件記事の掲載に当たっては、Eを知る出版関係者等から自分でも事情を聞いたという趣旨を供述している。しかし、これについても、やはりその話を聞いた相手なる者自体が具体的に特定されていないのみならず、同被告人の供述によっても、同被告人がこれらの者から聞いたという話の内容自体、やはり不明確であいまいな点が多く、これまた前記のような事実を記載した記事の根拠となるようなものではないというほかはない。なお、この記事部分に関し、「Z」の関係者が他に特段見るべき取材や調査を行ったとは認められない。 以上に照らすと、被告人らが判示第2の(一)の事実(ただし、前記「X5」の代作の点を除く。)を真実と信じるにつき、確実な資料、根拠に照らして相当の理由があったとは認めることができないというべきである。 (量刑の理由) 本件は、判示のとおり、株式会社Zの代表取締役で、同会社が発行する月刊誌「Z」の編集人兼発行人である被告人Aと、同会社の編集部員である被告人Bが、共謀の上、企業経営・商品開発に関するコンサルタント業務等を営む会社を経営するC並びに弁護士で作家のE及びその妻のFの各名誉を毀損する事実を摘示した記事を「Z」に執筆、掲載し、これを一般に販売して、C、E及びFの各名誉を毀損したという事案である。 被告人らが本件で摘示した事実は、前記のように、一部に公共の利害に関するものが含まれているとはいえ、他面、C、EやFの私生活上の行状等に関する事項にわたり、およそ公共の利害に関する事実とは認めることができないような事柄をも含んでいる。そして、それ自体としては公共の利害に関すると認められる事実の摘示についても、既に詳述したとおり、被告人らの取材、調査の対象は限られた範囲にとどまり、それ自体では真実性が確かめられない他人の噂について特段の裏付けもとらないで、その内容をそのまま記事にしたり、前記Iからの取材についても、IのEらに対する非難をそのまま受け入れ、特段の裏付け調査もしないで、その内容を記事にするなどしたことが明らかであって、その取材、調査の仕方はずさんで粗雑というほかはない。本件各記事によって、CやEはあたかも自己の著作がおよそその創作によるものではないかのように書き立てられた上、Fも含め、私生活上の領域にわたる事項に関しても前記のような不名誉な事柄を書き立てられ、さらに、Cの場合には、あたかも自己がライバルのイベントに対する悪質な妨害に関与しているかのような趣旨までを記事にされたのであって、本件各記事の揶揄、嘲笑的な筆致とも相まって、これら3名の者らが本件によって被った精神的被害には大きなもののあったことが優に認められる。それにもかかわらず、被告人両名は、本件の公判審理においても、CやEの対応、あるいは検察官の公訴提起の姿勢等を非難することに急で、自らの執筆姿勢の問題点や取材の足りなさ等について、振り返ろうとする態度を示さないのであって、この点においても被告人らはやはり非難を免れないといわざるを得ない。 以上に加え、被告人Aは、前記のとおりの立場にあって、本件各記事の掲載等に当たっても、最終的な決定権限を持っていたこと、被告人Bは、本件各記事の掲載に当たって、その取材を担当し、本件各記事も、基本的に同被告人の執筆した原稿によって作成されたこと等の諸事情にも照らすと、各被告人の刑責はそれぞれに軽視し難いというほかはない。 他方、各被告人とも前科がないこと、本件の公判係属中、Cとの間に和解が成立して、Cが被告人らに対する処罰を望まない意思を表すに至ったこと等、被告人らのため考慮すべき事情もある。 そこで、以上の諸事情を総合考慮して、被告人らに対し主文の各刑を量定して、その執行を猶予するのが相当であると判断した。 平成14年4月9日 東京地方裁判所刑事第11部 裁判長裁判官 木口信之 裁判官 幅田勝行 裁判官 古玉正紀は転補のため署名押印することができない。 裁判長裁判官 木口信之 |
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