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【事件名】ミュージカル作品の著作権事件
【年月日】平成16年3月19日
 東京地裁 平成14年(ワ)第14650号 著作権確認等請求事件(第1事件本訴)、
 平成14年(ワ)第19665号 著作権確認等請求事件(第1事件反訴)、
 平成15年(ワ)第19236号 損害賠償請求事件(第2事件)
 (平成15年12月18日 口頭弁論終結)

判決
第1事件本訴原告反訴被告・第2事件原告 株式会社ヒューマンデザイン(以下「原告」という。)
同訴訟代理人弁護士 佐藤雅巳
同 古木睦美
第1事件本訴被告・第2事件被告 有限会社ステップスエンターテイメント(以下「被告ステップス」という。)
第1事件本訴被告反訴原告 D1(以下「被告D1」という。)
上記両名訴訟代理人弁護士 福井健策
同 内藤篤
第1事件本訴・反訴上記両名訴訟代理人弁護士 森村佳奈


主文
1 原告と被告D1との間で、被告D1が、別紙1「脚本目録」作品番号欄A1ないしA9、同A11ないしA13、B1ないしB3、B4及びB5記載の脚本の著作権を有することを確認する。
2 原告と被告D1との間で、被告D1が、別紙1「脚本目録」作品番号欄B3再演版記載の脚本につき、二次的著作物の原著作物(別紙1「脚本目録」作品番号欄B3記載の脚本)の著作者としての権利を有することを確認する。
3 原告と被告D1との間で、被告D1が、別紙1「脚本目録」作品番号欄B7記載の脚本につき、二次的著作物の原著作物(別紙1「脚本目録」作品番号欄B7初演前原稿記載の脚本)の著作者としての権利を有することを確認する。
4 原告と被告D1との間で、被告D1が、別紙1「脚本目録」作品番号欄B8再演版記載の脚本につき、二次的著作物の原著作物(別紙1「脚本目録」作品番号欄B8初演前原稿記載の脚本)の著作者としての権利を有することを確認する。
5 原告と被告D1との間で、被告D1が、別紙1「脚本目録」作品番号欄A10記載の脚本につき2分の1の著作権共有持分を有することを確認する。
6 原告の訴えのうち、別紙1「脚本目録」作品番号欄A14、B6、B7及びB8記載の脚本の著作権確認に係る部分を却下する。
7 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
8 訴訟費用は、第1事件本訴反訴・第2事件を通じ、原告の負担とする。

事実及び理由
第1 当事者の請求
1 第1事件本訴
(1) 原告と被告らとの間で、原告が別紙1「脚本目録」作品番号欄A1ないしA14及びB1ないしB8(B3再演版、B7初演前原稿、B8初演前原稿及びB8再演版を除く。以下、「B1ないしB8」、「B1ないしB5」、「B4ないしB8」、「B6ないしB8」というときは、B3再演版、B7初演前原稿、B8初演前原稿及びB8再演版を除いたものをいう。)記載の脚本(以下、別紙1「脚本目録」作品番号欄記載の脚本については、それぞれ単に「A1」などという。)に対する著作権を有することを確認する。
(2) 被告ステップスは、原告に対し、35万4375円及び平成14年8月3日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 第1事件反訴
(1) 原告と被告D1との間で、被告D1がA1ないしA9、A11ないしA13、B1ないしB5の著作権を有することを確認する。
(2) 原告と被告D1との間で、被告D1がB3再演版につき、二次的著作物の原著作物(B3)の著作者としての権利を有することを確認する。
(3) 原告と被告D1との間で、B7記載の脚本につき、二次的著作物の原著作物(B7初演前原稿)の著作者としての権利を有することを確認する。
(4) 原告と被告D1との間で、B8再演版につき、二次的著作物の原著作物(B8初演前原稿)の著作者としての権利を有することを確認する。
(5) 原告と被告D1との間で、被告D1がA10記載の脚本について2分の1の著作権共有持分を有することを確認する。
3 第2事件
 被告ステップスは、原告に対し、225万円及びこれに対する平成15年9月10日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は、別紙1「脚本目録」A作品欄記載の各脚本(以下、併せて「A作品」と総称する。)に係るミュージカルを上演した劇団音楽座の構成員であった被告D1及び同人が代表者を務める被告ステップスと、別紙1「脚本目録」B作品欄記載の各脚本(以下、併せて「B作品」と総称する。)に係るミュージカルを上演した音楽座(上記「劇団音楽座」が名称を変更した後の劇団)を運営する原告との間で、次のような請求がされている事案である。
(1) 第1事件本訴
 原告は、次のとおり主張して、被告らに対し、A作品及びB1ないしB8につき、原告が著作権を有することの確認を求め、被告ステップスに対し、損害賠償金35万4375円の支払を求めている。
 A作品は、劇団音楽座の構成員(以下「劇団員」という。)の主要メンバーが著作した。劇団員全員が、A作品の著作権を訴外株式会社サマディ(以下「サマディ」という。)に譲渡し、サマディは、原告に対し、A作品の著作権を譲渡した。したがって、原告は、A作品の著作権を有する。
 B1ないしB8については、原告代表者C1(以下「C1」という。)が著作した。原告は、C1からB1ないしB8の著作権を譲り受けたから、B1ないしB8の著作権を有する。
 被告ステップスは、平成13年7月25日から同月29日にかけてA13に係るミュージカルを上演し、原告は、同上演による著作権侵害によって35万4375円の損害を被った。
(2) 第1事件反訴
 被告D1は、次のように主張して、原告に対し、A作品のうちA10、A14を除く12作品、B1ないしB5について、被告D1が著作権を有すること、B3再演版、B7及びB8再演版について、二次的著作物の原著作者としての権利を有すること、A10について2分の1の著作権共有持分を有することの確認を求めている。
 A作品のうちA10、A14を除く12作品、B1ないしB5、B7初演前原稿、B8初演前原稿の合計19作品については、被告D1が著作した。
 A10については、被告D1と訴外E1(以下「E1」という。)が共同で著作した。
 B3再演版はB3の、B7はB7初演前原稿の、B8再演版はB8初演前原稿の二次的著作物である。
(3) 第2事件
 原告が、次のように主張して、被告ステップスに対し、損害賠償金225万円の支払を求めている。
 被告ステップスは、平成15年6月6日から同年7月16日にかけて、A13に係るミュージカルを上演した。原告は、同上演による著作権侵害によって225万円の損害を被った。  
2 前提となる事実(証拠により認定した事実については、末尾に証拠を掲げた。)
(1) 被告D1は、F1(以下「F1」という。)、G1(現姓G’1。以下「G1」という。)らと共に、昭和52年、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻の卒業生を中心に劇団音楽座を結成した。
 劇団音楽座は、昭和60年までの9年間に、A1ないしA12に係るミュージカルを上演した。A1ないしA12に係るミュージカル公演のポスター等には、「作 D1」、「台本 D1」などと表示された(甲12の4ないし19、甲36、38、135、乙1、4)。
(2) C1は、ミュージカルスクールの運営等を目的とするサマディを経営していた。サマディは、昭和60年、劇団音楽座の負債を肩代わりするなどして昭和62年までの間、劇団音楽座を支援した。
 劇団音楽座は、サマディの支援の下、A13及びA14に係るミュージカルを上演した。A13に関して被告D1が作成した「仮題 夢の降る街 初稿・5月本多劇場・劇団音楽座」と記載された原稿の表紙及び上演台本表紙には、いずれも「台本 D1」などと表示され(甲47の1、甲93)、A14の上演台本(校正用)には「作・E1」と表示された(甲48の1)。
(3) 劇団音楽座の主要メンバーであった被告D1、H1(以下「H1」という。)、F1らは、昭和62年、劇団音楽座を退団した。
(4) C1は、被告D1らの退団後、劇団音楽座(後に「音楽座」に改名。以下、改名の前後を通じて「音楽座」ということがある。)の運営のため原告を設立した。C1は、音楽座のミュージカル公演を実施するに当たり、被告D1に参加を呼びかけ、被告D1はこれを了承した。
(5) 原告(契約書上は「劇団音楽座(製作代表C’1)」と記載されている。)が、被告D1との間で、昭和63年4月7日、に締結した契約は、原告は劇団音楽座が上演してきた被告D1の脚本による全作品(A1ないしA13)の再演に関して優先権を有し、上演する際には必ず被告D1に了解を求めること、被告D1は劇団音楽座主催以外で同脚本を上演する際には劇団音楽座の了解を求めること等を内容とするものであった。
(6) 音楽座は、昭和62年から平成8年までの10年間に、次のとおり、B作品に係るミュージカルを上演した。
ア 昭和62年から平成3年
(ア) 原告は、上記期間に、B1ないしB4、B1の第2演、第3演、第4演、B2の第2演を上演した。
(イ) 表示等
 上記(ア)記載の各作品の上演台本表紙や同脚本に係るミュージカル公演のポスター、パンフレットには、「作 D1」、「台本 D1」などと表示された(甲12の20ないし22、56、58、59、67、73、116、256の1・2、257の1・2、258の1・2、259の1・2、260の1・2、262の1・2、263の2、313、)。
(ウ) 契約
 原告と被告D1は、昭和63年5月1日、平成元年6月1日、平成2年に、B1及びB2の脚本並びにB1の歌詞につき、契約を締結したが、同契約は、被告D1は原告に対し同各作品の著作者であることを保証し、歌詞についてはその複製に必要な完全原稿等を提供し、各脚本について独占的に上演を許可すること、原告は被告D1に対し同各作品の使用ないし上演に応じた使用料を支払うこと等を内容とするものであった(甲2、3、4)。
 また、原告と被告D1は、平成3年7月1日に、被告D1が原告の専属クリエーターとなり、年間1本以上の新作ミュージカル、年間2本以上の演出作品の提供及び出演俳優の育成を行い、原告以外に新作ミュージカルを提供しないことを約し、原告は被告D1に対し専属契約料として1000万円を支払うほか、ステージ数に応じて脚本料、演出料を支払う旨の合意をした(甲5)。
イ 平成4年6月ないし平成6年7月
(ア) 原告は、上記期間に、B5、B8、B3再演版、B6、B4の第2演、B2の第3演、B1の第5演を上演した。
(イ) 表示等
 このうち、B5、B8、B4の第2演、B2の第3演、B1の第5演の上演台本表紙やミュージカル公演のポスター、パンフレットには、「作 D1」、「台本 D1」などと表示され(甲65、67、113、265の1、268の1・2、269、272、274、乙6)、B3再演版に係るミュージカル公演のパンフレットには、「原作 D1、脚本・演出 I1」などと表示された(甲137の1・2、138、267の1・2、271、272)。
 B6に係るミュージカル公演のパンフレットには、「脚本・演出 D1・ワームホールプロジェクト」と表示された(甲12の24、114、115、139、273の1・2)。
 同期間に上演された作品のポスター、パンフレットには、上記著作者の表示のほか、「ギヤヘッド ワームホールプロジェクト」との記載がなされた(甲131、265の1・2、266の1・2、267の1・2、268の1、269、271、272、274の1、乙6等)。
 なお、同期間に、上記作品に関して新聞報道がされた際には、B3再演版については、I1が、その他の作品については、被告D1が著作者として表示された(乙9、16、29の40・41・43・44ないし46・49・50・53・55・57・64・65・69ないし71・73・76ないし81)。
(ウ) 契約
 原告と被告D1は、平成4年ころ、B5につき契約を締結したが、同契約は、原告と被告D1はB5を両者協議の上作成し、その著作権は、原告と被告D1が共有すること、原告が同作品を上演して被告D1に対して脚本料を支払うことなどを内容とするものであった(甲6)。また、原告と被告D1が平成5年3月に締結した契約は、被告D1が原告の専属クリエーターとなり、原告の委嘱に応じて脚本を作成し、演出すること、原告と被告D1は原告のミュージカルが製作者、脚本家、演出家、作曲家、振付家等が共同して創作する共同作品であることを確認すること、脚本の著作権は原告と被告D1が共有すること、原告は被告D1に対し専属契約料として1000万円を支払うほか、ステージ数に応じて脚本使用料を支払うことなどを内容とするものであった(甲7)。
ウ 平成6年9月から平成8年3月  
(ア) 原告は、上記期間に、B7及びB1の第5演、B2の第3演、B4の第4演、研究生公演、B5の第2演、B8再演版を上演した。
(イ) 表示等
 このうち、B7及びB1の第5演、B2の第3演、B4の第4演、研究生公演、B5の第2演に係るミュージカル公演のパンフレットやポスターには「脚本・演出 ワームホールプロジェクト(D1ほか)」と表示された(甲12の24、114ないし118、120ないし125、130、132、275の1、276ないし278の各1・2、279の1・2、281の2、282の1・2)。
 B8再演版(平成7年9月24日ないし12月7日上演)の同年9月中の公演の一部のパンフレットには「脚本・演出 ワームホールプロジェクト(D1ほか)」と表示されていたが(甲132、280の1・2)、その後、「脚本・演出 ワームホールプロジェクト」と表示されるようになった(甲286の1・2)。
 なお、同期間に、上記作品に関して新聞報道がされた際には、ワームホールプロジェクトが著作者として表示された(甲140、144、149ないし152、155ないし160)。
(7) 音楽座は、平成8年に、C1が脱税事件で摘発されたのを契機に解散した(乙2)。
(8) 被告D1は、同年6月、被告ステップスを設立した。
(9) 被告ステップスは、平成13年7月25日から同月29日及び平成15年6月6日から同年7月16日にかけて、A13に係るミュージカルを上演した。
3 争点
(1) A10、A14、B6ないしB8について原告の確認の利益の有無(争点1)
(2) A作品の著作権者はだれか
ア A作品の著作者はだれか(争点2)
イ 劇団員全員とサマディとの間でA作品の著作権を譲渡する旨の合意があったか(争点3)
(3) B作品の著作権者はだれか(争点4)
第3 争点に関する当事者の主張
1 争点1(A10、A14、B6ないしB8について確認の利益の有無)
(被告ら)     
 被告らは、A14、B6ないしB8について、著作権を主張していない。したがって、これらの作品については、原告と被告らとの間で原告に著作権が帰属することを確認する利益はない。
 また、A10については、被告らは、被告D1とE1との共同著作である旨主張しているのであるから、第1事件本訴における確認請求の相手方の選択は正しくなく、確認の利益はない。
2 争点2(A作品の著作権者はだれか)
(1) 著作者の推定について
(原告)  
 A1ないしA13の脚本や同脚本に係るミュージカル公演のポスターには、「作 D1」、「台本 D1」などと表示されたが、上記のような表示は、実態を反映したものではなかった。
 すなわち、A1ないしA13は、各ミュージカルの出演者である劇団員の主要メンバーで著作したものであって、被告D1一人が著作したものではなかった。にもかかわらず、被告D1を著作者であるかのように表示したのは、当時の演劇界では、「脚本 劇団音楽座」という集団著作の表示は受容されがたく、「脚本 個人名」という形で表示せざるを得なかったからである。そして、被告D1は、脚本の著作者として自分の名前を積極的に表示したがり、被告D1以外の劇団員は脚本に自分の名前を出すことに無関心であったため、「脚本 D1」との表示がなされた。また、次第に、「脚本 D1」の表示を継続して用い、劇団音楽座には座付作家がいるかのようにアピールすることが、劇団音楽座の興行の方法になっていった。被告D1を著作者とする表示が真実を反映していないことは、被告らが被告D1の単独で著作したものではないと認めているA10についても「台本 D1」と表示されていることから明らかである。
 したがって、本件においては、上記の各表示について、著作権法14条を適用する前提を欠く事情が存在する。
(被告ら)
 原告は、昭和52年から昭和62年に至るまで、A14を除くA作品につき、「台本 D1」として、被告D1を著作者として表示して公表している。したがって、A14を除くA作品については、著作権法14条により被告D1が著作者であると推定される。
 原告は、当時の演劇界では、「脚本 劇団音楽座」という集団著作の表示は受容されがたく、「脚本 個人名」という形で表示せざるを得なかったため、被告D1を著作者として表示したなどと主張するが、そのような実態はなかった。実際、当時、劇団「青い鳥」が集団著作を行っていたことは周知の事実であり、「作 市堂令」と集団著作の表示をしていた。
 また、原告は、被告D1は、脚本の著作者として自分の名前を積極的に表示したがり、被告D1以外の劇団員は脚本に自分の名前を出すことに無関心であった旨主張するが、他の劇団員も、「演出 J1」、「作曲 F1」、「記録 K1」、「演出助手 L1」、「同 M1」、「宣伝美術 H1」といったように、多くのスタッフワークについて名前を表示しているものであり、これに照らせば、他の劇団員は、著作者の表示に正当な関心を有していたというべきである。
 原告は、「脚本 D1」の表示を継続して用いることが劇団音楽座の興行の方法であった旨主張するが、劇団音楽座は自主公演を行っていたものであり、主催者や興行団体などは存在しなかったから、劇団音楽座が興行することはなかったはずである。地方公演においては、演劇鑑賞団体がステージを買い取る方法により行われていたので、演劇鑑賞団体を興行団体ということができるが、演劇鑑賞団体を介した地方公演が始まったのは、昭和57年からであり、昭和52年から一貫して被告D1を著作者として表示していた理由とはなり得ない。
 A10については、当初は、被告D1が著作する予定であったため、「台本 D1」と表示したチラシを作成・配付したものである。その後に、被告D1がどうしても1話を書くことができなかったため、急遽E1がオムニバス形式のうちの1話を著作したという経緯があって、実態と表示が相違したものである。
 原告の主張する理由では、上演台本等の内部資料にも被告D1の著作者表示がなされたこと、A14においては、被告D1ではなく、E1が著作者として表示されていることの説明がつかない。
(2) 各作品の製作経緯について
(原告)
 A作品は、劇団員がマイム(心の動きを身体で表現し、即興でドラマを作っていく手法)を用いた秘密稽古によって共同して製作したものである。マイムを用いた秘密稽古以前にたたき台稿すらないことが多かった(A1ないし4)。
 被告D1(A5ないしA9、A10の一部)、E1(A10の一部、A14)、被告D1、J1(以下「J1」という。)及びE1の3名(A11。ただしたたき台稿は未完成であった。)、被告D1及びN1(以下「N1」という。)の2名(A12、A13)が、脚本のたたき台稿を作成することはあった。しかし、たたき台稿を作成した者も、その他の劇団員も、脚本について平等な1票を有していたのであって、たたき台稿を作成した者が脚本の著作者であり、その他の劇団員が著作者でないなどとはいえない。脚本のたたき台稿など、その他の劇団員が没といえば没になるものであり、稽古によって変えられていくものであった。
 A作品の詳細な製作経緯は、別紙2「A作品製作経緯に関する原告の主張」記載のとおりである。
(被告ら)
 A10の一部及びA14を除くA作品は、被告D1が初稿を作成し、A10は、被告D1とE1が初稿を作成し、稽古を経て修正すべきところは修正することによって完成したものである。
 上記修正は、劇団員が稽古の途中で提案したアドリブやアイディアを取り入れて行った場合もあったが、質的には言い回しの変更やギャグの追加が主であり(例えば、洗面器で頭を叩く、新聞記事を読み違える等)、量的には全体からすればわずかな分量であった。そのような修正は、ミュージカル脚本においては通常行われるものであって、上記のような修正があったからといって、役者が脚本の共同著作者になるということはない。稀に、被告D1の作成した初稿に具体的な台詞が一部書き込まれておらず、稽古を通じて完成されていったこともある。しかし、その分量は一層わずかである上、最終的には被告D1が了承して確定させていた。したがって、このような経緯をもって役者が脚本の共同著作者になるということはない。
 この点につき、原告は、そもそも、被告D1が著作した初稿など存在しないか、存在したとしても、その後、他の劇団員が手を加えており、他の劇団員による修正は、質的にも量的にも初稿が原形をとどめないほどのものであった旨主張する。
 しかし、初稿が存在しないのに、各場面ごとの稽古だけで全体の脚本を著作するなどということはあり得ないことである。また、被告D1作成の初稿に加えられた修正の質、量は、上記被告ら主張のとおりであった。
 この点について、原告の上記主張に沿う陳述書を作成し、証言をしている元劇団員は、現在原告の従業員の地位にある者のみである。当事者の従業員の供述の信用性は、一般論として信用性が低い上に、本件では、特に、原告従業員の供述には不自然さ、変遷、供述の相互矛盾が目立ち、到底信用できるものではない。逆に、原告・被告らの双方から中立の立場にある元劇団員(原告が共同著作者と主張する者たちである。)及び元スタッフたち6名は、彼らの関与したA作品(A10、A14を除く。)は、被告D1が著作したという内容の陳述書を作成し又は証言している。
(3) 被告D1を著作者とする契約書について
(原告)
 原告は、昭和63年、被告D1との間で、A作品のうちA14を除く13作品について、原告が上演を行う場合には、被告D1に対し、上演料(1ステージ毎に、東京公演は7000円、地方公演は1万円、学内講演は5000円)を支払う旨の協定書を作成した。
 しかし、これは、被告D1が脚本料という名目で報酬を受け取りたいと希望していたことから、原告が、被告D1の希望に沿った形で、スタッフとしての報酬を支払うためにとった便法であった。原告は、昭和63年の時点では、既に、A作品の著作権を譲り受けていたのであるから、原告がA作品を上演する際に被告D1に著作料を支払う必要はなかった。
 原告は、被告D1を含むプライドの高い各スタッフに対し、本人がやる気になるように、その人に合った名目及び額で報酬を支払っていたものである。
 したがって、上記契約書等の存在は、原告の主張と矛盾するものではない。
(被告ら)   
 被告D1は、A14を除くA作品につき、原告との間で、被告D1が著作権を有することを前提とした協定書を作成し、原告から著作物使用料の支払を受けている。原告の主張は、上記客観的証拠から認められる事実と矛盾するものである。
 原告は、上記協定書は、被告D1の希望に沿った形で、スタッフとしての報酬を支払うためにとった便法であった旨主張する。しかし、同協定書には、「被告D1が著作し著作権を有するこれらの脚本について、原告に上演を許諾する」旨の記載、被告D1による保証条項(1条)、独占的な上演許諾(2条)、10年という異例に長期間の上演許諾期間と10年間ずつの自動更新条項(3条)、放送、出版、翻訳などの2次使用権の許諾(4条)などの原告に有利な条項が記載されており、支払金額は高額で、かつ、公演回数によって定められている。また、後日、B作品についても同様の書面が作成されたが、細かい条件が異なっている。このような書面が、被告D1の希望に沿った形で、スタッフとしての報酬を支払うためにとった便法のために作成されたという原告の主張は不自然である。
3 争点3(劇団員全員とサマディとの間でA作品の著作権を譲渡する旨の合意の有無)
(原告) 
 劇団音楽座は、昭和60年2月、サマディに対し、サマディが@劇団音楽座の名称、A劇団員全員、BA作品の著作権を承継し、C劇団音楽座及び劇団員の債務(合計約500万円)を引き受けること、すなわちサマディによる劇団音楽座の吸収を申し入れた。同申入れは、劇団員総会における劇団員全員の決議によるものである。サマディは、劇団音楽座の申入れを承諾し、劇団音楽座を吸収した。
 上記によって、サマディは、A作品の著作権を取得した。
(被告ら) 
 劇団音楽座が、サマディに@劇団音楽座の名称、A劇団員全員、BA作品の著作権、C劇団音楽座及び劇団員の債務(合計約500万円)の承継を申し入れる旨の決議をしたことはない。また、劇団音楽座が、サマディにそのような申入れをしたこともない。
 劇団音楽座とサマディは、昭和60年2月ころから提携したが、これは、劇団音楽座が財政的に苦しく、サマディの運営する劇団「アメリカンコミック」が作品に恵まれていなかったことからなされたものである。サマディは、劇団音楽座にとって、経済的支援者ないしスポンサーというべき存在であった。
4 争点4(B1ないしB8の著作者はだれか)
(1) 著作者の推定について
(原告)  
 B1ないしB5及びB8の脚本や同脚本に係るミュージカル公演のポスターには、「作 D1」、「台本 D1」などと表示された。しかし、平成6年以降は、B1、2、4ないし8については、著作者として「ワームホールプロジェクト」という表示もなされた。このように、同一の作品について時間を前後して複数の者が著作者として表示された場合には表示された複数の者すべてが著作者として推定されるのであって、B作品については、著作権法14条により、被告D1のみならずワームホールプロジェクトが著作者として推定されることになる。ところで、ワームホールプロジェクトとは、C1及びC1を補助する者により構成されたチームであるから、ワームホールプロジェクトはすなわちC1のことである。そうすると、著作権法14条により被告D1のみならず、C1も著作権者と推定されることになるのであるから、被告D1とC1のいずれが真の著作権者であるかは、著作者名の表示にかかわらず、その他の証拠により決することになる。
 なお、このように表示が変遷したのは、次の理由による。すなわち、B作品の著作者は、C1であったから、著作者名としてC1の名前を表示すべきであった。しかし、当初は、劇団音楽座との連続性を明確にした方が、音楽座のマーケティング上望ましいと考えられ、また、C1は自分の名前を出すことを望まない性格であったので、劇団音楽座時代と同様、著作者名として被告D1の氏名を表示した。しかし、原告は、次第に、そのような事実に反する記載により、被告D1が賞を受けたり、外部からの執筆依頼を受けて責任を全うできない事態が生じることは望ましいことではないと考えるようになり、実態を反映した表示をするようになった。
 以上の理由から、平成4年ころから、「ギヤヘッド:ワームホールプロジェクト」、「脚本・演出:D1」を用いるようになった(B1第4演、第5演、B2第3演、B4第2演、第3演、B8)。前者の表示は、脚本を含む創作の総指揮をワームホールプロジェクトで行っていることを表すものである。また、平成6年4月のB6の公演では、「脚本:D1・ワームホールプロジェクト」と表示した。さらに、平成6年のB7及び平成7年以降の上演では「脚本・演出:ワームホールプロジェクト(D1ほか)」と表示した(B1第5演、B2第3演、B4第4演、B5第5演、B6第2演、B8第2、第3演)。平成9年以降の上演では「脚本・演出:ワームホールプロジェクト」の表示を行った(B6第2演、B8第3演、B5第3演)。
 上記のとおり、本件においては、被告D1に関する上記の各表示につき、著作権法14条を適用する前提を欠く事情が存在する。
(被告ら)
 原告は、昭和63年から平成5年に至るまで、B1ないしB5及びB8を「脚本 D1」として被告D1の著作者名義で公表している。原告は、平成6年以降、B作品のポスター、パンフレット等に著作者として「ワームホールプロジェクト」という表示もされた旨主張するが、そのような表示がされたのは、再演に係るポスター、パンフレット等であって、いずれも初演版であるB作品とは異なる作品である(原告の主張によれば、B作品は、新たな公演のたびに書き直されている。)。したがって、上記B作品については、著作権法14条により被告D1が著作者であることが推定される。そして、原告は、上記推定を覆し得る証拠を提出していない。むしろ、客観的証拠はすべて被告D1が真の著作者であったことを示している。
 原告は、被告D1を著作者として表示した理由について、劇団音楽座との連続性を明確にした方が音楽座のマーケティング上望ましいと考えた旨主張するが、このような主張では、劇団内で使用する脚本にも被告D1が著作者として記載されていることや、B3再演版にはI1が著作者として表示されていることを合理的に説明できない。
(2) 各作品の製作経緯
(原告)
 B作品の具体的な製作経緯は、概ね次のとおりであり、各作品ごとの詳細は、別紙3「B作品の製作経緯に関する主張」(原告)欄記載のとおりである。
 原告は、ミュージカルの上演を企画する際には、事前にスポンサー、バイヤーの確保、採算の検討を行っていた。このような検討は、原告の代表者であったC1と原告のチーフプロデューサーであったO1(以下「O1」という。)、親会社であるサマディの取締役等によって行われていた。このような採算の検討の際に、作品を決定しておく必要があり、上記検討メンバーのうちC1が作品を決定した。C1は、作品決定の段階で、シーン構成、脚本企画を頭の中で具体的に描いていた。したがって、被告D1を含むワームホールプロジェクトのメンバーが関与し始めるのは、C1が頭の中で上記作品決定、シーン構成、脚本企画等をした後である。
 C1は、その後、ワームホールプロジェクト会議を招集して、プロット、キャラクター設定、場面ごとの構成、台詞、歌詞を決定した。ワームホールプロジェクトは、C1を中心に、O1、P1、E1、J1、L1(以下「L1」という。)、Q1(以下「Q1」という。)、R1(以下「R1」という。)、S1(以下「S1」という。)、被告D1等が構成メンバーで、作品によってメンバーの入れ替えがあった。上記各決定は、C1が、自ら決定するか、ワームホールプロジェクトのメンバーから意見を徴して採用できるものを採用することによって決定した。
 脚本の全体的な理念、テーマ、構成、プロット、キャラクター設定を決定した後、C1は、ワームホールプロジェクトメンバーの中から、自らの脚本執筆の補助者(脚本担当)を決めて、同担当者に脚本の原稿を口述してこれを文書化させ、修正するなどして、補助者にとりまとめさせたものに更に手を入れてB作品を著作した。文書化の担当者が、C1の決定した作品内容を文書に反映していない場合には、別のワームホールプロジェクトメンバーに文書化させた。こうして文書化された原稿が稽古用脚本となった。被告D1は、ワームホールプロジェクトの脚本担当として、C1の口述を文書化するなどしてC1の著作を補助することがあった。このように、被告D1に文書化の作業を行わせることは、演出担当であった被告D1に、C1の脚本意図を理解させるという意味をも有していた。なお、ここで被告D1が行った作業は、単なる文字化、文書化、ワープロ化であって、脚本の著作ではなかった。
 このようにして作成された稽古用台本に基づき、立ち稽古が行われた。C1は、立ち稽古の過程で、自ら脚本に修正を加え、役者、照明、美術、振付等の立ち稽古参加者から脚本について修正の意見が出された場合には、修正意見の採否を決定して、自ら書き直すか、口述してスクリプターに書きとらせる方法により脚本を修正していった。最終的には、ワームホールプロジェクトのメンバーのうち、集約係が、脚本の修正箇所を集約して集約原稿を作成した。
 C1は、このようにして作成された集約原稿を見直してこれに修正を加え、上演用脚本を著作した。
 なお、被告D1は、ワームホールプロジェクトの演出担当であったから、各作品において、本読みが行われた後は、脚本の著作に関してはC1の補助すら行っていない。
 被告らは、被告D1が原稿を作成し、稽古段階でこれが修正されてB作品になった旨主張するが、被告らは、修正前の原稿を証拠として提出していないから、被告らの上記主張は認められない。
(被告ら)
 B作品の具体的な製作経緯は、概ね次のとおりであり、各作品ごとの詳細は、別紙3「B作品の製作経緯に関する主張」(被告ら)欄記載のとおりである。
 B1ないしB5は、被告D1が着想して初稿を作成し、稽古を経て修正すべきところは修正することによって完成したものである。B7及びB8は、被告D1が作成した初稿に基づいて他の社員が細部に修正を加えることによって完成したものである。
 上記初稿の作成前に、C1は、外部から持ち込まれた企画案を提案したり、自らの意見を述べることがあった。また、被告D1が初稿を作成した後、これを見て感想や意見を述べたり、部分的な削除を提案することがあった。その他、スタッフ会議を主催し、C1が主催したスタッフ会議で、被告D1の作成した脚本に意見やアイディアが出されることはあった。また、C1が、稽古場で演技や装置、衣装について意見をいうこともあった。しかし、そのような関与は、プロデューサーが通常行うものであって、上記のような関与があったからといって、プロデューサーが脚本の著作者になるということはない。
 原告は、被告らの主張が真実であれば、稽古において修正される前の初稿が証拠として提出されてしかるべきなのに提出されていない旨を指摘して、被告らの主張が信用できないという。しかし、清書原稿や修正原稿が作成された時点において、それ以前の原稿を廃棄して手許に保存しないのは、不自然なことではない。むしろ、訴状において、被告D1作成の「たたき台稿」「準備稿」の存在を主張しているにもかかわらず、これを提出していないのは原告の方である。
 また、原告は、被告D1に脚本を著作する能力はないかのような主張をするが、被告D1は、原告及び被告ステップス以外の第三者に対しても脚本を執筆して提供している。例を挙げれば、NHK「おかあさんといっしょ」の構成台本を18年間担当、「星の王子さま」、「肝っ玉おっ母とその子供たち」(いずれも演劇集団風が上演)、「明日 天使になーれ」(四日市市民ミュージカル)、「ハンスの冒険」、同続編、同続々編(チボリ公園テーマパーク)、「迷宮伝説 雨月物語」(松竹MBS)、「遙かなる山、そして彼方へ」(富山市民ミュージカル)、「みどりの天使」(藤原歌劇団)、「イルミナント」(サンリオピューロランド)、「響 ひびき」(わらび座)、「ぼくはピンチ」(鎌倉市民ミュージカル)等である。これらの脚本に関して、被告D1が脚本を書けずに降板したことはない。シアター・アプルの「ハウ・ツウ・デイト」においては、途中で脚本担当を降板したが、これは、脚本を書けなかったからではなく、ある出演者との間で意見の不一致があったためである。
 原告は、そもそも、被告D1が著作した初稿など存在しないか、存在したとしても、それらはC1が採用しなかったものであり、B作品は、C1が単独で著作した旨を主張する。しかし、具体的なC1の関与に関して原告の主張するところは、要するに企画会議を主催して、被告D1らが書いた原稿に感想や修正意見を述べたということを様々な修辞で飾り立てているだけであって、C1が著作した旨の主張とはいえない。原告は、第1事件本訴提起から1年を経過した第7回弁論準備手続において訴状の主張を変更し、被告D1らが書いた原稿が存在するとしても、これは、C1が口述したものを文書化したものであり、かつ、C1はこれを採用しなかったと主張するに至ったが、このような主張の変遷には全く合理性がなく、信用できない。
 C1や原告の従業員の作成した陳述書には、具体的なC1の関与に関する記載があるが、これらの記載は、後日脚本を読むことによって記載できることばかりである上、C1の供述は、不合理に変遷している(例えば、代表者本人尋問では、ジャック・フィニーの「夢の10セント銀貨」に惹かれてB3を着想し、自ら著作した旨を述べたが、陳述書では、本件訴訟(第1事件本訴)が提起された後、B3がジャック・フィニーの「夢の10セント銀貨」に酷似していることを発見して愕然とした旨が記載されている。)。また、C1は、著作者であれば当然知っているべき事項について供述することができなかった(例えば、B3のシーン2の登場人物にモデルがいたか、いるとすればだれか、B4におけるDとJという登場人物をイニシャル名にした理由、モデルの有無等)。C1のほか、原告の主張に沿う陳述書を作成し、証言をしている元劇団員は、現在原告の従業員の地位にある者である。当事者の従業員の供述の信用性は、一般論として信用性が低い上に、本件では、特に、原告社員の供述には不自然さ、変遷、供述の相互矛盾が目立ち、到底信用できるものではない。原告が提出した陳述書で原告の社員以外によるものは、T1の陳述書(甲253)のみであるが、同人は、原告の公演の美術デザインを継続的に委嘱されている者で(甲283、284、287)、「音楽座ミュージカルを上演する会」の発起人であるから、中立の立場にある人物とは到底いえない。
 かえって、原告と被告らの双方から中立の立場にある元スタッフたちは、彼らの関与したB作品の著作者は被告D1であったという内容の陳述書を作成している。したがって、C1がB作品の著作を行った事実を認めることは到底できない。
(3) 原告と被告D1との間で作成された契約書について
(原告)
 原告と被告D1は、B1、B2、B5に関して、被告D1に脚本使用料を支払う旨の契約を締結した。また、原告は、被告D1との間で、被告D1が原告の専属クリエーターになる旨の専属契約を締結した。
 しかし、これらは、被告D1にスタッフとしての報酬を支払ったり、被告D1に居宅を提供する際に、被告D1の希望によってそのような名目、額にしたものであって、実際には、被告D1が脚本執筆や演出を担当したことはない。原告は、被告D1を含むプライドの高い各スタッフに対し、本人がやる気になるように、その人に合った名目及び額で報酬を支払っていたものである。
 したがって、上記契約書等の存在は、原告の主張と矛盾するものではない。
(被告ら)
 原告と被告D1は、B1、B2、B5に関して、被告D1に脚本使用料を支払う旨の契約を締結し、被告D1が原告の専属クリエーターになる旨の専属契約を締結しており、被告D1がB1、B2、B5の著作者であることは明らかである。なお、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)には、B作品の歌詞の著作権者として被告D1が届け出られている(乙58)。
 原告は、被告D1の希望によってそのような名目、額の報酬を支払っていたにすぎない旨をいうが、あまりにも不自然な主張である。
第4 当裁判所の判断
1 争点1(A10、A14、B6ないしB8について原告の確認の利益の有無)
(1) A10について
 被告らは、A10について、原告が著作権を有することを争い、著作権の共有持分権が被告D1に帰属すると主張している。したがって、原告の著作権の存否を確定することは、A10に係るミュージカルの公演等をめぐる紛争の解決に資するものということができるから、A10の著作権の原告への帰属の確認については確認の利益を肯定することができる。
(2) A14、B6ないしB8について
 本件において、被告らは、A14、B6ないしB8について、原告が著作権を有することを、特に争っていない。なお、乙10によれば、被告D1は、B5に係るミュージカル公演において、原告が、脚本の著作権者を「ワームホールプロジェクト」とのみ表示し、被告D1の氏名を表示しないことについて抗議した事実が認められるが、A14、B6ないしB8については、被告D1がそのような抗議をした事実も認められない。
 そうすると、A14、B6ないしB8の著作権に関し、原告の法律上の地位に不安ないし危険が生じているとはいえないから、原告の本件訴えのうち、A14、B6ないしB8の著作権の原告への帰属の確認に係る部分は即時確定の利益がなく、確認の利益を欠くものとして、違法である。
(3) 上記のとおり、原告の第1事件本訴に係る訴えのうち、A14、B6ないしB8につき著作権の原告への帰属の確認を求める部分については、確認の利益はなく、違法であるから、却下を免れない。
2 争点2(A作品の著作者はだれか)
(1) 著作者の推定について
 前記「前提となる事実」(前記第2、2)に記載の事実関係によれば、A14を除くA作品は、ポスターやパンフレット、脚本に、著作者として被告D1の氏名が通常の方法により記載されているのであるから、著作権法14条により、被告D1が、A14を除くA作品の著作者と推定される(A10については、被告D1と共に脚本を作成したE1の氏名が表示されていないが、このように表示が食違った事情は後記(3)エ(ア)記載のとおりであって、このことをもって、A作品全体について著作権法14条の適用が妨げられるということはできない。)。
 したがって、これらの作品については、原告において、同条による推定を覆して、被告D1ではなく主要な劇団員が著作したことを立証すべきものである。
 この点に関して、原告は、当時、集団著作の表示は受容され難く、被告D1が著作者として自らの名前を表示させてほしいと要望し、そのような表示を継続することが興行上有利であった旨をいい、そのような事情が存在する本件においては著作権法14条を適用する前提を欠くものであるから、同条による推定は及ばない旨を主張し、Q1、J1らは原告の主張に沿う内容を述べる。しかし、原告の上記主張及び上記J1、Q1の陳述書の内容は、他の劇団員の陳述書の内容に反するものであり、A14についてはE1が著作者として表示されていること(甲48の1)、外部に示さない改訂前の脚本や契約書にも著作者として被告D1の氏名が記載されていること(甲1、47の1、乙4)など客観的証拠から認められる事実と符号しないものである。さらに、Q1及びJ1の陳述書ないし供述内容は、後記のとおり信用できない。したがって、本件において、著作権法14条を適用する前提を欠く事情が存在する旨の原告の上記主張は、採用できない。
(2) 原告の主張について
ア そこで、A作品の製作経緯について原告の主張する内容を検討する。原告は、A作品は、劇団員全員で著作したものであり、被告D1は、劇団員全員の話合いに基づいて、単独又は他の劇団員と共同でたたき台を作成してきたことはあるが、同たたき台は、脚本といえるようなものではなかったこと、A作品は、劇団員が、全く脚本が存在しない状態から、劇団員全員がシーンごとに秘密稽古で作成したものをつなぎ合わせたものであることなどを主張する。
 しかしながら、次のとおり、原告の主張を認めるに足りる証拠はない。
イ Q1証人の証人尋問の結果について
 Q1証人は、証人尋問において本件A作品の作成経緯について、原告の主張に沿う供述をするが、その供述する内容は、「全員でそのシーンそのシーンを書いたものをJ1がとりまとめております」などといった抽象的なものであって、具体的な事情を述べるものではない(同証人は、証人尋問において、陳述書の内容を引用しているが、同陳述書が信用できないことは後記ウのとおりである。)。また、Q1証人は、反対尋問において、自らが作成したというA13の初稿(甲47の1)、A10のプロローグとエピローグの作成経緯を質問された際にも、具体的な作成経緯に関する事実を全く述べることができなかった(同証人の尋問調書32ないし34頁、57ないし58頁)。同証人は、A4の作成経緯について「D1さんはスガナレル役というのを非常にやりたがっておりましたので、その部分を中心にしたシーン構成したもの、自分のスガナレル役のせりふをちょっと書いたものを10枚程度持ってきて自分でぺらぺらめくりながらみんなに話をしました。」(同尋問調書14、15頁)と述べるが、甲176によれば、Q1証人は、その場に立ち合っていないはずである。
 上記のとおり、Q1証人の証人尋問における供述は、信用できない。
ウ J1及びQ1の陳述書について
 J1及びQ1の各陳述書は、F1、U1(以下「U1」という。)、G1ら劇団員がA作品の一部を作成したという内容であるが、当のF1、U1、G1らは、A作品を作成したことはない旨の陳述書を提出し、又はその旨を証人尋問において証言している(乙17ないし21、証人F1)。
 また、原告は、A6、7、8、10及び11について、本番前の稽古用台本(甲84、86、88、44及び45)を提出しており、これらの脚本は、既存の小説等を参考にして作成されたと認められる(甲85、87、89及び弁論の全趣旨)。ところが、J1及びQ1の各陳述書によれば、被告D1以外の劇団員は、本件訴訟(第1事件本訴)を提起するまで上記各A作品が上記既存の小説等を参考に作成されたものであることを知らなかったというのであるから、上記稽古用台本を劇団員全員で作成したという上記各陳述書の内容は客観的証拠と符号しない不合理なものであるといわざるを得ない。この点について、原告は、上記既存の小説等を参考にしていない部分が被告D1以外の劇団員の著作した部分であると主張するようである。しかし、被告D1が出演するシーンについてのみ上記小説等の影響が窺われるというのであればともかく、上記各稽古用台本の全体的なストーリー、場面設定、被告D1が出演しないシーンの具体的台詞等について、上記既存の小説等の影響が窺われるのであるから、いずれにしても、各自が出演するシーンの台詞等を秘密稽古において各自が作成し、かつ、被告D1以外の劇団員は上記小説等を参考にしていない旨のQ1及びJ1の陳述書の内容は、上記各証拠と符号しないというべきである。
 その他、上記各陳述書には、A作品の作成経緯につき、記憶に基づいて誠実に作成されたものであれば生じ得ない不合理な変遷が存在している。例えば、J1は、当初提出した陳述書には「被告D1がまとめて提案してきたものは全体の流れをイメージできる程度には書かれてた。歌詞等は書かれていなかったが、たたき台としては使えるもので、各チームを決めて立ち稽古に入った。」旨記載していたにもかかわらず(甲77の33頁)、その後に提出した陳述書においては、「被告D1はスガナレル役の演技を披露しただけで、原稿でもなんでもないのでたたき台にもならなかった。」旨記載している(甲176の10頁)。Q1は、当初提出した陳述書には「被告D1が、A13のたたき台稿を作成し、1987年1月26日に2回目のたたき台を出してきましたが、これは3分の1しか書かれていなかった。」旨記載していたにもかかわらず(甲76の87ないし89頁)、その後に提出した陳述書においては、「被告D1、N1及びQ1がA13のたたき台稿を作成して提出した、被告D1は、2回目のたたき台を全く作成しなかった。」旨記載しており(甲136の12頁)、1回目のたたき台を作成した人物、甲47の1が没になった後、被告D1が紙媒体で第2稿を作成したか否かについて不合理に変遷している。
 Q1は、証人尋問において供述しているが、Q1証人の供述が信用できないことは、前記イにおいて述べたとおりである。
 上記のとおり、J1及びQ1の陳述書は信用できない。
エ N1及びL1の陳述書について
 N1及びL1の各陳述書は、自らが演劇を始めた経緯や、劇団音楽座の劇団員は被告D1のために活動していたものではなく、各自主体的に公演に取り組んでいたことなどを述べるにとどまり、脚本の作成経緯についての具体的事実はほとんど記載されていない(N1の陳述書に一部脚本の著作に関係する具体的記載があるが、当該記載から認められる事実をもって、劇団員全員が共同で作成したということはできない。)。
オ 地方公演のパンフレットの記載(甲38)
 原告は、A4の地方公演の際のパンフレットの中で、被告D1が、「書くのは私ですが、それは大枠に過ぎません。それを役者が、けいこの中で仕上げて行き、一つの作品となります。音楽座の芝居は全部そうです。」(甲38)と述べていることが、原告の主張に沿う証拠であると指摘するが、当該記載は、被告らの主張と何ら矛盾するものではなく、当該記載が原告の主張を裏付けるということはできない。
カ その他、原告提出の証拠を精査しても、原告の主張を認めるには足りない。
(3) むしろ、証拠(乙10、17ないし22、証人F1、被告D1本人)及び弁論の全趣旨によれば、A作品の製作経緯は次のとおりであったと認められる。
ア 被告D1は、桐朋学園大学短期大学部演劇科在学中に、文化祭でシャーロットの「森の物語」のミュージカル脚本を作成し、F1らに作曲を依頼して、ミュージカルを上演するなどして活動していた。被告D1は、昭和52年1月ころ、桐朋学園卒業後のG1と共にミュージカル劇団を立ち上げることを決意した。
イ G1は、F1に対し、自分たちがミュージカル劇団を作ることを伝え、脚本は被告D1が執筆するので、F1に作曲を担当してほしいと依頼し、F1はこれを承諾した。
 被告D1らは、劇団を劇団音楽座と命名し、桐朋学園で被告D1やG1の知り合いであったQ1、V1、W1、L1が、劇団員となった。
ウ 劇団音楽座は、昭和52年から昭和56年までの4年間は、年2本のペースでオリジナルの脚本に基づくミュージカル(以下「オリジナルミュージカル」という。)の上演を行い(A1からA10)、昭和57年及び同58年は、各1本、オリジナルミュージカルを上演し(A11、A12)、その後、3年を経て、昭和62年には、2本のオリジナルミュージカルを上演した(A13、A14)。
 劇団音楽座は、上記オリジナルミュージカルのほか、既存の脚本に基づくミュージカルをも上演した。
エ 劇団音楽座が上演したオリジナルミュージカルの脚本(A作品)のうちA1ないしA12の製作経緯は、概ね次のとおりであった。
(ア) 初稿の作成
a A10を除くA作品
 被告D1は、A10を除くA作品のうちA6ないしA9、A11、A12については、次のとおり既存の小説等を参考に初稿を作成し、その他の作品については独自に初稿を作成した。
 A6 ジョエル・リーバー作「引っ越し魔」
 A7 レイ・ブラッドベリ作「メランコリーの妙薬」、「いちご色の窓」
 A8 ジャック・フィニー作「夢の10セント銀貨」
 A9 レイ・ブラッドベリ作「何かが道をやってくる」
 A11 ビリー・ワイルダー監督の映画「恋人よ帰れ!我が胸に」
 A12 A2(A12はA2のリメイクである。)
 上記初稿には、台詞、卜書が記載され、曲を挿入する箇所には「M ○○」等と記載して挿入箇所を特定していた。もっとも、被告D1は、脚本の作成が遅れているような場合には、劇団員の稽古時間を確保するため、脚本の一部について、シーン設定だけを記載して具体的な台詞を記載しないまま劇団員に初稿を提出することがあった(そのようなことは、一部の脚本について、部分的なものに限られている。)。その他、被告D1は、脚本の特定の場面において、出演者にアドリブを行うよう指定することもあった。被告D1は、歌詞に曲をつけるより、曲に合わせて歌詞を作成した方が良い作品になると考えていたことから、曲を挿入する箇所には歌詞が書いていないことが多かった。被告D1は、劇団員による稽古やF1の作曲と並行しながら、未完成部分の台詞や歌詞等を作成し、完成部分についても劇団員に評判のよくなかった部分を書き直すなどした。
b A10
 被告D1は、イソップ童話の「ウサギとカメ」、O・ヘンリー作「桃源郷の短期滞在者」、ロアルト・ダール作「老人とバイオリン」、イソップ童話の「アリとキリギリス」、アニメ映画「ウォータ・シップ・ダウンのうさぎたち」等の既存の小説等を参考に、A10のオムニバス形式の5話のうちの4話について初稿を作成した。ところが、被告D1は、残り1話については初稿を作成できなかった。そこで、E1が、被告D1にことわった上、レイ・ブラッドベリ作「白服の男たち」を参考に、「ルンペンと赤ちゃん」の初稿を作成した。被告D1は、E1の作成してきた脚本が予定より長かったことから、急遽、ウサギとカメの話を短くして、プロローグとエピローグにした。なお、E1が初稿を作成し始める前に、ポスター等の印刷が終了していたため、E1が脚本の著作者として表示されることはなかった。
(イ) 初稿の清書
 A作品の前半期の作品についてはG1ないしX1が、後半期の作品については劇団員が、それぞれ手分けして、被告D1が手書きした初稿を清書した。清書が終わった後の元原稿は、混同しないように廃棄されることが多かった。
(ウ) 稽古中の補充、修正等
 初稿の作成者(被告D1ないしE1)又は演出担当者が、初稿の登場人物のキャスティングを決定した。配役が決まった劇団員は、稽古を開始した。
 劇団員の稽古においては、まず、出演者各自が、初稿を読んで各自稽古を重ね、その後に、演出担当者等他の劇団員に演技を披露するという方法がとられることがあった(秘密稽古)。劇団員は、このような秘密稽古ないし演出家との稽古において、初稿にシーン設定のみが記載され台詞が記載されていない部分や、被告D1ないしE1が、脚本の特定の場面において、出演者にアドリブを行うよう指定した部分については、稽古をしながら即興で台詞を考えることがあった(いわゆるエチュード。特に、A3では、スーパーマン誕生のシーンを、演出のJ1が出演者に稽古させながら完成した。)。
 また、劇団員は、初稿に記載がある場合であっても、より自然な単語や言い回し、より面白い言い回しを思いついた場合には、初稿の記載を修正して、演出担当者等他の劇団員の前で演技を披露したり、その旨の演出を提案することもあった(例えば、別紙4「A作品製作経緯に関する裁判所の認定」記載の修正等を行ったことが認められる。)。
 被告D1は、他の劇団員による上記のような修正を認めることが多かったが、被告D1がこれらの修正に納得できない場合には、元の初稿の記載どおりの言い回しになるか、被告D1が双方が納得できる新たな言い回しを考えてくるなどした。
 被告D1は、稽古中に、初稿にシーン設定のみが記載され台詞が記載されていなかった部分について具体的な台詞を作成したり、既に作成した台詞等を書き直したりすることがあった。また、作品によっては、稽古の途中の段階になって、新たに出演を希望する劇団員が現われたため、被告D1が、脚本を書き直して登場人物を増やすこともあった。
オ 脚本作成以外の作業
(ア) 作曲
 作曲担当のF1は、被告D1が作成した上記初稿に基づき、シーンごとに、シーン名、起こる事件、出演者等を記載したプロットカードを作成し、稽古と並行して作曲した。F1は、単独で作曲できるものは作曲し、イメージが浮かばない場合には、被告D1に、どういう曲をイメージしているのかを聞くなどして作曲した。J1が演出を担当した作品については、J1が被告D1とF1の作曲の相談に加わることもあった。
(イ) 演奏、音響、照明
 A作品は、劇団員以外の協力者による生演奏で上演された。生演奏を担当するバンドは、通し稽古やゲネプロの段階で参加し、演奏の際は、上記エのような経緯で完成された脚本の台詞を演奏開始のきっかけとして用いた。音響や照明の担当者も同様に、脚本に基づき作業を行った。
カ サマディの支援について
(ア) 劇団音楽座は、昭和53年に上演したA4に関して、Y1から「日本人が書いた最高のミュージカル」との評価を得た。また、劇団音楽座は、昭和57年ころから、各地の演劇鑑賞団体から対価を得て、地方公演を行うようになった。このように、劇団音楽座は、一定の評価を得ていった。
 他方で、被告D1は、昭和58年ころから、NHKの「お母さんといっしょ」の構成作家、サマディの傘下にあったミュージカルスクール「アメリカン・コミック」の講師など、劇団音楽座以外の作品の演出等も担当するようになった。被告D1は、これらの活動に時間を割かざるを得なかったことから、新しいオリジナルミュージカルの脚本を執筆する余裕がなく、劇団音楽座は、昭和58年から昭和61年まで、新作のオリジナルミュージカルの上演をすることができなかった(昭和58年にはA12を上演したが、同作品は、A2のリメイクであった。)。
 劇団音楽座は、上記のような状況下で、昭和60年ころの公演で、400万ないし500万円の赤字を計上した。
(イ) 被告D1及びJ1は、劇団音楽座が経済的に困窮しており、他方で、上記「アメリカン・コミック」は、経済的に余裕があるものの作品に恵まれていなかったことから、劇団音楽座とサマディが提携することを考えるようになった。被告D1及びJ1は、劇団員に上記提携を提案した。
(ウ) 劇団員は、サマディの支援を受けるべきか否か話し合い、結局、支援を受けることとした。
 劇団員は、サマディの支援を受けることにより従前のように自分たちのやりたいように劇団を運営するのではなく、利益追求のために、作品選びや出演者の選任について、制約されるおそれがあるという点に問題を感じており、上記話合いは、主にこの点についてなされた。A1ないしA12の著作権や将来劇団音楽座が上演するであろうオリジナルミュージカルの脚本や曲の著作権の帰属等について話合われることはなかった。
キ 劇団音楽座がサマディの支援の下で上演したオリジナルミュージカルの脚本であるA13及び14の製作経緯は、概ね次のとおりであった。
(ア) 初稿の作成
a A13
 被告D1は、A13の初稿(甲47の1)を作成した。
 しかし、劇団員が、同初稿を酷評したことから、被告D1は、初稿第2稿を作成することになった。被告D1は、同第2稿作成中、原稿の一部を執筆できず、H1やU1が当該部分の原稿執筆を手伝い、被告D1が当該部分を了承して初稿を完成した。
b A14
 E1は、A10のうちの1話「ルンペンと赤ちゃん」を基に、A14の初稿を作成した。
(イ) 初稿の清書、稽古中の補充、修正等及び脚本作成以外の作業については、前記エ及びオ記載のとおりである。
(4) 前記「前提となる事実」(前記第2、2)及び上記認定事実によれば、A10及びA14を除くA作品の初稿を作成したのは被告D1であり、A10の初稿を作成したのは被告D1及びE1であり、上記各作品は、被告D1ないしE1が、劇団員のアイディアを採り入れ、補助を受けながら完成させたものというべきであって、A10及びA14を除くA作品の著作者は被告D1、A10を著作したのは被告D1及びE1というべきである。
 これに対し、被告D1及びE1以外の劇団員は、@被告D1ないしE1から提出された初稿に基づいて秘密稽古をする際に、一部の場合に、シーン設定のみが記載され、台詞が記載されていない部分について、被告D1のシーン設定を基に、エチュードで台詞を考え、A台詞が記載されている部分について、より自然な言い回しやより面白い言い回しを考えて、演出担当者等の前で演技する際に自らの考えた言い回しを用いることがあり、B秘密稽古の際に限らず、稽古の際に、台詞や言い回し等について良いアイディアを思いついた際には、これを提案し、C被告D1ないしE1が、脚本の特定の場面において、出演者にアドリブを行うよう指定した部分については、被告D1作成の脚本の設定の範囲内で、自由な演技、特技を披露し、DA13については、H1及びU1が、被告D1の作成した脚本の一部分について、原稿を作成した。そして、@ないしCについては、被告D1ないしE1を含む他の劇団員に評価された場合には、劇団員の当該アイディアに沿って脚本が補充、修正された。また、Dについては、最終的には、被告D1が了承することによって、脚本に加えられた。
 上記によれば、被告D1ないしE1を除く劇団員の、脚本作成への関与は、演出的なアイディアの提供ないし被告D1又はE1による作成過程における補助的な作業にすぎないものであるからから、被告D1ないしE1を除く劇団員をA作品の著作者ということはできない。
(5) 前記認定に用いた証拠の信用性等に関する原告の主張について
ア 原告は、前記認定に用いた証拠のうち、特に、被告D1の供述及び陳述書について、@被告D1の供述及び陳述書の内容が真実であれば、被告D1が作成した初稿が証拠として提出されてしかるべきであるにもかかわらず提出されていないこと、Aこれらを証拠として提出できない理由として被告D1が弁解する内容は、町田の稽古場に置いてきたとしたり、廃棄したとしたり、不合理に変遷している上、そもそも、自らの手書きの原稿を放置したり廃棄するなどということは経験則上あり得ないこと、B被告D1が原稿を手書きしてから劇団員の清書を経て台本になる経緯、乙4、甲37、甲40、甲45が各作品の何訂に当たるかについて被告D1の供述が不正確で変遷していること、CA作品の脚本の著作者でなければ分からない具体的事実に関するものが全くなく、原告の主張や元劇団員の陳述書の焼き直しばかりであり、A作品のタイトルを誤って記載しているものもあること(乙10)などを指摘して、信用できない旨をいう。
 しかし、前記のとおり、被告D1の初稿は、劇団員がそのまま清書し、その後、たびたび修正されたところ、このような経緯で最新版の原稿のみを残し、清書前、修正前の原稿を廃棄したり稽古場に置いたままにすることは不自然なことではない。また、脚本がどのように散逸したかについての供述については、本件では問題になる脚本(B作品も含む)が多数存在し、同じ作品についても、複数の改訂版が存在するものと推認されるところ、これらの作成期間は昭和52年から平成5年までの約18年にわたっており、その間、被告D1の脚本作成方法は、手書き原稿を清書する方法からワープロによる方法へと変化し、活動場所も移動しているのであるから、個々の改訂前脚本について、どのように処分したか、どの段階で清書されたか、タイトルの漢字表示等について多少不正確な供述があったとしても、このことをもって被告D1の供述が信用できないということはできない。
イ Q1証人は、前記認定に用いた証拠のうちU1の陳述書について、Q1がU1に電話で陳述書の真偽について正したところ、U1は自らの真意と異なる陳述書を作成した旨を述べていたという趣旨の供述をするが、これを裏付ける証拠は提出されておらず、乙45及び46によれば、U1の陳述書は、U1が充分に確認した上、自らの記憶に基づいて作成したものというべきである。
ウ その他、原告が指摘する点は、いずれも、被告らの主張又は証拠の内容を正解しない非難か、証拠の信用性に影響を及ぼさない事柄についての非難であって、当を得ていない。
3 争点4(B1ないしB8の著作者はだれか)
(1) 著作者の推定について
 前記「前提となる事実」(前記第2、2)に記載の事実関係によれば、B1ないしB5及びB8は、ポスターやパンフレット、脚本に、著作者として被告D1の氏名が通常の方法により記載されているのであるから、著作権法14条により、被告D1が、著作者と推定される。原告は、「ギヤヘッド ワームホールプロジェクト」の表示が著作者の表示であるかのような主張をするが「ギヤヘッド」を脚本の著作者の意味と解することはできない。さらに、原告は、平成6年以降はワームホールプロジェクトも著作者として表示されており、ワームホールプロジェクトはすなわちC1のことであるから、C1も著作権法14条により著作者として推定される旨主張する。しかし、「ワームホールプロジェクト」がC1の実名に代えて用いられるものとして周知のもの(著作権法14条)であるとは認められない上、平成6年以降にワームホールプロジェクトが著作者として表示されたのは、上記B作品の再演版以降であり、上記B作品は再演の度に脚本を書き直したというのであるから、本件で問題となっている初演脚本である上記B作品について、ワームホールプロジェクトが著作者名として表示されていたということはできない。
 B6については、ポスター、パンフレット等に脚本の著作者として被告D1の氏名及びワームホールプロジェクトが記載されており、被告D1が少なくとも脚本の著作者の一人であることが推定される。しかし、ワームホールプロジェクトの表示は特定の人物等の氏名又は名称等に代えて用いられるものとして周知のもの(著作権法14条)ということはできないから、同表示から著作者を推定することはできない。原告は、ワームホールプロジェクトはC1を示す名称である旨主張するが、前記のとおり、「ワームホールプロジェクト」がC1の実名に代えて用いられるものとして周知のもの(著作権法14条)であると、認めるに足りる証拠はない。
 B7については、ポスター、パンフレット等に脚本の著作者名として「ワームホールプロジェクト(D1ほか)」と記載されているが、同様の理由により、被告D1が少なくとも脚本の著作者の一人であることが推定されるが、同表示によりC1を著作者として推定することはできない。
 上記のとおり、著作権法14条により、被告D1は、B1ないしB5及びB8の著作者であると推定され、B6及びB7の著作者の一人であると推定されるが、C1はB作品の著作者であるとは推定されない。
 したがって、これらの作品については、原告において、同条による推定を覆して、被告D1ではなくC1が著作したことを立証すべきものである。
 この点に関して、原告は、被告D1を著作者として表示する方が興行上有利であったから虚偽の表示をした旨をいい、そのような事情が存在する本件においては著作権法14条を適用する前提を欠くものであるから、同条による推定は及ばない旨を主張するが、B3再演版及び「ルート・ラブ」については「I1」又は「E1」が著作者名として表示されていること(甲12の23、乙29の6)、内部資料である契約書(甲2ないし4)や原稿(甲65)にも被告D1の氏名が著作者名として表示されていることなど客観的証拠と符号しない。したがって、本件において、著作権法14条を適用する前提を欠く事情が存在する旨の原告の上記主張は、採用できない。
(2) 原告の主張について
ア そこで、原告の主張を検討する。原告は、B1ないし8は、いずれも、C1が独自に又は会議において構成等を決定し、脚本担当者に口述して文書化することによって作成したものである旨を主張する。
 しかしながら、次のとおり、原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。
イ 原告代表者C1本人尋問の結果及び陳述書について
 C1は、本人尋問において本件B作品の作成経緯について、原告の主張に沿う供述をするが、その供述は、主に、尋問に際して作成された書面(甲297ないし305、306ないし309、311)を見ながら同書面の記載を説明するものであった。その内容も、B作品やその原作についてのC1の解釈の域を出ない内容であり、B作品の著作者でなければ供述できない内容が含まれているとはいえない。
 むしろ、C1の供述及び陳述書は、客観的証拠と符号しておらず、記憶に基づいて誠実に供述していれば通常生じ得ない矛盾がある。
 すなわち、C1はB5について、当初、被告D1が作成した綿密な原稿を受け取ったが、これを使用せず、自ら甲65を著作したと供述するが、甲65の表紙には、「D1」と記載されているから、C1の同供述は客観的証拠と符号しないものである。
 なお、甲65と甲66は、登場人物、シーン構成、曲の挿入位置、歌詞の内容、具体的台詞等細部まで酷似しており、甲66は甲65を修正して作成されたものと認められるところ、C1は、甲66はR1を補助者として新たに作成したものであって、甲65は脚本として使用することを断念したかのような記載をするなど(甲250の22頁等)、随所にわたって、C1が作成経緯として記述する内容が、脚本の内容等の客観的事実と矛盾する点が存在する。
 C1は、B3の作成経緯について、当初提出した陳述書においては、B3がジャック・フィニーの「夢の10セント銀貨」を参考に記載されたものであることを知らなかった旨記載していたにもかかわらず(甲74の254頁)、本人尋問においては、C1自身が、ジャック・フィニーの「夢の10セント銀貨」を参考にB3を作成した旨を述べるなど(C1本人尋問調書15ないし16頁)、矛盾する供述をしており、供述内容の信用性に疑問がある。
 C1は、上記陳述書において、B3の作成経緯につき、「D1氏が提案してきた新しいたたき台稿は、最後には結局すべてが夢だったという、何のために2時間もの時間をかけて上演するのか全く意味を見出せない作品になっていましたので、私はたたき台稿から準備稿を作る段階で、改めて私が描きたい作品のテーマや内容をD1氏に話して書き直しをさせました。ただ前述したように、既に時間切れで、前日のゲネプロに至っても結果は芳しくなく、とにかく初日の幕を上げるために、夢から醒めた今日子を取り巻く世界の変化を、夫のアキラや敵役の島田ルミの変化として表現するなど、なんとか最小限の直しを入れることしかできませんでした。」(同250頁)と記載しているが、B3の着想、被告D1及びC1の同作品の作成過程への関与の程度など重要な部分について、原告の主張やC1の本人尋問における供述との齟齬が認められる。
 上記によれば、C1の本人尋問における供述及び陳述書の内容は、直ちに信用できない。
ウ R1陳述書(甲91)
 R1陳述書(甲91)には、B作品の作成経緯に関する具体的記述が含まれている。
 もっとも、同陳述書によって認められるC1のB1ないしB5の作成における具体的関与は、@B4において、挿入歌4つの仮歌詞及びラストにつながるDとJの台詞を口述し、R1に文書化させた(ラストシーンを変更した旨の記載は、抽象的で具体的変更が明らかでない。)、AB5において、C1は、被告D1に対し、古本屋等で買い集めた資料を渡し、夏目漱石が小説「坊ちゃん」を書き上げるまでの物語にすることを確認し、好きなだけ時間を使っていいからたたき台稿を書くように話した、CB5において、被告D1がたたき台稿を書いてきたので、同たたき台稿の修正箇所をR1に口述した、というものであり、この程度の関与をもっては、いずれにしてもC1が上記B作品を著作したと認めるには足りない。
エ N1、O’1(O1)、Z1(Z’1)、T1の陳述書(甲79、90、251、253)
 上記の各陳述書(甲79、90、251、253)には、C1のB作品の作成経緯についての具体的事実は記載されていない。
オ L1の陳述書(甲243)
 L1の陳述書(甲243)に添付された一覧表は、脚本が一応完成し、稽古に入った後の修正等について記載されたものであって、稽古に用いた脚本の作成経緯におけるC1の関与について、具体的事実は記載されていない。
カ 原告提出のフロッピーディスク等
 原告は、原告の主張に沿う証拠として、B作品関係の書きかけ原稿等のデータが保存されたフロッピーディスク、保存されたデータをプリントアウトしたもの等(以下「原告提出のフロッピーディスク等」という。)を提出する(検甲1ないし15、甲196ないし甲206、211ないし213、219。各枝番を含む。)。
 しかしながら、そもそも、原告提出の上記フロッピーディスク等は、同フロッピーディスク内に保存されたデータの作成者がC1であることを示すものとはいえない上、同フロッピーディスク等は、次のような経緯で提出されたものであって、証拠としての信用性が低いといわざるを得ない。
 すなわち、被告らが平成15年7月9日及び24日に、B作品関係の書きかけ原稿等のデータが保存されたフロッピーディスク(検乙1ないし4)を提出したところ、原告は、被告らに対し、他に本件に関して所持しているフロッピーディスクがあれば証拠として提出するよう求め(平成15年7月25日付準備書面(原告6))、これに対し、被告らも、原告に対し、本件に関して所持しているフロッピーディスクがあれば証拠として提出するよう求めた(平成15年7月31日付準備書面(被告第3))。また、原告は、被告に対し、原告の関係者立会の下で検乙1ないし4に保存されているデータをプリントアウトするよう求めた。被告らは、原告が、本件に関して所持しているフロッピーディスクを証拠として提出した後であれば、被告らの所持するフロッピーディスクの提出等の要求に応ずる旨を返答した(平成15年10月10日付準備書面(被告第4))。原告は、ワームホールプロジェクトメンバーに配布したその他のフロッピーディスクは回収廃棄した旨のC1作成の陳述書(甲185)を提出し、原告において、証拠として提出すべきフロッピーディスクを所持していない旨述べた。これを受けて、被告らは、同年8月4日に、検乙5ないし8を提出し、検乙1ないし8について、原告訴訟代理人、原告従業員数名の立会の下で、保存されているデータをプリントアウトする作業を行った。さらに、原告は、検乙1ないし8の作成の真偽を確認するために必要であるとして、検乙1ないし8の外観の写真を撮り、製品番号等を控え、同フロッピーディスク内に保存されているデータを他のフロッピーディスクにコピーした(甲186ないし193。各枝番を含む)。被告らは、原告が、被告らの保管していたフロッピーディスクについて、原告がデータをコピーした上で他のフロッピーディスクに収録して、自ら保管していたフロッピーディスクと称し、証拠として提出することなどを懸念したが、原告が、原告において証拠として提出すべきフロッピーディスクを所持していない旨のC1の陳述書(甲185)を裁判所に提出していたことから、これを信用して原告が上記の各作業を行うことを了承した(平成15年10月10日付準備書面(被告第4)参照)。原告は、上記のような経緯であったにもかかわらず、一転して、「甲185で『これらのフロッピーディスクは回収してすべて廃棄しました』と述べたとおり、会社には何も残っていませんでしたが、R1、S1らが自宅に残していたものが見つかった」旨のC1作成の陳述書を提出し(甲250、3頁、同年9月9日の第2回口頭弁論期日)、原告提出のフロッピーディスク等を提出した(平成15年8月28日の第7回弁論準備手続期日)。
キ B6ないしB8に関するストーリー案等
 原告は、R1、S1、C2、D2作成のB6ないしB8に関するストーリー案等として甲207ないし210、215ないし216(枝番を含む。)を提出する。
 しかし、上記各証拠から認められるのは、上記各人がB6ないしB8に関してストーリー案等を作成したという事実であって(なお、上記各証拠に記載されたストーリー案は、B6ないしB8の内容とは基本的なストーリー、登場人物等が異なっている。)、C1がB6ないしB8を著作したとの原告の主張を裏付ける証拠とはいえない。
ク その他、原告提出の証拠を精査しても、原告の主張を認めるに足りる証拠はない。
(3) むしろ、証拠(乙10、20、22、23、27、34、50、被告D1本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
ア 被告D1は、昭和62年ころ、A13について劇団員から酷評を受けるなどしたことから、自分の方向性と劇団員の方向性が一致していないのではないかと考えるようになり、このころ、劇団音楽座を退団した。F1及びH1も、同じころ、劇団音楽座を退団した。
イ C1は、このころ、劇団音楽座を音楽座に改名し、原告を設立して音楽座を運営することとした。
 C1ないし原告のプロデューサーであったO1は、被告D1に対し、E2作「アルファケンタウリからの客」をミュージカルにするので、ぜひ演出を引き受けてほしい旨を申し入れた。被告D1は、同作品が、劇団音楽座時代から同被告においてミュージカル化したいと考えており、その旨提案したが実現できなかった作品であったことから、演出を担当することを承諾した。それ以降、平成8年までの間、被告D1は、B作品の上演に関与することとなった。
ウ 音楽座は、昭和63年から平成8年までの間、年1本の割合で新作のオリジナルミュージカルを上演した(ただし、平成6年は1年間にB6、B7の2本上演された。)。 
エ 音楽座が上演したオリジナルミュージカルの脚本(B作品)の製作経緯等は、概ね次のとおりであった。
(ア) B1
 B1は、当初、E1が脚本を執筆する予定であった。E1は、原作「アルファケンタウリからの客」を基に、初稿甲53(「青空の向こう側」と題されていた。)及び甲54を作成した。しかし、原作者であるE2は、E1の初稿を使用することに難色を示した。
 そこで、C1は、当初演出のみを依頼していた被告D1に対し、初稿を作成するよう依頼した。
 被告D1は、原作を基に、初稿甲55を作成した。被告D1は、原作の設定場面のほとんどが居酒屋やクラブなどの飲屋であったことから、ミュージカルのシーン展開には不適と考え、原作を何度も読んで作品のエッセンスだけを取り出し、喫茶店、遊園地や公園を用いてシーン展開させるなどした。原告は、被告D1が甲55を作成するに当たり、会議を設けた。C1は、同会議において、被告D1に対し、主人公の二人が出会うシーンを迷路にすることを提案し、被告D1は、初稿にこれを採り入れた。被告D1は、B1の初稿を作成して原告に提出した。なお、被告D1は、E1の作成した甲54を一度だけ読んだことがあった。
 出演者は、被告D1の作成した初稿に基づいて稽古を開始した。被告D1は、稽古の過程で、脚本を修正した。C1は、通し稽古と音楽稽古の際には稽古場に現われ、宇宙人や主人公の佳代の衣装について意見を述べた。被告D1は、稽古をしながら、できあがった曲の歌詞を作成した(B1に使用された曲のうち1曲は、被告D1以外が作成した。)。
(イ) B2
 原告は、被告D1に対し、E2作の小説「スピリッツガールはお年ごろ」を基にミュージカル脚本を執筆するよう依頼した。被告D1は、同小説を読み込んだが、脚本のアイディアが浮かばなかった。被告D1、C1、J1、L1らで、ストーリーについて話し合ったが、結局、同小説を原作にすることは無理であると判断した。上記話合いに参加した各人が、アイディアを考えて持ち寄ることになった。被告D1は、上記小説が幽霊を題材にしていることをヒントに、B2の内容(ファッションデザイナーが事故死して幽霊になってさまよい、若い男と出会って恋をし、1日だけ人間になって、生きるすばらしさを実感する。)を考えて、上記メンバーに話した。被告D1以外からは、「天国から来たチャンピオン」のミュージカル化などのアイディアが出された。上記話合いに参加していたメンバーは、被告D1のアイディアに賛成した。さらに、L1は、幽霊の出る時間が設定されていた方が面白いのではないかと提案し、被告D1は、これを採り入れることにした。
 被告D1は、以上のような話合いの後、初稿を作成した。同作品中の曲の歌詞のうち「はっきり言うと愛」の一部は、J1が手伝った。
(ウ) B3
 被告D1は、A8をリメイクして、初稿を作成し、原告に提出した。被告D1は、初稿提出後、同原稿を修正して、B3(甲73)を作成した。
(エ) B4
 原告は、被告D1に対し、福山庸治作「マドモアゼル・モーツァルト」を原作にミュージカル脚本を執筆するよう依頼した。原告は、被告D1に対し、まず、原作を読んでプロットを書いてくるよう求めた。
 被告D1は、平成3年4月1日ころ、原告に対し、コミック「マドモアゼル・モーツァルト」を基にしたミュージカルのプロット案(甲61。現代劇風のもの。)をファックスで送信した。また、E2も、原告に対し、コミック「マドモアゼル・モーツァルト」を基にしたミュージカルのプロット案(甲60)を提出した。
 被告D1は、その後、B4のシノプシス(乙38。モーツァルトの時代に合わせた時代設定になっている。モーツァルトの死後、妻のコンスタンツェがモーツァルトが女性だったことを告白する内容である点がB4と異なっている。)の作成を経て、B4(甲63)を作成した。
(オ) B3再演版
 原告は、I1に、B3の書き直しを委嘱し、I1は、B3に基づき、B3再演版の初稿を作成した。
(カ) B5
 被告D1は、コミック「坊ちゃんとその時代」やミュージカル「シティ・オブ・エンジェル」、夏目鏡子「漱石の思い出」等を参考に、B5の初稿(甲65。当初は「I am a 坊ちゃん」というタイトルが付されていた。なお、同原稿の表紙には、D1と記載されている。)を作成し、原告に提出した。同原稿には、曲が入る箇所を「M ○○」で特定してあり、歌詞又はそのコンセプトが記載されていた。同原稿には「ベースボールの歌」が記載されていなかったが、被告D1は、必要な資料を入手してから後日作成しようと考えていた。被告D1は、後日、甲65を修正し、甲66を作成した。
 C1とR1は、上記初稿(甲65)をそのまま稽古に使用せず、被告D1の作成した上記初稿に修正(シーンカットが中心で、分量的にも全体の10%程度であった。)を加えた。
 被告D1は、上記のように一部カットされた脚本を用いて稽古を行い、稽古中に一部脚本を修正した。被告D1は、「ベースボールの歌」を作成して脚本に挿入した。稽古中に、被告D1、R1又はS1が、甲65ないし甲66に被告D1が記載しておいたコンセプトに基づいて歌詞を作成した。  
(キ) B8
 被告D1は、昭和63年ころ、演劇集団「風」のミュージカル公演のために作成した脚本「星の王子さま」に基づいて、初稿(B8初演前原稿)を作成した。
 しかし、C1ないし原告のスタッフは、上記初稿をそのまま稽古に使用せず、被告D1から提出されたB8初演前原稿に修正(「箱の中のヒツジ」、「ハチミツ色の瞬間」、「アストラル・ジャーニー」、「黄金色の麦畑」、「水の魔法」、「Together」、「シャイニング・スター」の歌詞等を加筆。)を加えて、B8を作成した。
(ク) B6
 C1は、被告D1に、遠藤周作作「わたしが・棄てた・女」をミュージカルにすることを伝えた。被告D1は、同小説を原作として、脚本の作成を始めた。被告D1は、脚本が3分の1程作成したところで、C1に作成中の脚本を見せた。C1は、上記脚本が、原作に忠実ではなく、C1の考えているものと異なるとして、被告D1に対する脚本の執筆依頼を撤回した。
 その後、R1ないしC1が、B6を作成した。
 被告D1は、稽古中に、オリジナルの小説から脚本に入れた方がいいと思う部分を、挿入するなどの修正を行った。
 同作品において、初めて脚本の著作者として「D1」のほか、ワームホールプロジェクトが併記され、これ以降、B作品の再演を上演する際に、脚本の著作者として「ワームホールプロジェクト(D1ほか)」と表示されるようになった。
(ケ) B7
 被告D1は、知人の男性をモデルに、初稿(B7初演前原稿。乙37)を作成した。C1やO1は、この際、被告D1に対し、昭和の懐かしい日々を重ねた作品にしようと話すことがあった。
 被告D1は、B7初演前原稿をC1に示した。C1は、被告D1から提出されたB7初演前原稿に不満で、B7初演前原稿をそのまま脚本として使用しなかった。
 C1、被告D1、R1らが、上記B7初演前原稿に修正を加え、複数パターンの脚本を作成して役者に演じてもらうなどして、B7を作成した。B7には、B7初演前原稿の約40%がそのまま使われた。
 同作品においては、脚本の著作者として「ワームホールプロジェクト(D1ほか)」と表示された。
(コ) B8再演版
 C1ないし原告のスタッフは、B8ないしB8初演前原稿に基づいて、B8再演版を作成した。B8再演版には、B8初演前原稿の相当部分がそのまま使われた。
 同作品においては、当初、脚本の著作者として「ワームホールプロジェクト(D1ほか)」と表示されたが、後に「ワームホールプロジェクト」と表示された。
オ 音楽座の解散と被告ステップスの設立等
(ア) 音楽座は、平成7年11月ころ、C1が脱税事件で摘発されたのをきっかけに、解散することになった。
 被告D1は、C1の脱税事件と音楽座は関係がないとして、解散に不満を述べ、これ以降、原告から被告D1に対する脚本の執筆、演出等、音楽座の公演に関する仕事の委嘱はなかった。
(イ) 被告D1は、被告ステップスを設立した。
 O1は、被告D1の上記行為は、原告との間の契約に違反する行為であるとして抗議した。
 被告D1と原告は、弁護士を介して交渉し、平成8年7月ころ、原告は、被告D1が劇団音楽座時代の脚本を使用しないことを条件に、被告ステップスを運営することに異議を述べない旨合意した。原告と被告D1との間の専属契約については、原告が、C1の脱税事件の裁判が終わるまで交渉を延期することを求めたため、交渉は延期された。
(ウ) 原告は、平成9年にB6の第2演を、平成10年にB8の第3演を上演した。これらのパンフレットやポスターには、「脚本・演出 ワームホールプロジェクト」と表示された(甲129、133、134、283の1・2、284の1・2)。原告は、平成12年1月に、B5第3演を上演した。原告は、B5の上演を被告D1に伝えず、脚本の著作者についても、被告D1の氏名を一切表示しなかった。
 被告D1は、原告がB5を被告D1に無断で、しかも被告D1を著作者として表示することなく上演したことについて原告に抗議し、原告と被告D1との間で、平成13年1月ころから、著作権に関する交渉が再開された。
(エ) その後、原告及び被告ステップスは、次のとおり、本件作品の上演を行い、又は第三者に上演の許諾を行っている。
a 被告ステップスは、平成13年7月ころ、A13を「モダンガールズ」と題名を変えて上演した。なお、被告ステップスが題名を変更したのは、同年4月下旬ころであり、原告からの内容証明郵便が被告D1に送達された平成13年5月18日の前であった(乙42ないし48)。
b 原告は、同年11月9日、劇団岸野組に、A12の上演を許諾し、劇団岸野組は、同年11月28日から同年12月5日にかけて、A12を上演した。この際、ポスターやパンフレットには、「台本 劇団音楽座」と表示された(甲315、316、319ないし321)。
c 原告は、平成14年6月ころ、B2第4演を上演した(甲174、288の1)。
d 被告ステップスは、平成15年6月6日から同年7月16日にかけて、A13に係るミュージカルを上演した。
(4) 上記の認定事実に前記「前提となる事実」(前記第2、2)記載の事実を総合すれば、B1ないしB5、B7初演前原稿、B8初演前原稿の初稿を作成したのは被告D1であり、上記各作品は、被告D1が、C1や役者のアイディア等を採り入れ、補助を受けながら完成させたものであって、上記各B作品の著作者は被告D1と認められる。
 これに対して、上記各B作品の製作経緯におけるC1の関与は、@B1の原作を決定し、A被告D1がB1の初稿を作成するに際し、主人公の二人が出会うシーンを迷路にすることを提案し、BB1の稽古中に宇宙人や佳代の衣装について意見を述べ、CB2の原作を決定し、D被告D1がB2の初稿を作成するに際して会議を開いて自ら又は原告の社員がアイディアを提供し、EB3についてはA8をリメイクすることを決定し、FB4についてプロットを提出した少なくとも2名の中から被告D1に脚本を作成させることを決定し、GB5については、被告D1の作成した脚本を、シーンカット(全体の10%未満の分量に相当)するなどして修正したというものである。
 上記によれば、C1の、脚本作成への関与は、原作ないし企画の決定、脚本執筆者の決定、アイディアの提供、被告D1の作成した脚本の1割に満たない部分のシーンカット等であり、脚本の作成においては、極めて周辺的、補助的な関与にすぎないものであって、これをもってC1が上記各B作品(B1ないしB5、B7初演前原稿、B8初演前原稿)を著作したと認めることはできない。
 B6は、C1が、被告R1らと共に、被告D1が作成した書きかけ原稿を参考にして作成したものというべきである。
(5) 上記認定に用いた証拠の信用性等に関する原告の主張について
ア 原告は、被告D1の陳述書及び本人尋問における供述には、B1ないしB5、B7初演前原稿、B8初演前原稿の脚本の著作者でなければ分からない具体的事実に関するものが全くなく、原告の主張の焼き直しばかりであるから、このような陳述書及び供述の内容から、上記各B作品を被告D1が著作したと認めることはできない旨を主張する。
 そもそも、被告D1は、著作権法上、B1ないしB5及びB8の著作者、B6及びB7の著作者の一人と推定されるものであり、原告において、推定を覆してC1が著作者であることを立証すべき責任を負っていることは既に述べたとおりであるが、この点をひとまず措くとしても、音楽座の舞台装置デザイナーを務めたF2の陳述書(乙20)並びに被告D1の陳述書(乙10、22、23、27、34)及び本人尋問の結果は、いずれも、前記事実を認定するに十分なものである。原告の主張は失当である。
イ(ア) 原告の主張
 原告は、前記認定に用いた証拠のうち、特に、被告D1の陳述書及び証拠の信用性について、次のように主張する。
 被告らの主張が真実であれば、@被告D1が作成した初稿が証拠として提出されてしかるべきであるところ、被告D1は、当時使用していた紙媒体の原稿を全く提出していない、A被告らは、書きかけの原稿データが保存されているフロッピーディスク(検乙1ないし8)及び同データの一部をプリントアウトした乙24ないし26、35ないし38を提出するが、これらは、いずれもC1がデータを入力して被告D1に配布したフロッピーディスクないしこれをプリントアウトしたものであって(一部C1のあずかり知らないデータが入力されているが、当該部分は被告D1が改ざんした部分であると思われる。)、被告D1が作成した初稿ではない、B紙媒体の原稿を証拠として提出できない理由に関する被告D1の弁解は、原稿は町田の稽古場に置いてきたというものであるが、紙媒体の原稿を放置するということは経験則上あり得ない、C被告D1は、B1ないしB5は被告D1が、B6ないしB8はC1が著作したと供述するが、B作品は、B1からB8まで等しく多くの権威ある賞を受けているのであるのであって、B1ないしB5とB6ないしB8とで著作者が異なるというのは不合理である、D被告D1は、A1ないしA13、被告ステップスにおいて上演されたミュージカルの脚本、B1ないしB5はいずれも被告D1が著作した旨を主張するが、B1ないしB5は、多くの権威ある賞を受けているのに対し、A1ないしA13、被告ステップスにおいて上演された被告D1の脚本は全く賞を受賞しておらず、これらの作品が同一人の著作に係るものであるという被告D1の供述は不合理である、E被告D1は、A13について作成した甲47の1を劇団員に却下され、ハウ・ツウ・デイトの脚本担当を途中降板させられており、NHKの「おかあさんといっしょ」の構成作家といっても4、5分のコーナーを隔週で担当しているにすぎないから、その程度の被告D1の能力でB1ないしB5を著作したということは不合理である。
(イ) 上記A以外の点について
 上記@及びBについては、フロッピーディスクに原稿データが保存されており、上演台本が製本されている場合に、著作者が紙媒体で原稿を所持していないことは何ら不合理なことではない。C及びDについては、ミュージカル公演が賞を受けるかどうかは製作側の能力、資金力等によって異なり得るものであるし、受賞した作品か否かで作品の著作者の同一性を判断できるかのような見解は到底採用できない。Eについては、被告D1は、原告及び被告ステップス以外にも多数のミュージカル脚本を提供しているのであって、被告D1は、ミュージカル脚本作家として充分な能力を有していると認められる。
(ウ) 上記Aについて
 Aについては、そもそも、前述(前記3(2)カ)のとおり、原告提出のフロッピーディスクがその提出経緯に照らしても容易に信用できないものであるところ、加えて、次のとおりの事情が認められるのであって、これらの点に照らせば、被告らが提出した上記フロッピーディスク及びこれに保存されているデータをプリントアウトしたものが、被告D1ではなくC1が入力したものであるという原告の主張を認めることはできない。
a フロッピーディスクの形式面に関する原告の主張について
 原告の主張ないし原告提出の陳述書は、被告らの提出に係る上記フロッピーディスク内のデータをC1が作成したことの根拠として、次のような点を指摘する。@上記フロッピーディスクの中には、原告が所持しているフロッピーディスクとメーカー及び製造番号が同一のもの(検乙1及び4)、メーカーが同一で製造番号が近いもの(検乙2)が存在し、検乙5と検乙6は、互いにメーカー及び製造番号が同一である、A検乙5のラベルに「(控)」の記載がある(甲190の1)、B被告D1は、甲65に「I am 坊ちゃん」と記載しているのに、検乙2のラベルには「I Love 坊ちゃん」と記載されている、C上記各フロッピーディスクのラベルの文字はR1、G2、N1など、原告社員が記載した。また、被告D1が、上記フロッピーディスクの中データを改ざんしている旨の主張の根拠として、D検乙7に入力されている被告ステップス用の脚本の日付が、被告ステップス設立前の平成6年6月16日となっていること、などを指摘する。
 しかしながら、上記@ないしBについては、前記認定事実と何ら矛盾なく説明できる事柄ばかりであって、かつ、いずれも上記フロッピーディスクの中のデータをC1が作成したことを示唆するものではない。Cについては、ラベルの文字を記載した人物は明らかでないが、仮に原告主張のように原告の従業員がラベルを記載したとしても、当時、被告D1は原告の従業員らに対し、脚本又は書きかけの原稿を提供していたのであるから、不自然ということはない。上記Dについては、甲350の1、2によれば、検乙7の入力に用いられたキャノワードは、文書を新規入力したときは新規入力の際の日付で文書が保存されるが、上書保存する場合は従前の日付で保存され、日付を変更したい場合には文書目録画面を呼び出して別途操作する必要があるところ、被告D1は、基本的に既存の文書に上書する形で文書を入力していたというのであるから、被告ステップス用の文書が、被告ステップス設立前の日付になっていても不合理ではない。
b フロッピーの内容面に関する原告の主張について
 原告は、各フロッピーディスクの内容に着目して、次の点を指摘して、各フロッピーディスクに保存されたデータを作成したのは被告D1ではなくC1である旨主張するが、次のとおり、原告の主張を認めることはできない。
@ 検乙5(B1関係)
 原告は、検乙5に保存されている原稿(乙35、甲190の4)は、初演原稿とは異なっており、第4演の上演台本(甲233)に近いものであるところ、被告D1が検乙5に保存されているのは初演原稿である旨述べていると主張する。しかし、被告D1は、「再演のときとかに、その脚本に上書きしていったりしてますので、初演のほうの分はフロッピーには残ってません。」(被告D1本人尋問調書74頁)と供述しているものであって、被告D1が検乙5に保存されているのは初演原稿である旨述べた事実はない。
A 検乙3(B2関係)
 原告は、検乙3に保存されている原稿(乙24、甲188の4)は、一つの画面を上中下段に3分割した縦書きの書式、同横書きの書式、分割していない横書きの書式等複数の書式になっており、また、2演において「耕治」が「光司」に変更されたところ、同フロッピーディスクの中の原稿では「耕治」のままになっているところ、上記3分割の書式は、C1が考えついたものであり、入力困難なもので、被告D1が単独で入力することはできない、単独で著作したのに書式が異なるのは不自然である、「耕治」が「光司」に変更されないままになっている部分が残っていることは、C1による著作を示すものである旨主張する。
 しかし、被告D1の供述及び甲352によれば、NHKが一つの画面を上中下段に3分割した書式を使用しており、被告D1がNHKの仕事の際にこれを見て、参考にして使用したものであると認められる。書式が異なる点についても、被告D1の供述によれば、被告D1は、作成する際には横書きで入力し、原告に提出するためにプリントアウトする際には書式を縦書きに変更していたと認められる。また、被告D1が、作成の際に3分割の書式を使わずに入力した部分もあったとしても何ら不自然ではない。「耕治」が「光司」に変更されないままになっている部分が残っていることについても、このことがC1による著作を示すものであるとの原告の主張は採用できない。
B 検乙6(B3関係)
 原告は、検乙6に保存されている原稿(乙36、甲191の4)は、甲228の原稿に加えられた修正を反映していることをもって、検乙6は、原告が入力して被告D1に配布したものである旨主張する。しかし、被告D1の供述によれば、被告D1は、初稿を原告に提出した後、自ら又は原告の社員らによる修正が加えられた際に、初稿のデータに上書していったと認められるのであって、検乙6に入力されたデータが、甲228の修正を反映していることは何ら不自然ではない。
 また、原告は、甲229は、初演終了後、2演に向けて修正する過程のものであるところ、被告D1は、甲229を初演段階の脚本であると述べているから、被告D1の供述は信用できない旨主張する。しかし、被告D1は、その後、甲229には、2演から登場したレプリカチャイルドやゴルフのシーンがないので、初演段階のものと思ったが、初演終了後のレプリカチャイルド等が未だ挿入されていない原稿である可能性もある旨述べている(被告D1本人尋問調書99ないし100頁)のであるから、原告の主張は当たらない。
C 検乙4、検乙8(B4関係)
 原告は、検乙4に保存されている原稿を、初演脚本(甲63)をたたき台として第2演(再演)に向けて作成される途中の段階の原稿(稽古用脚本)であるところ、被告D1は、同原稿を「再演脚本である甲64の手前のバージョンの原稿データ」である旨述べており、被告D1の上記供述は、上記事実と符号しない旨主張する。
 原告の主張の趣旨は必ずしも明らかでないが、「2演稽古用脚本」は、「2演上演用脚本(甲64)の手前のバージョンの原稿」とは異なるものであるとの前提で主張しているものと善解できる。しかし、「2演稽古用脚本」を「2演上演用脚本(甲64)の手前のバージョンの原稿」と表現することは何ら不自然ではないから、原告の主張は当たらない。
 原告は、被告D1らが提出した検乙8に保存されている原稿(甲193の4)は、原告が所持しているフロッピーディスクに保存された原稿(甲227の3)を修正、発展させたものであり、これは、C1が検乙8に保存されている原稿を作成したことを示すものである旨主張する。しかしながら、被告D1の供述によれば、被告D1は、B4の初稿を原告に提出し、その後このデータに上書するなどして修正を加えていったというのであるから、被告D1が、原告の所持する原稿データをさらに修正したデータを所持していることは何ら不自然ではない。
D 検乙7(B7関係)
 原告は、被告D1が所持していた検乙7に保存されていた原稿(乙37、甲192の4)が上演台本(甲70)に近い内容であり、原告が所持していた検甲11に保存されている原稿(甲211)は甲70と比較的内容が異なることから、むしろ、甲211、乙37、甲70と変更されたと見るべきであって、乙37は甲70の初稿とは考えられない旨主張する。しかしながら、乙37と甲211の作成の前後関係は明らかでなく、原告の主張は当たらない。
ウ 上記のとおり、前記認定に用いた証拠は信用できない旨の原告の主張は、いずれも失当である。
4 証拠(甲70、71、73、甲228ないし231、乙37、乙49)及び弁論の全趣旨によれば、B3再演版とB3、B7とB7初演前原稿、B8再演版とB8初演前原稿とは、それぞれ、基本的な筋立て、登場人物等を同じくするものであり、B3再演版、B7、B8再演版は、それぞれ、B3、B7初演前原稿、B8初演前原稿を基にして修正を加えたものと認められるから、B3、B7初演前原稿、B8初演前原稿の二次的著作物というべきである。
5 結論
 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の第1事件本訴請求に係る訴えのうち、別紙1「脚本目録」作品番号欄A14、B6ないしB8記載の脚本の著作権確認に係る部分は、確認の利益を欠くものとして不適法であり、第1事件本訴請求における原告のその余の請求及び第2事件における原告の請求はいずれも理由がなく、被告らの第1事件反訴請求はいずれも理由がある。よって、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第46部
 裁判長裁判官 三村量一
 裁判官 青木孝之
 裁判官 吉川泉


別紙1
脚本目録
  作品番号 作品名 作成時期


A1 おとぎばなし 昭和52年
A2 情話大江戸恋泥棒 同年
A3 英雄(ヒーロー) 昭和53年
A4 ヴェローナ物語 同年
A5 森林幻想曲 昭和54年
A6 小林さん宅のお引っ越し 同年
A7 組曲楽園 昭和55年
A8 さよならゲーム 同年
A9 闇夜の祭り 昭和56年
A10 現代ウソップ物語 同年
A11 バイバイメモリー 昭和57年
A12 覗きからくり遠眼鏡 昭和58年
A13 夢の降る街 昭和62年
A14 昨日からの贈り物 昭和62年


B1 シャボン玉とんだ宇宙までとんだ 昭和63年
B2 とってもゴースト 平成元年
B3 チェンジ 平成2年
B3再演版 チェンジ 平成4年
B4 マドモアゼル・モーツアルト 平成3年
B5 アイ・ラブ・坊ちゃん 平成4〜5年
B6 泣かないで 平成6年
B7初演前原稿 ホーム 同年6〜7月
B7 ホーム 同年
B8初演前原稿 星の王子さま 平成5年2月
B8 星の王子さま−リトルプリンス− 平成5年
B8再演版 星の王子さま 平成7年

別紙2
A作品製作経緯に関する原告の主張
1 A1(おとぎばなし)
 まず、劇団員全員の話合いで、「病気の女の子をそれぞれが見舞いに行き、それぞれ得意なことをやって元気づける。最初と最後に同じ歌を歌う。」というあらすじを決定した。各場面ごとの出演者が、上記あらすじに沿って、即興で得意なことを披露しながら、各場面ごとに脚本を作成した。
 各場面ごとの脚本ができあがった後、全体をつなげた通し脚本を作成した(甲33)。このような通し脚本を作成したのは、照明の暗転・明転や演奏開始のきっかけに用いるためであった。各役者については、全体を通した脚本を作成せず、甲32の1のような本を作成しただけであった。
 その後、通し稽古をしながら、劇団員全員で脚本の一部をカットするなどした。また、劇団員全員で、スジの運びをわかりやすくするために、各場面のはじめに口上の台詞を入れるなどの修正をした。
 同作品作成当時、主要な劇団員は、被告D1、F1、Q1、V1(以下「V1」という。)、G1、W1、L1の7名であった。
2 A2(情話大江戸恋泥棒)
 劇団員全員の話合いで、「和物のミュージカルで女鼠小僧が登場するような演目にする、盗人団を登場させる、箱入り娘で家から出してもらえない娘を盗人団が家の外に連れ出す、その箱入り娘がアメリカに行く結末にする」というあらすじを決定した。各場面ごとの出演者が、上記あらすじに沿って、各場面ごとに脚本を作成した。
 各場面ごとの脚本ができあがった後、全体をつなぎあわせた脚本を作成した(甲34)が、このような脚本を作成したのは、照明の暗転・明転や演奏開始のきっかけに用いるためであった。
 通し稽古をしながら、客演のJ1が変態若旦那の台詞など、脚本に変更を加えた。また、客演のH1が、スジの運びをわかりやすくするために、口上の台詞を入れるなどの修正をした。
 同作品作成当時、劇団員は、被告D1、G1、F1、Q1、W1(以下「W1」という。)、V1、L1の7名で、本作品には、客演として、H1、J1(以下「J1」という。)、N1の3名が参加した。
3 A3(英雄(ヒーロー))
 A3は、マイムを重ねながらシーンを作り、シーン毎に出演者が脚本の内容を創作したが、文書化はしなかった。被告D1は、看守の役で出演しており、看守役が登場するシーンについては他の劇団員と共同して脚本の内容を作成したが、脚本全体を単独で作成したことはない。演出担当者であったJ1が、各シーンをつなぎ合わせて全体をまとめた。内容は、刑務所の10周年を記念したイベントに囚人が減刑をかけて劇中劇を行うというものであった。
 同作品作成当時、劇団員は、被告D1、G1、F1、L1、Q1、W1、V1、N1、H1、U1(以下「U1」という。)、E1、J1の12名であった。
4 A4(ヴェローナ物語)
 被告D1は、A4の初稿を作成したと主張するが、被告D1が初稿を作成した事実はない。A4作成当時、主要な劇団員は、被告D1、F1、Q1、G1、N1、L1、H1、E1の8名であった。
 なお、被告D1の関与態様につき、原告は、当初は、次のように主張をしていたが、その後、上記のとおり、主張を変更したものである。
 A4は、まず、被告D1がたたき台稿を作成した(同たたき台稿は、台詞や歌詞のない部分も多かった。)。もっとも、D1のたたき台稿作成の前に、劇団員全員の話合いがなされ、その際に出た、「モリエールやシェークスピアならこの劇場の雰囲気に合う」(J1)、「ロミオとジュリエットが死なない話はどうか」(D1)、「それだったら、ドン・ジュアンも死なないのはどうか」(L1)などの意見が出されており、被告D1のたたき台稿は、この話合いに基づいて作成されたものである。被告D1のたたき台稿作成後、各場面の出演者たちは、D1の作成したたたき台稿を材料にして、台詞を作り、立ち稽古をしながら歌詞、エピローグ、プロローグを入れて脚本(甲37)を作成した。被告D1は、スガナレルの役で出演しており、スガナレルが登場するシーンについては他の劇団員と共同して脚本の内容を作成したが、脚本全体を単独で作成したことはない。
5 A5(森林幻想曲)
 A5は、まず、被告D1がたたき台稿を作成した。もっとも、被告D1のたたき台稿作成の前に、劇団員全員の話合いがなされ、「『オズの魔法使い』(同作品を土台にすることは被告D1の提案)のドロシーを青年にして、旅の途中でさまざまな登場人物に出会い、現代の若者の精神的自立を描く」ということが決定した。被告D1のたたき台稿は、この話合いに基づいて作成されたものである。
 被告D1のたたき台稿作成後、各場面の出演者たちは、D1の作成したたたき台稿を材料にして、自分が配役された登場人物をふくらませて、各シーン毎に脚本を作成した。各出演者の作成した脚本を手分けしてつなぎ合わせたものが甲355、356、39である。甲355、356は甲39より前に作成されたものであり、H2(以下「H2」という。)、E1、I2(以下「I2」という。)、F1及びL1が手分けして清書した。甲39は、H2、E1、I2、F1、L1及びG1が手分けして清書した。
 同作品作成当時、劇団員は、G1、L1、Q1、N1、H1、U1、E1、J1、被告D1(演出担当)及びF1(作曲担当)10名であった。
6 A6(小林さん宅のお引っ越し)
 A6は、まず、被告D1がたたき台稿を作成した。もっとも、被告D1のたたき台稿作成の前に、劇団員全員の話合いがなされ、「現代劇風にする」ということが決定した。被告D1のたたき台稿は、この話合いに基づいて作成されたものである(なお、被告D1は、ジョエル・リーバーの「MOVE」を参考にして上記たたき台稿を作成したと述べていた。)。
 被告D1のたたき台稿作成後、配役を決定し、各場面の出演者たちは、被告D1の作成したたたき台稿を材料にして、稽古をしながら脚本を作成した。各出演者の作成した脚本を手分けしてつなぎ合わせたものが甲358、40である。
 その後、立ち稽古をしながら、甲40をさらに修正して脚本が完成した。
 同作品作成当時、劇団員は、G1、Q1、N1、H1、U1、E1、被告D1及びF1の8名であった。
7 A7(組曲楽園)
 A7は、まず、被告D1がたたき台稿を作成した。もっとも、被告D1のたたき台稿作成の前に、劇団員全員の話合いがなされ、「人生に懐疑的な王様のもとに旅の一座が来て劇中劇を繰り広げて励ます」という内容(被告D1提案)のオムニバス形式にする、各作品を「生命」をキーワードにしてつなげる、各作品は様々な演劇のスタイル(仮面劇、オペラ、バレエ組曲、歌入り芝居、劇)とし、プロローグとエピローグで挾むサンドイッチ方式にするということが決定した。被告D1のたたき台稿は、この話合いに基づいて作成されたものである(本訴提起後、被告D1の作成した同たたき台稿のうち「メランコリーの妙薬」はレイ・ブラッドベリ作「メランコリーの妙薬」に、「ノアのカップル」はレイ・ブラッドベリ作「いちご色の窓」に類似点が相当あったことが判明した。)。
 被告D1のたたき台稿作成後、各場面の出演者たちは、D1の作成したたたき台稿を材料にして、稽古をしながら脚本を作成した。各出演者の作成した脚本を手分けしてつなぎ合わせたものが甲41である(甲41のうち、前掲「メランコリーの妙薬」、「いちご色の窓」に酷似している部分は、いずれも被告D1の作成したたたき台稿から採用された部分である。)。
 同作品作成当時、劇団員は、G1、Q1、N1、H1、U1、E1、被告D1及びF1、L1、J1の10名であった。
8 A8(さよならゲーム)
 A8は、まず、被告D1がたたき台稿を作成した。もっとも、被告D1のたたき台稿作成の前に、劇団員全員の話合いがなされ、「多元世界(パラレルワールド)」の発想でストーリーを作成する(被告D1提案)ということが決定した。被告D1のたたき台稿は、この話合いに基づいて作成されたものである。上記たたき台稿には、歌詞、テレビのシーン、CMのシーンがなかった(第1事件本訴提起後、被告D1の作成した同たたき台稿が、ジャック・フィニー作「夢の10セント銀貨」にストーリー、台詞の相当部分が類似していることが判明した。)。
 被告D1のたたき台稿作成後、各場面の出演者たちは、被告D1の作成したたたき台稿を材料にして、稽古をしながら脚本を作成した。各出演者の作成した脚本を手分けしてつなぎ合わせたものが甲42である。甲42は、H2、I2、L1、H1及びJ1らが手分けして清書し、頁数はJ1が通して記載している。
 同作品作成当時、劇団員は、Q1、N1、H1、U1、E1、L1、J1、被告D1の8名であった。
9 A9(闇夜の祭)
 A9は、まず、被告D1がたたき台稿を作成した。もっとも、被告D1のたたき台稿作成の前に、劇団員全員の話合いがなされ、「レイ・ブラッドベリ作『何かが道をやってくる』を題材にする、街にカーニバルがやってきて、華やかで人々をわくわくさせる筈のカーニバルは実は悪の温床である、鏡の迷路、ミラーハウスで年老いた姿を目の当たりにさせ、魂と引き替えに回転木馬で若返りを約束する」という内容が決定した。被告D1のたたき台稿は、この話合いに基づいて作成されたものである。上記たたき台稿には、歌詞は記載されていなかった。
 被告D1のたたき台稿作成後、各場面の出演者たちは、被告D1の作成したたたき台稿を材料にして、稽古をしながら脚本を作成した。各出演者の作成した脚本を手分けしてつなぎ合わせたものが甲43である。甲43は、H2、E1、L1、H1、J2、K2、N1、G1及びもう1名が手分けして清書した。このように多数人により手分けして清書されていることからも、共同して作成されたものであることは明らかである。
 同作品作成当時、劇団員は、G1、Q1、N1、H1、U1、E1、L1、J1、被告D1の8名であった。
10 A10(現代ウソップ物語)
 A10は、オムニバス形式であるところ、被告D1が、「クリスタルックのカップル」、「老人とバイオリン」のたたき台稿を作成し、E1が「白服の男達」のたたき台稿を作成した。もっとも、被告D1及びE1のたたき台稿作成の前に、劇団員全員の話合いがなされ、「軽く、ウィットに富んだものにする、『嘘』をテーマにオムニバス形式にする」ということが決定した。被告D1及びE1のたたき台稿は、この話合いに基づいて作成されたものである(本訴提起後、被告D1の作成した「クリスタルックのカップル」のたたき台稿は、O・ヘンリー作「桃源郷の短期滞在客」に相当部分類似していることが判明した。)。
 被告D1及びE1のたたき台稿作成後、各場面の出演者たちは、被告D1及びE1の作成したたたき台稿を材料にして、稽古をしながら脚本を作成した。立ち稽古に入った後、被告D1、Q1及びU1の3人でプロローグ及びエピローグの「ウサギとカメ」の話を作成した。各出演者の作成した脚本を手分けしてつなぎ合わせたものが甲44である。甲44は、H1、J1、L1、H2、L2、N1、X1、M2及びE1が手分けして清書したものである。このように多数人により手分けして清書されていることからも、共同して作成されたものであることは明らかである。
 同作品作成当時、劇団員は、Q1、N1、H1、U1、E1、L1、J1、被告D1及びF1の9名であった。
11 A11(バイバイメモリー)
 A11は、まず、被告D1、J1及びE1の3人が脚本チームとして脚本作りを担当した。しかし、たたき台稿は、稽古開始までに中途までしか完成しなかった(本訴提起後、同たたき台稿は、ビリー・ワイルダー監督・脚本、ジャック・レモン主演「恋人よ帰れ!我が胸に」という映画に類似していることが判明した。)。
 各場面の出演者たちは、未完成のたたき台稿を材料にして、稽古をしながら脚本を作成した。各出演者の作成した脚本を手分けしてつなぎ合わせたものが甲45である。甲45は、J1、L1、H2、N1、M2、E1ほか2名が手分けして清書し、J1がとりまとめたものである。このように多数人により手分けして清書されていることからも、共同して作成されたものであることは明らかである。
 同作品作成当時、劇団員は、Q1、N1、H1、U1、E1、L1、J1、G1、F1、被告D1の10名であった。
12 A12(覗からくり遠眼鏡)
 A12は、A2(情話大江戸恋泥棒)のリメイクである。A12では、まず、被告D1及びN1らがたたき台稿を作成した。もっとも、被告D1のたたき台稿作成の前に、劇団員全員の話合いがなされ、「幕末の時代設定にする(N2提案)、『ええじゃないか』や近代型の鉄砲の売買をめぐる悪徳商人の暗躍を盛り込む、登場人物のその後を口上が語る」という内容が決定した。被告D1及びN1のたたき台稿は、この話合いに基づいて作成されたものである。
 被告D1及びN1のたたき台稿作成後、各場面の出演者たちは、被告D1の作成したたたき台稿を材料にし、「幕末太陽伝」、今村昌平監督の映画「ええじゃないか」、を参考にして、稽古をしながら脚本を作成した。各出演者の作成した脚本を手分けしてつなぎ合わせたものが甲46である。甲46は、H1、L1、H2、N1、L2、O2(以下「O2」という。)ほか1名が手分けして清書したものをJ1がとりまとめたものである。このように多数人により手分けして清書されていることからも、共同して作成されたものであることは明らかである。
 同作品作成当時、劇団員は、Q1、N1、H1、U1、E1、L1、J1、F1、被告D1の9名であった。
 なお、劇団岸野組がA12を上演する際には、原告が脚本の著作物使用料として15万円を、F1が音楽の使用料として15万円を受け取っている。
13 A13(夢の降る街)
 A13は、まず、被告D1及びN1らが、昭和61年12月までにたたき台稿(甲47の1)を作成した。しかし、劇団員が、同たたき台稿を酷評したことから、被告D1が再度作成し直すことになったが、被告D1はたたき台稿第2稿を作成しなかった。劇団員は、稽古をしながら脚本を作成した。各出演者の作成した脚本を手分けしてつなぎ合わせたものが甲47の2である。
 同作品作成当時、劇団員は、Q1、N1、H1、U1、E1、L1、J1、F1、被告D1の9名であった。
 なお、F1は、A13の脚本の著作権が原告にあることを前提に、被告ステップスのA13の上演に抗議している。また、被告D1が代表取締役を務める被告ステップスは、平成13年7月にA13の公演を予定していたところ、原告が、同年5月18日到着の内容証明郵便で原告の著作権を侵害するものであると警告した後、急遽同作品の題名を「モダンガールズ」と変更して上演した。原告は、このため、被告ステップスの公演がA13の著作権を侵害するものであることを知り得ず、公演を差し止めることができなかったものである。上記のような題名の変更は、被告D1において、A13の著作権が原告に帰属することを自認する行動である。
 なお、原告は、当初は、次のような主張をしていた。
 A13は、まず、被告D1及びN1らが、昭和61年12月までにたたき台稿(甲47の1)を作成した。しかし、劇団員が、同たたき台稿を酷評したことから、被告D1が再度作成し直し、昭和62年1月にたたき台稿第2稿を作成した。もっとも、このたたき台稿第2稿には未完成の部分もあった(本訴提起後、被告D1の作成した同たたき台稿は映画「心の旅路」に類似しており、たたき台稿第2稿は斉藤憐の戯曲「バーレスク1931」に相当部分が類似していることが判明した。)。
 被告D1のたたき台稿第2稿作成後、各場面の出演者たちは、被告D1の作成したたたき台稿第2稿を材料にして、稽古をしながら脚本を作成した。各出演者の作成した脚本を手分けしてつなぎ合わせたものが甲47の2である。
 同作品作成当時、劇団員は、Q1、N1、H1、U1、E1、L1、J1、F1、被告D1の9名であった。
 なお、F1は、A13の脚本の著作権が原告にあることを前提に、被告ステップスのA13の上演に抗議している。また、被告D1が代表取締役を務める被告ステップスは、平成13年7月にA13の公演を予定していたところ、原告が、同年5月18日到着の内容証明郵便で原告の著作権を侵害するものであると警告した後、急遽同作品の題名を「モダンガールズ」と変更して上演した。原告は、このため、被告ステップスの公演がA13の著作権を侵害するものであることを知り得ず、公演を差し止めることができなかったものである。上記のような題名の変更は、被告D1において、A13の著作権が原告に帰属することを自認する行動である。
(被告ら)
 被告ステップスは、平成13年7月に、A13を「モダンガールズ」との題名で上演したが、題名の変更は、創作上及びファンへのアピールの観点から、原告からの警告書到着前に決定していたものであって、原告からの警告を受けて変更したものではない(同年5月11日には「モダンガールズ」の題名が印刷された公演チラシが被告ステップスに納品されている。)。なお、原告は題名を変更したため、被告ステップスの公演がA13の著作権を侵害するものであることを知り得ず公演を差し止めることができなかったと主張するが、「モダンガールズ」の公演チラシ(乙44)には、作品のストーリーや登場人物も記載されていたから、「モダンガールズ」をA13とは別の作品と誤信した旨の原告の主張は不自然である。原告は、平成13年7月の上演がA13の上演であることを知っていながら、これを黙認していたものというべきである。
14 A14(昨日からの贈り物)
 A14は、まず、E1が、A10(現代ウソップ物語)の「白服の男たち」を土台にしてたたき台稿を作成した(同たたき台稿は製本された。)。
 E1のたたき台稿作成後、各場面の出演者たちは、E1の作成したたたき台稿を材料にして、稽古をしながら脚本を作成した。E1の作成したたたき台稿に各出演者による変更を加えていったものが甲48である。
 同作品作成当時、劇団員は、Q1、N1、E1、L1、J1、U1の6名であった。

別紙3
B作品の製作経緯に関する主張
1 B1(シャボン玉とんだ宇宙までとんだ)
(原告)
 N1らがE2作「アルファケンタウリからの客」をミュージカルにすることを提案してきたことによる。C1は、「アルファケンタウリからの客」をミュージカルにするというN1らの意見を採用した。E1が、C1に対し、「アルファケンタウリからの客」を前提とした脚本の書き起こし原稿として「青空の向こう側」と題する原稿を提出した。
 C1は、E2作「アルファケンタウリからの客」及びE1作「青空の向こう側」を基に、シーン構成を組立てた。
 上記のようなC1の着想、シーン構成は、昭和62年10月から同年12月までの間になされた。この間、被告D1は、劇団音楽座を退団し、原告に参加していなかったのであるから、被告D1は、上記過程に一切関与していない。
 C1は、その後、ワームホールプロジェクトを招集した。また、C1は、同年12月ころ、劇団音楽座を退団した被告D1にB1の演出担当を依頼した。
 C1は、ワームホールプロジェクトの会議を重ねることによって脚本(準備稿)を創作した。C1は、脚本創作の過程で、被告D1に対し、C1が考えたB1のテーマ、シーン構成、キャラクター設定等を詳細に説明して、同説明を文書化することを指示したことがあったが、被告D1は、文書化の作業を行わなかった。C1が、被告D1にこのような指示をしたのは、被告D1の演出担当としての理解を深める目的であった。
 C1は、準備稿に基づいて立ち稽古をさせ、立ち稽古において出てきた意見を聞くなどして脚本を修正し、上演台本を完成させた。
 B1の脚本の作成過程は上記のとおりであり、被告D1は、補助者としてさえも脚本の創作に関与したことはなかった。
(被告ら)
 N1らが、C1に、E2作の「アルファケンタウリからの客」をミュージカル化することを提案した経緯は知らない。なお、被告D1は、劇団音楽座時代に、同作品をミュージカル化したいと考え、E2と連絡をとり、劇団員に提案したが、劇団員の賛成を得られなかったために断念し、これを機にE2との交流が始まったという経緯があった。
 E1が、提案原稿を提出したが、不採用になった。被告D1は、当初、演出担当として参加する予定であったが、C1から脚本を書くように依頼された。被告D1は、原作の小説に基づいて甲55を創作した被告D1は、甲55の作成過程におけるシーン割りの段階で、C1と意見交換をしたことがあり、この際、冒頭の迷路のシーンをC1が発案したかもしれないが、シーン割りにおけるC1の関与は上記の程度である。被告D1は、甲55を作成する際に甲54を参考にしたことはない。甲54がいつ作成されたものかも知らない。
2 B2(とってもゴースト)
(原告) 
 B2は、C1が、ウォーレン・ビーティー主演の映画「天国から来たチャンピオン」からヒントを得て着想した。C1は、主人公を女性とし、そのキャラクターは、山崎豊子作の小説「女の勲章」の主人公を参考に設定した。また、「天国から来たチャンピオン」にはない、オリジナルのガイド役を設定した。
 C1は、ワームホールプロジェクト会議を招集し、会議においてシーン構成、登場人物、キャラクター設定、ストーリー等を決定した。C1は、上記決定内容に基づいて、J1にとりまとめ原稿を作成させた。このプロジェクト会議は、平成2年6月1日から同月11日までの間に開催されたが、この間、被告D1は、B1の公演の演出を担当していたため、同プロジェクト会議に参加しなかった。
 C1は、被告D1に対し、C1が考えたB2のシーン構成、登場人物、キャラクター設定、ストーリー等を詳細に説明して、J1が作成した上記とりまとめ原稿を文書化することを指示し、被告D1は、これを文書化した。これが甲57である。
 C1は、上記原稿に基づいて立ち稽古をさせ、立ち稽古において出てきた意見を聞くなどして脚本を修正し、上演台本を完成させた。
(被告ら) 
 B2は、企画の当初から幽霊の話にしようという前提があったことは事実である。しかし、企画の段階で決まっていたのはその程度のものであった。
 その後、被告D1が具体的なストーリーを考えた。被告D1がメンバーの前で話した際に、メンバーから「幽霊が見える時間を限定しては」等のアイディアが出された。
 被告D1は、既に考えていた上記ストーリーやメンバーから出されたアイディアのいくつかを使って脚本を作成した。
3 B3(チェンジ)
 B3は、C1が、A8からヒントを得て着想した。
 C1は、被告D1及びL1に対し、C1が考えた脚本内容を口述し、同人らがこれを文書化した。
 C1は、上記原稿に基づいて立ち稽古をさせ、立ち稽古において出てきた意見を聞くなどして脚本を修正し、上演台本を完成させた。
 なお、原告は、訴状の段階では、B3について次のように主張していた。
 B3は、A8のリメイクであり、被告D1が提案原稿を作成したが、音楽座ミュージカル独特の雰囲気が乏しく、観客の反応もあまり芳しくなかった。原告は、翌平成4年、9月ころから、B3(再演版)に係るミュージカルを上演した。B3(再演版)については、I1をワームホールプロジェクトのメンバーとして参加させ、C1が、同人の補助を得て、脚本を作成した。B3(再演版)については、被告D1は一切関与していない。
(被告ら) 
 原告は訴状においては、B3を被告D1が作成したことを認めている(訴状22頁)。
 B3(再演版)は、I1が、被告D1が作成したB3に依拠して作成したもので、B3とB3(再演版)は実質的に類似している。B3(再演版)はB3の二次的著作物である。
4 B4(マドモアゼル・モーツァルト)
 B4については、テレビ局が、モーツァルト没後200年を記念して、モーツァルトを題材にしたミュージカルの企画を、原告に提案した。フジテレビ側から、福山庸治作のコミックス「マドモアゼル・モーツァルト」を参考にすることを提案され、C1は、これを承諾した。C1は、B4についても、ミュージカルを企画する段階で、作品決定、シーン構成、脚本企画を頭の中で具体的に描いていた。
 C1は、その後、ワームホールプロジェクトを招集して、上記企画内容を説明して討議した。C1は、ワームホールプロジェクトメンバー全員に、自らが採用した内容に基づいてプロットを作成してくるよう指示した。
 ワームホールプロジェクトメンバーのうちE2、L1、J1、被告D1の4人が、各自が作成したプロットを提出した。しかし、C1は、いずれも、自己が表現したいテーマとは異なることを理由に採用しなかった。
 C1は、自ら、シーン構成、準備稿を作成した。この準備稿はJ1が文書化し、被告D1がワープロ打ちの約6分の1を担当した。この段階では、「モーツァルトの死は偽装であった」とのストーリーになっていた。
 なお、原告は、訴状の段階では、B4について次のように主張していた。C1は、ワームホールプロジェクトメンバーに説明し、討議し、B4の内容を採用決定した。C1は、被告D1に、C1が採用した内容に基づいてたたき台原稿を作成するよう指示した。被告D1は、提案原稿を作成してC1に提出した。しかし、C1は、同原稿の内容がはかばかしくなかったことから、被告D1に対し、研究生と立ち稽古をしながら提案原稿を組立てるように再度指示した。被告D1は、研究生を使って立ち稽古しながら提案原稿を作成した。被告D1の作成した提案原稿を、J1が集約した。C1は、上記原稿に基づいて立ち稽古をさせ、立ち稽古において出てきた意見を聞くなどして脚本を修正し、上演台本を完成させた。この作業は、J1が文書化作業を担当した。被告D1は、B4においては演出担当であったから、本読みが行われた後は、脚本の作成に関してはC1の補助すら行っていない。ただし、C1は、脚本のうち、「モーツァルトの死は偽装であった」との部分を変更しようと考えていたが、被告D1は、演出担当として当該ストーリーに固執していたので、C1は、当該部分の変更を、ゲネプロ終了後まで待つことになった。C1は、ゲネプロ終了後、被告D1を除くワームホールプロジェクトメンバーを招集して脚本のストーリーを「モーツァルトの死は謎である」というストーリーに変更した。
(被告ら)
 B4は、被告D1が、研究生と立ち稽古をしながら作成したものである。研究生を使って立ち稽古しながら作成する形をとったのは、当時、被告D1が外部以来の「ハウ・ツー・デイト」の仕事で多忙であったため、皆で話し合って決めたことであって、C1個人に指示されたわけではない。J1による集約作業などはなかった。ゲネプロ後にラストシーンの大きな変更があったということはない。
5 B5(アイ・ラブ・坊ちゃん)
 C1は、B5について、平成3年10月のミュージカルを企画する段階で、漱石作品にすることを提案、決定し、シーン構成を創作した。C1が漱石作品を題材にすることを着想した背景には、夏目漱石は、松山市にゆかりがあり、当時、音楽座の看板女優であったP2が松山市に本店をもつ伊予銀行のイメージキャラクターとして採用されていたことなども影響していた。
 C1は、同年11月、被告D1を含むワームホールプロジェクトのメンバーを招集した。C1は、ワームホールプロジェクト会議において、脚本企画を説明した。C1は、ワームホールプロジェクト会議を重ね、表現したいテーマ、登場人物、用いる漱石のエピソード、脚本の骨子、脚本の枠組み、ストーリーの流れ、シーン、小説「坊っちゃん」、「吾が輩は猫である」などの中から使用する部分を決定した。具体的には、夏目漱石の妻であった夏目鏡子を主にすること、漱石と関係の深い正岡子規を「坊っちゃん」の登場人物と重ねること、「本当の自分に出会う」ことをテーマとし、漱石が「坊っちゃん」を書くことによって救われるという話にすることを決定した。
 C1は、作品決定の後、被告D1に対し、プロットの作成を指示した。被告D1は、プロットを提出したが、同プロットの内容は、関川夏央作のコミック「『坊っちゃん』の時代」と酷似していた。
 そこで、C1は、被告D1に、大量の資料を渡し、上記決定事項を詳細に口述して、文書化させることにした。ところが、被告D1が作成してきた文書(甲65)は、C1の口述に無かった台詞をいれるなどして、ストレートプレイのような原稿であった。
 そこで、C1は、甲65を不採用とし、R1に対し、被告D1に渡したのと同様の資料を渡し、同様の事項を口述して、文書化させた。こうしてC1の口述をR1が文書化したものが甲66である。甲66の作成には、被告D1は関与していない。
 なお、原告は、訴状の段階では、B5について次のように主張していた。被告D1は、「坊ちゃん」のミュージカル化に意欲を示していた。そこで、C1は、最初のワームホールプロジェクト会議の段階から被告D1に提案原稿を作成することを指示していた。その際、漱石を偉い人にしないことと、ワームホールプロジェクトによる創作ルールを確認した。
 被告D1は、C1にたたき台原稿を提出した。同原稿は、一応の形になっていたが、テーマ設定が弱く、非常に長いストレートプレイのようなものであった。また関川夏央作のコミック「『坊っちゃん』の時代」をそのまま引用した部分が随所に見られた。
 そこで、C1は、ワームホールプロジェクトメンバーであったR1及びD2(以下「D2」という。)に、別途たたき台稿を作成するよう指示した。R1とD2は、たたき台稿を提出した。C1は、同原稿を、キャラクター設定をし直すなどして前編にわたって書き直し、ミュージカルとしての構造に変更した。
 C1は、上記原稿に基づいて立ち稽古をさせ、立ち稽古において出てきた意見を聞くなどして脚本を修正し、上演台本を完成させた。この脚本の修正作業に被告D1は関与していない。
(被告ら) 
 漱石作品のミュージカル化という企画を提案したのは被告D1であった。被告D1の提案を聞いてC1代表がどのような資料を準備し、どのような狙いを抱いたかは知らない。
 B5の脚本を作成したのは被告D1であった。C1によるレクチャーや、C1が主張するような集団執筆の事実はない。
 ただし、C1が、被告D1が作成した脚本に不満をもって、R1らと共に勝手に手直しした事実はあった。このころ、B4の書き直しの経緯から、被告D1とC1の関係がぎくしゃくしていたという経緯がある。もっとも、C1及びR1が行った手直しは、分量的にはB5のうち10%に満たないもので、内容的にもシーンカットなどの添削が中心であった。
6 B6(泣かないで)
(原告)  
 C1は、遠藤周作作の小説「わたしが・棄てた・女」をミュージカル化することに決定した。
 C1は、たたき台稿、準備稿を作成した。この準備稿はR1及びS1が文書化した。被告D1は、同作品をミュージカル化することは難しく、良さがわからないとして、同作品のミュージカル化に反対していたことから、B6の脚本作成作業には一切関わらなかった。平成15年5月23日の弁論準備手続において、B6の創作に一切関与しなかったことを自ら認めている。
 C1は、上記原稿に基づいて立ち稽古をさせ、立ち稽古において出てきた意見を聞くなどして脚本を修正し、上演台本を完成させた。被告D1は、本読みが行われた後、ワームホールプロジェクトの演出担当として関与したことはあったが、脚本であるB6の作成には関わっていない。
(被告ら)
 B6については、C1は、当初、被告D1に脚本執筆を委嘱し、被告D1は、半分ほど原稿を執筆した。しかし、その後、C1が、被告D1に対し、「今回はこちらでおこないます」と委嘱を撤回したことから、それ以上は脚本執筆をしていない。
 同作品の脚本が、その後どのように創作されたか詳しい経緯は知らないが、C1は、自分に従順なスタッフを使って著作しようとしているようであった。
 同作品には、一部被告D1の創作部分も含まれているが、その比率は比較的低いことから、本訴訟においてはあえて権利主張を行わない。なお、同作品において、はじめて、脚本の著作者として被告D1の他に「ワームホールプロジェクト」の名称が併記された。チラシには、被告D1の単独著作であるかのような表記がなされているが、当初は被告D1が脚本執筆を行っていたが、途中で降板し、チラシの表記変更が間に合わなかったことによる。
7 B7(ホーム)
(原告)  
 被告D1はB7の創作に一切関与していない。
(被告ら)
 B7は、O1の知人がモデルになっている。被告D1は、原告からO1の知人をモデルに脚本を作成するよう依頼され、脚本(B7(初演前原稿))を作成して、原告に提出した。しかし、その後、C1が、被告D1に対する委嘱を撤回したことから、その後のB7(初演前原稿)の修正作業には関わらなかった。
 B7(初演前原稿)が、その後どのように修正されたか詳しい経緯は知らない。B7は、B7(初演前原稿)に依拠して作成され、B7(初演前原稿)のかなりの部分が残っているから、B7は、B7(初演前原稿)の二次的著作物である。
8 B8(星の王子さま)
(原告)
 被告D1はB8の作成に一切関与していない。
(被告ら)
 B8が上演された発端は、被告D1が、演劇集団「風」からの依頼で「星の王子さま」の脚本(以下「演劇集団『風』用脚本」という。)を執筆し上演したことであった。C1は、同公演を見に来て、被告D1に対し、専属契約上問題がある旨述べ、原告においても「星の王子さま」を上演することになったものである。
 原告における公演に向けて、演劇集団「風」用脚本は手直しされ、被告D1は、原告に対し、手直しした初稿を提出した。手直し後のB8再演版には、被告D1が提出したB8初演前原稿のかなりの部分が残っている。したがって、B8再演版は、演劇集団「風」用脚本の二次的著作物である。

別紙4
A作品製作経緯に関する裁判所の認定
1 A1(おとぎばなし)
@ V1が、こわいはなしのシーンで、持ちネタの会談を複数バージョン披露した。
A Q1が、ミスター・ボージャングルという歌を希望し、挿入した。
B V1が、被告D1の作成したヤスの台詞を長くした。
C L1がA1の「テーブルソルト」の歌詞を作成した。
2 A2(情話大江戸恋泥棒)
@ 複数の劇団員が、自ら歌う曲の歌詞を作った(G1が「私をさらって」を、Q1が「いとしのおかよ」を、N1が「親分の歌」を、L1が「俺たちの夢」をそれぞれ作成したなど)。
A 若旦那役のJ1が、若旦那の台詞にアドリブをいれた。
B 口上役のH1は、複数のシーンでギャグやしかけのアイディアを出した。
C 口上役のH1は、被告D1が考えたおおざっぱな口上の台詞を面白い言い回しに変えた。
D Q1が、被告D1の原案を基に、冒頭の短い詩を作成した。
E 劇団員が、被告D1が作成した原稿で使用していた下品な言葉を上品な言葉に変えた。
F L1、W1、J1が、被告D1が作成したフィナーレ前の約5行を変更した。
G N1が「男っていう奴は」の歌詞を作成した。
H 劇団員の合作でA3の「虹をわたる夢」の歌詞を作成した。
3 A3(英雄(ヒーロー))
@ 劇団員が、被告D1の作成した台本に即したエチュードで作成した部分があった。
A 演出のJ1が、被告D1が作成したラストシーンと異なる案を提案した。
B U1が、一つの曲の歌詞を作成した。
C 主人公が新聞記者になるためのオーディションのシーンで、被告D1の初稿ではいす取りゲームによるオーディションになっていたところ、H1が、タイプライターの早打ちによるオーディションを提案した。
4 A4(ヴェローナ物語)
@ シーン2「ヴェローナの争い」において、被告D1の初稿では「覚えとけよ。先に抜いたのはおまえだからな!」とされていたティボルトの台詞を、L1が、稽古において、剣をなめて「耳をそぎ落としてやる」というようにアドリブで演じ、これが採用された。
A シーン3「モンタギュー家の人々」において、被告D1の初稿では「我泣きぬれてハチと戯るか。素晴らしいもんだ。」とされていたモンタギューの台詞が、配役された役者によっていろいろなバージョンで演じられていた。
Bシーン5「モンタギュー家、愛のレッスン」において、被告D1の初稿には「光に向かって歩けば君にたどり着く」とされていたドン・ジュアンの台詞を、H1が「光に向かって歩けば君にたどり着く。君の瞳は百万ボルト、地上に降りた最後の天使、おお、私は稲妻に打たれてしまった。」として演じた。
C 同シーンにおいて、被告D1の初稿では「ローデシアの妊産婦か?」とされていた」ドン・ジュアンの台詞が、「三好清海入道か?」など配役された役者によっていろいろなバージョンで演じられていた。
D Q2が「私は行こう」の歌詞を書いた。
E シーン6「仮面舞踏会」において、被告D1の初稿にはない台詞を、ジュリエット役のN1が考えて挿入した部分があった。分量としては、6頁あるシーンの1頁弱のものであった。
F シーン11「寝室、ロミオとジュリエット」においては、被告D1の初稿では、ロミオとジュリエットの会話が「もうどこにも行かないでね。」「何処にもいかない。」で終わっていたものを、ロミオ役のE1とジュリエット役のN1が、これに続けて30行ほどの台詞を考えてきた。
G シーン14「ドン・ジュアン」において、被告D1の初稿のドン・ジュアンの台詞に続けて、ドン・ジュアン役のH1が「俺はあの人の所へ行かなくちゃ、行かなくちゃ!君に会いに行かなくちゃ!」という台詞をアドリブで演じて採用された。
H シーン15「街はずれ」において、E1とN1が、被告D1の初稿に続けて1、2言台詞を考えた。
I シーン18「街はずれ」において、被告D1初稿の大公のリアクションが、劇団員の提案で、全員のリアクションに変更された。また、同シーンでは、ゼンジー北京のものまねのシーンで、H1のアドリブが採用された。
5 A6(小林さん宅のお引っ越し)
 Q2が2つの曲の歌詞を作成した。
6 A8(さよならゲーム)
 劇団員が、被告D1がテレビのシーンを修正する際、アイディアを出した。
7 A9(闇夜の祭)
@ 劇団員が、人形とワルローの1シーンをアドリブで補充した。
A 劇団員が、市会議員たちの群読のシーンで「森の小人」や「ジングルベル」の替え歌を歌うことを提案して採用された。
B 出演者が、台詞のないパントマイムショーを創作した。
8 A11(バイバイメモリー)
@ 演出担当のJ1がラストシーンで被告D1作成のものと異なる提案をし、被告D1は、J1の意見を尊重した。
A J1が、シーン14「再び病室」についてアイディアを出した。
9 A12(覗からくり遠眼鏡)
@ 口上役のQ1が、口上の台詞について、被告D1の相談にのった。
A H1又はL1が、ラストシーンの登場人物のその後を口上に語らせるというアイディアを出した。
B 各出演者に、自らの演じる役のその後を考えてきてもらった。
C F1が「メリケン」の歌詞の一部を作成した。
10 A13(夢の降る街)
@ F1とR2が「夢の降る街」の歌詞を作成した。
A O2が、「Mr.お坊ちゃまを探して」の2番以降の歌詞を作成した。
B F1が、「行こう街へ」「おいでよ喜楽館」「フィナーレ」の一部を作成した。
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